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engage1 君だけを愛す著:ふゆの仁子

 永見はそこで一度言葉を切り、伊関を見つめる。
「ずっと君を探していました。今進めている仕事の私のイメージキャラクターに相応しい人間は、君以外あり得ません」
「なんだよ、それ」
 永見の言葉の勢いに押され、伊関は態度を僅かに軟化させ、とぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
「探してたって……だったら、なんでもっと早くに声をかけてこないんだ」
「探してはいました。でも今の今まで君だと気づかなかったのですから仕方ありません」
 伊関はそのとき初めて、目の前にいる男の顔を認識したような気がしていた。
 控え室に訪れたのを見たときからやけに整った顔をしていると思っていた。フレームレスの眼鏡の奥の瞳は鋭く、スーツに包まれた身体はかなり細身で、四肢が長い。
 指が綺麗だと思った。首が細くて華奢だと思った瞬間、伊関の身体の一部が突然、熱くなった。
 やばい───咄嗟に思った。
 伊関は女より男により反応するタイプだ。その事実を本当の意味で認識したのは、大学に入ってからだった。相手はアルバイト先で知り合った、気の合う仲間の一人だった。
 気づいたときひどく動揺し、苦しみ悩んだ結果、自分自身を受け入れることにした。
 とはいえまだ一度も男と試したことはなく、女性とセックスできないわけでもない。だが無意識に身体が反応してしまうのは常に男だった。
 そして今自分は、目の前に突然現れた永見潔という男相手に、全身で反応している。
 目線、喋り方、気配、雰囲気のすべてが自分を誘っている。
「君しかいません」
 傍から聞けばまるで熱烈な愛の告白にも取れるその言葉に、思わず自分の境遇を鑑みて伊関は唾を飲んだ。
 安念に認められ『新宿五番街』に入ったものの、その安念自身が『大東京』という劇団に引き抜かれてしまった。それにより後ろ盾や目指す物を失いかけていたところで、大きなチャンスが巡ってきた。
 新しく『新宿五番街』に迎えられた演出家は、安念に比べると比較的メジャー志向で、一般の人にもわかりやすい演目を選んでいた。
 今回の定期公演は注目を浴びていて初日からかなり客足が良く、雑誌の取材も多かった。このプレッシャーに負けた主役が五日目に倒れた。この機会を伊関は逃さなかった。
『俺、台詞、全部入ってます』
 伊関はいちかばちかで言ってみた。
 演出家も舞台監督も、一斉に伊関の顔を見た。なんとしても公演中止だけは避けたかったのか、とりあえずということで申し出が受け入れられた。
 だが伊関自身は、『今日だけ』で終わらせるつもりはなかった。何がなんでもこの役を自分のものにしてみせると決意していた。
 役については、本気で普段からこういう日が訪れる場合もあるだろうと、十分研究を重ねて、自分なりに理解していた。
 そして、幕が降りたとき、主役は完全に伊関のものになっていた。観客だけでなく、演出家などの劇団関係者からも温かな拍手が伊関に送られた。
 アンコールに応え、舞台に再び伊関が現れると、会場中の割れんばかりの拍手が伊関を包み込んだ。
 深々と頭を下げながら、胸に沸き起こる感情を存分に味わっていた。実に高校二年の文化祭以来、約四年ぶりの充実感だった。
『伊関拓朗』の名が、口コミで演劇ファンに広がり、日増しに観客が増えていった。ミニコミ誌が伊関にインタビューを申し込んできた。ある日、ヒットメーカーと言われる劇団『A』の演出家からの花が贈られてきて、皆をあっと言わせた。
 ここまでで、すでにできすぎの話だ。
 さらに、広告代理店のトップである電報堂の人間に、こんな風に言われるわけがない。
 あまりに突然の話に、正直揶揄われてるとしか思えない。そう否定しながら、永見と名乗った男のあまりにも真剣な表情に、伊関の胸に悪戯心が沸き上がる。何も知らない癖に、と。
「いいよ」
 伊関はジーンズのポケットに手を突っ込み、足を一歩前に踏み出す。
「本当ですか?」
 永見の目元が緩むのを見て、さらに身体がずきんと脈打つ。
「ただ……条件がある」
 さらに足を踏み出し永見の前で足を止め、ポケットから出した右手を細い顎に伸ばす。みじろぎひとつしないその顔を引き寄せ、伊関は唇を軽く重ねる。永見は目を閉じることなく、じっと伊関を見つめていた。
「俺、こっちの趣味なんだ」
 怯みそうになる自分の心を奮い立たせるように、伊関はわざと嫌な言い方をする。
「それが何か?」
 しかし『こっち』が何を意味するのかわかったように、永見は応じる。
「この業界にいれば、珍しいことではありませんし、人の趣味嗜好をとやかく言うつもりはありません」
「そういうことを言ってんじゃねーんだよ」
 予想に反した永見の冷静すぎる対応が、かえって伊関の神経を逆撫でした。
 伊関は永見の腕を掴み、細いその身体を壁に押しつける。階段の裏で、通路からの死角に入ったのを確認する。
「条件っていうのはさ」
 永見自身を服の上から前ぶれもなく握りしめると、端整な顔が歪む。
「こういうことなんだ」
 さらに永見の白い首筋に歯を立てた。

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