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お隣さんは過保護な王子様(プリンス)著:若月京子

「俺は司法試験に受かる必要はないから、ひたすら成績を上げる方向に力を入れようかな。そっちのほうが楽だ」
「う、裏切者~。お前も苦労しろ」
「嫌だね。俺は楽しめるところは楽しみたい」
「野間は? 野間は、司法試験、受けるだろう?」
「その予定はないけど。法律関係の仕事に就くつもりはないから」
「なんでだよー。お前ら法学部に入ったからには、司法試験合格を目指せ」
「不特定多数の人間を相手にする仕事って、ちょっと……。それに依頼者はみんな、何かしらのトラブルを抱えているわけだし。自分がトラブル解決に向いているとは思えないんだよね」
「あー…野間は細っこいし、綺麗な顔をしてるから、舐められやすそうだもんな。確かに向いてないかも」
「複雑……」
 あっさり納得されるのも嬉しくないと、玲史は顔をしかめる。
 そんなふうに四人で話をしているとあっという間に時間が過ぎていき、丸川が壁時計を見て慌てる。
「おっと、ヤバい。もう昼休みが終わるぞ。教科書を取って、講義室に行かないと」
「あ、本当だ。じゃあ、先輩、失礼します」
「ああ。がんばれよ~」
「龍一さんは?」
「俺は、三限はないんだ。図書館に行って、本でも読んでる」
「それじゃ、あとで」
 用事が入っていないかぎり、夕食は玲史のところで一緒に作ることになっている。だから玲史はそう言って龍一と別れた。



 その日の講義が終わった後、玲史は家に帰ろうとしたのだが、内田と丸川に誘われて剣道部の練習を見学することになった。
 敷地の端のほうにある部室棟へと向かい、そこで二人はロッカーから運動着や靴を取り出して更衣室へと向かった。
「剣道は、持ち物が多くて大変なんだよな~。道着だけでも結構嵩張るのに、竹刀と防具だろ。試合のときとか、マジで大変なんだ」
「道着を着るのは、試合のときだけ?」
「そういうわけじゃないけど、今は新入生が多いからさ。先輩が辞めさせるって言ってただろ? 本気でやるつもりもないのに道着を買わせるわけにはいかないし、当分は基礎トレだけだから運動着でいいって話だ」
「ああ、じゃあ、女の子たちが脱落したあとに本格的な練習をするのかな?」
「だろうな。まぁ、どのみち基礎トレは必要だけど」
「そうそう。脱落云々は関係なしに、トレーニングは普通にしなきゃいけないんだよ」
 二人は運動着に着替え、体育館に行く。
 そこにはすでに何人か部員が集まっていて、思い思いに待機していた。
 お喋りに花を咲かせる女の子たちや、ストレッチに精を出す部員。慣れた態度と浮かれた様子から、新入生ともともとの部員の違いがはっきりと分かる。
 玲史は邪魔にならないよう端に寄り、その側で内田と丸川もストレッチを始めた。
「聞いてたとおり、女の子が多いな」
「華やかだなー。眼福、眼福
 練習の開始時間が近づいてくるにつれて体育館に部員たちが集まってきていたが、一年生の塊はそのほとんどが女の子だった。
「うわー…本当に女の子ばっかり」
 しかもこれから運動するというのに、バシッと化粧をしている。
 バサバサの付けマツゲはともかくとして、剣道部に入るのにその綺麗にマニキュアをした長い爪はどうなんだと思う。それで竹刀を握れるのかと聞きたくなってしまったほどだ。
 そろそろ集合時間になるが、龍一はまだ姿を現していない。
 今日は来ないのだろうかと、玲史は首を傾げた。
「あの人が来ちゃうと、女の子たちが騒いで収拾がつかなくなるかもしれないからな。去年の失敗を踏まえてらしいぞ」
「大変なんだね」
「まったくなー」
「あの女の子たち、全部龍一さん目当てっていうこと?」
「いや、いくらなんでも全部ではないはずだ。中には有段者もいるって話だし。それに初心者でも、本当に剣道をやってみたいっていう子はいると思うぞ」
「でも、まぁ、大半が佐木先輩目当てなのは確かだな」
「はー…龍一さんって、本当にモテるんだね。確かに、ちょっと見ないような美形だもんなぁ」
 二人で出かけたときも、何度か女の子に声をかけられていた。それにただ立っているだけでも、周囲の視線の多さは大変なものがあった。
「試合のときとか、マジで格好いいぞ。こう…鬼気迫る迫力でさ。それでもって面を外したらあの顔が出てくるわけだから、そりゃあ黄色い声も飛ぶよな」
「男でも見とれちゃうほどのカッコよさだもんなー。ハーフの美形剣士なんて格好のネタだから、雑誌やテレビの取材依頼が結構来たらしいんだけど、全部断ったんだってよ。面倒くさいし、うざい女がこれ以上増えたらかなわんって言って」
「もったいないと思うんだけど、実際うざいのが多いのは事実だからなぁ」
「先輩、わざとド迫力オーラを出して女の子たちを近寄らせないようにしてるんだけど、図太いやつはそんなの気にしないし。側で見てても大変だな…って同情したくなるときがある」
「うんうん。モテすぎるのも考えものだ。何事もほどほどが一番いいなーとは思うが、実際、先輩は大変そうだもんな」
「へぇ」
 そういえば龍一が姉たちの部屋の留守番役を買って出たのは、女の子たちが勝手に家に押しかけてきて迷惑をかけたからだと言っていた。
 あのマンションに入るのは暗証番号が必要だし、エントランスには管理人のようなフロントデスクが常駐していて不審な人物が出入りしないようにしている。
 居住者には芸能人もいるとのことで、プライバシーには配慮しているが、記者などが入らないように配達人にもきちんと確認を取っていた。
「龍一さん、来ないね」
「ああ、女の子たちの化粧がドロドロになった頃に来るってさ。それまで、大学の外をランニングしてるって話だ」
「ホント、大変……」
 玲史が思わず溜め息を漏らすと、「集合ー」という声がかかってワラワラと百人くらいが移動する。そして声を上げた人物のもとに、輪を描くようにして集まった。
 一年から四年まで学年ごとに別れて、それぞれ点呼を取っていく。
 それから主将だと名乗る人物が、新入生たちはまだ仮入部であること、一ヵ月後に正式入部になることを伝える。
 最初のうちは基礎トレだから覚悟するようにとも言い、まずは靴を履き替え、校庭をひたすらランニングだ。主将に十周と言われ、新入生たちから悲鳴が上がった。
 無理だとか、そんなに走れないと言っているが、上級生たちがモタモタするなと叱って外に追い出す。
 走りだしたのはいいが、すぐに遅れだす彼女たちに、走れ走れと代わる代わる叱咤して足を止めさせないようにする。
 当然彼女たちは十周も走ることはできなかったが、それでも止まっていいと言われたときには全身汗だくで立っていられない状態だった。
 それから全員で体育館に戻ってきて飲み物を飲み、呼吸を整えてから腹筋や背筋などのトレーニングに入る。
「腕立て伏せを五十回、腹筋五十回、スクワット五十回だ」
「──っ!?」
 主将の言葉に、先ほどより遥かに大きな悲鳴が上がる。
「ぜ、全部、五十回ずつ?」
 何それと思ったのは玲史だけではないようで、ランニングだけでへたり込みそうになっている女の子たちは無理無理と抗議の嵐だ。
「ウソでしょう!」
「無理! 絶対、無理!」
「お前ら、剣道がやりたいから入部しようと思ったんじゃないのか? 基礎体力をつけなくてどうする。無理じゃなくて、やるんだよ。嫌なら辞めろ」
「ひどい!」
「腕立て伏せなんて、十回もやったことないのに!」
「運動部に入ろうっていう人間が、五十回くらいでガタガタぬかすな。やれ! 全員、床に伏せて腕立て準備!!」
 主将の怒号に、彼女たちは切れるのと渋々従うグループに別れた。
「そんなのできるわけないでしょ! 私、辞める!」
「私も!」
 自分の入ろうとしている剣道部が名前だけの遊びサークルではないと知った女の子たちが、怒って体育館を飛び出していった。
 その数、五人。
 本格的なトレーニングに入る前にそれだけの人数が脱落し、次の練習日に今残っている新入生がそのまま集まるとは思えない。
 練習日のたびに、どんどん人が減っていくことになりそうだった。
 実際、絶対に無理と叫んだのは誇張ではなく、文句を言いながら腕立て伏せを始めた女の子たちの中には、一回もできない子がいた。
 先輩たちと経験者らしい一年生は、特に文句を言うでもなくマネージャーの数を数える声に従って腕立て伏せを繰り返している。
 さすがに遅れがちになる部員もいるが、一生懸命ついていこうとする子と、さっさと諦めてやっているように見せかける子に分かれていた。
 龍一目当てと思われる一年生たちは、そもそも運動をする気が感じられない髪形と服装だ。一応は運動着らしいが、やたらとゴテゴテしている。
 最初のうちは腕を伸ばしていたが、体を支えられなくなってしまうと、服が汚れると文句を言いながら床に伏せ、汗で化粧が崩れて大変なことになっていた。
 様子を見ていれば、誰が本気で誰が本気じゃないかすぐに分かる。
 なんで佐木さんがいないのよとか、こんなことをしたくないと文句を言っている子たちを、龍一が排除したいと言うのも納得だった。
 体育館を使用できる日は限られているのに、龍一目当ての女の子たちが群がっていては満足に練習できないのは明白である。
 腕立て伏せが終わって腹筋に移ったが、練習風景を見ているだけというのも手持ち無沙汰なので、玲史はマネージャーたちの手伝いをする。
 飲み物の用意をするにも部員数が多いから、大変そうだった。
「ありがとう。野間くんだっけ? ボクは、奈良崎。内田たちの友達なんだよね? サークルとかまだ決まってないなら、うちのマネージャーをやってくれないかなぁ? マネージャー志望の子たちはたくさんいたんだけど、みんな佐木目当てでね。他の部員たちに平等に接してくれて、ちゃんと仕事もできるマネージャーが必要なんだ。何しろうちの部、三年のボクと四年の三好先輩しかいないから」
「マネージャー……ですか」
 高校の三年間、まったくといっていいほど高校生活を送れなかった玲史は、なんらかのサークルに入りたいと思っていた。

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