ダリアカフェ

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お隣さんは過保護な王子様(プリンス)著:若月京子

 龍一を含めた先輩たちは三人。彼らはすでに昼食を食べ終え、コーヒーを飲んでいた。
 玲史たちは空いている席に座らせてもらって、いただきますと箸を取る。
「あー…ラーメン、旨い」
「ラーメンとカレーは、日本人の国民食だよなー。あ、そういや、佐木先輩、なんかね、最近野間が嫌がらせされているんですよ。今のところ大したことはないんですけど、マネージャーになるのを断わられた女子が佐木先輩に可愛がられている野間に八ツ当たりしてるんじゃないかって思うんですよ。でも、なんで二ヵ月も経ってから…とそれが不思議で」
「そうそう、十中八九、佐木先輩関係だと思うんですけど…先輩、最近、手ひどく振った女とかいないですか?」
 その言葉に、龍一は驚きの声を上げる。
「はー? いない、いない。一年の告白ラッシュも一段落して、落ち着いたもんだぞ。この二ヵ月の間というもの、『俺は司法試験の準備で忙しいから、誰とも付き合う気はない、邪魔するな』と言い続けてるしな。おかげでずいぶんおとなしくなってきた」
「いやいや、それだと、応援しますとか言って弁当を作ったり、部屋に押しかけて来るのが湧いて出そうですけど。先輩が家を出たのって、わりと知られてますからねー」
「マンションの入り口は暗証番号を打ち込まないと開かないし、誰かの後ろについて入ったとしても、住人と会話でもしてないかぎりフロントデスクに止められる。お連れ様ですか…ってな。そのあたりのチェックは厳しいんだよ」
「え? じゃあ、こっそり誰かを連れ込みたいときはどうするんですか?」
「車だな。地下から直接上がれるようになってる。カメラはあるが、俯いていれば顔は映らないし。入り口も、カメラの位置を把握してうまく体で隠せば連れが判別できないように通るのは可能だ。うち、芸能人が住んでいるらしいから、警備とプライバシーの兼ね合いが難しいみたいでな」
「芸能人って、誰が住んでるんですか?」
「会ったことないから、知らん。玲史は何か知ってるか?」
「ええっと…お笑いの誰かを見たことがあるとか、姉に聞いた覚えが……。誰だったかな? 二人組で、カタカナのコンビ名で……」
「それ、ものすごい数、存在するから」
「お笑い、あんまり詳しくないんだよ。見るテレビ番組ってだいたい決まってるから、そこに出ない人は全然分からなくて」
「それは分かるけどさ。野間の箱入り息子感って半端ないな」
「そ、そう?」
「ああ。なんか、浮世離れしてる」
「………」
 友人づきあいに関しては三年のブランクがあるから、そのせいかもしれないと玲史は複雑な顔をする。
「玲史の箱入り息子感はともかくとして、嫌がらせっていうのはなんなんだ。いつから始まった?」
「うーん…本当に、なんでですかねぇ。野間がマネージャーになってすぐにも少し嫌味とか文句とかはありましたけど、それほどひどくなかったし……。ロッカーに悪戯書きなんてありませんでしたよ。どうして急に始まったのか意味が分かりません」
「どんな嫌がらせなんだ?」
「ロッカーにバカとか死ねとか書かれたり、さっきはすれ違いざまに根暗って言いやがりました。早足で逃げたから誰が言ったか分からないんですけど、男だったんですよ」
「男? 女じゃなくて?」
「だからどうにも納得できなくて。これといった切っかけも思いつかないし、男っていうのがなぁ。ホント、なんなんですかね」
「玲史は? 何か、理由を思いつかないか? 男に言い寄られて振ったとか」
「は? いえ、そういうことはありません。誰かと衝突した覚えもないし、ごく普通の大学生活ですよ。マネージャーになったことで文句を言われたのも、最初のうちだけだし」
「うーん…それじゃ、なんでなんだろうな」
「全然、分かりません」
 同じ講義を取っている法学部の学生たちとは、普通に仲良くしている。特に避けられることなく挨拶や会話もするし、休講で時間が空いたときには誘い合ってカフェテリアで一緒にレポートをやったりもした。
 本当に、ごくごく平凡な学生生活を送っていたのである。
 けれど嫌がらせ自体はとても不快ではあるが、さほど実害はない。だから全員、「誰が」よりも「なぜ今?」のほうに首を捻っていた。

   ★ ★ ★

 嫌がらせは思い出したように繰り返され、玲史の中に少しずつ鬱屈が溜まっていく。
 しかし悪戯書きやすれ違いざまの悪口では相手が誰かも分からず、手をこまねいているしかない状態だった。

 玲史たち法学部の学生は、三年生や四年生になれば司法試験にチャレンジする可能性がある。それに加えて就職活動もあり、なるべく一、二年生のうちにより多くの単位を取っておきたいと考えていた。
 だからみんな、一限目からめいっぱい講義を入れている。
 最寄り駅から大学に向かっていた玲史は、後ろから丸川に声をかけられる。
「野間! おはよーさん」
 タッタッタッと軽快に走って隣に来て、レポートは終わったかと聞いてくる。
「終わらせたよ。さっさと提出しちゃわないといつまでもいじくり回しそうだから、今日、もう出すつもり」
「早いなー。俺、まだ半分だよ。つい、録り溜めたドラマを一気見しちゃってさ。眠い……」
「何時くらいに寝たわけ?」
「んー…気がついたら夜中の二時で、やばいと思って慌ててベッドに入った。居眠りしないように気をつけないとなー」
「丸川は、もう篠田教授の講義、減点二つ溜まってなかったっけ?」
「そうそう。だから、やばいんだよ。篠田教授の声って、無性に眠気を誘うんだよなぁ」
「午後の講義だからっていうのも、あると思うけど。丸川はお昼ご飯を食べすぎるから、眠くなるんだよ」
「だって、講義途中で腹減ると困るだろ」
「居眠りで減点されるよりいいと思うけど。お菓子とかパンを、常備しておけば?」
「講義中に食ったら、やっぱり減点じゃないか?」
「いや、もちろん休み時間に食べるに決まってるよ。なんで講義中?」
「ああ、そりゃそうか」
 食い意地が張りすぎだと笑いながらロッカーに行くと、ロッカーで内田が険しい表情を浮かべて立っている。
 玲史は首を傾げながら挨拶をする。
「おはよう」
「おはよー。なんかあったか?」
「あった。見ろよ、これ」
 そう言って内田が指さしたのは、玲史のロッカーである。
「──おっと。嫌がらせが、シャレにならない感じになってきたぞ」
 鍵が壊され、扉が開けられている。教科書やノートを入れてあったのだが、中は何も入っていない空っぽの状態だった。
 玲史は顔をしかめ、大きな溜め息を漏らす。
「どうしよう…教科書、買い直し? すごい高かったんだけど」
 専門書や、教授たちの著書が教科書だから、一冊一冊の値段がとても高い。二千、三千円は当たり前で、中には一万円以上する本もあるのだ。
 それがすべてなくなっていたから、被害額はかなりのものになる。
「ノートもなくなってるから、出てこないとまずい気がする。試験、どうしよう」
「ノートなんて俺たちがコピーを取ってやればいいけど、一つ、ノート提出が義務の教授がいたよな? あれはさすがにまずいだろ」
「とりあえず、事務局に電話だ。そのあたりの相談にも乗ってもらおう」
 ロッカーに何度か悪戯書きをされたことで、三人とも事務局の電話番号を知っている。
 内田がポケットからスマホを取り出して、ロッカーがこじ開けられて中のものが盗まれていると連絡した。
 すぐに事務員が駆けつけてきて、「ああ、鍵を壊されてるなぁ」と呑気なことを言う。
「中のものを盗まれました。教科書とノートしか入れていませんでしたけど」
「現金とか、金目のものは盗られていないんだね?」
「はい」
「それは、よかった。不幸中の幸いだな。キミのロッカーは空いているところに変更するから、今後はそっちを使ってもらう」
「はい」
「今、空いているのはどこだったかな…あとで調べて、連絡を入れるよ」
「分かりました」
「それじゃ、ボクはこれで。修理の手配をしないと」
「は? いや、ちょっと待ってくださいよ。それで終わりにするつもりですか? 犯人探しは?」
 内田が苛立った様子でそう言うと、事務員は困惑の表情を浮かべる。
「犯人探しと言われても…警察じゃないんだから、無理だよ」
「だったら、警察に通報すればいいじゃないですか。これって立派な器物破損と窃盗ですよね?」
「そうですよ。何もしないなんて、おかしいでしょう」
 ロッカーの鍵を壊しているし、教科書の類だけでも被害額が六、七万円になる窃盗事件だ。
 内田と丸川は警察に通報して指紋を取ってもらおうと提案したが、大学側は大げさにしたくないと宥めようとする。
「そうはいっても、このせいで野間は教科書を買い直しですよ? 俺たち学生にとっては、かなりの高額です。ノートもなくなっているから授業や試験に差し障りが出ますし。それなのに被害者が泣き寝入りしろなんて、おかしな話じゃないですか」
「教科書は、新しいものをこちらが用意するよ。ノートは…教授陣にはこのことを報告して、特別な配慮をお願いする。私たちのほうでも調べてみるから」
「悪戯書きのときからそうおっしゃっていますよね。野間が狙われているのは確かなんだから、監視カメラの一つでもつけてくれればいいのに」
「申請はしてて、もうそろそろ許可が下りる頃だと思う。予算は限られているし、途中から割り込むのは大変なんだよ。もうすぐだから」
 警察沙汰は勘弁してほしいと拝むように頼まれて、三人は渋々ながら了承する。
 何しろロッカー自体は大学のものだし、玲史の盗まれたものも大学が提供してくれるという。
 警察をキャンパス内に入れたくないという大学側の気持ちも分かるので、監視カメラを一刻も早く取りつけてもらうということで話は決まった。
 しかしこのロッカーの事件を機に、思い出したように行われるすれ違いざまの悪口が、「淫乱」や「セフレ」などの性的なものになってきていて、玲史に戸惑いを与えた。
 すぐに人混みに紛れてしまうし、相手の狙いがなんなのか分からなさすぎて、嫌がらせの原因を考えようにもとっかかりがまったくない。
 内田と丸川が情報を集めてきてくれたところ、インターネット上にある大学の裏掲示板に玲史のことが書き込まれているとのことだった。

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