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伯爵様は不埒なキスがお好き♥著:高月まつり

 外見だけなら「どこぞの若様」だが、口調が悪い。
「勿体ねぇって言ってんだろ?」
 彼は、明の前に片膝をついて額を押さえていた手を掴んで離すと、血の滲んだ傷口を舐めだした。
「な、何をして……」
 自分でも、間抜けなことを言ってると思う。
 だが、頭が真っ白になった明は、こんなことしか言えなかった。
「食事」
「は?」
 彼は名残惜しそうに額の傷から唇を離すと、明の顔を見つめて微笑む。
 女性が十人いたら、その全員が「もうどうにでもして」と、うっとりと頬を染めてしまうに違いない魅力的な微笑み。
 明は女性ではないのだが、それでも、思わず頬を染めてしまう。
 どんなに綺麗でも相手はコウモリ。
 今、俺に微笑みかけているのはコウモリ。コウモリだぞ? 比之坂明っ!
 人の体をベタベタと触りながら「これくらい立派だと、食べ甲斐がある」と呟いている彼に、明の頭の中で危険信号が鳴り響いた。
 彼がどうやって明を食おうとしているのかは定かではないが、若い身空であの世になど行きたくない。
 そうなったら、誰が祖父と両親の菩提を弔うのだ。
 また、「化け物に食われました」となったら、怪しげな事件として後々までワイドショーにネタを提供してしまうだろう。
 そんなこと、まっぴらだ!
 明は心の中でシャウトすると、驚きで強ばっている体を「さっさと動け」と叱咤する。
「こんな旨い餌には、今までお目にかかったことねぇ。それに、この顔」
 彼は明の顔をじっと見つめ、「俺って相変わらず趣味がいいよな」と自画自賛した。
「は? 俺の顔がなんだって…?」
「少し目元が鋭いが、こういうのを凛々しい顔って言うんだよなぁ。形のいいきりりとした眉に、大きすぎない目。高すぎず低すぎない鼻に、少し薄目の唇。いいパーツが揃ってる。お前をここまで男前に作ってくれた両親に感謝しろよ? 俺は感謝してやる。ありがとう」
 容姿で損をしたことはないが、ここまで誉められたこともない。
 明は頬を引きつらせて、この男が何をどうしたいのか必死に考えた。
「俺が何かにここまで感謝するなんて滅多にねぇ。ありがたく、大人しく食われろ」
 彼は低い声で囁くと、おもむろに明の首筋に顔を埋めようとしたところで、横っ面を殴られて畳に転がった。
「てめぇっ! いてぇじゃねぇかっ!」
 彼はすぐさま起き上がると、赤くなった左頬を片手で押さえたまま怒鳴る。
「さすがは化け物と言ってやる。俺に殴られて、すぐ起き上がった人間はいない」
 腕を動かしたお陰で他の部分もどうにか動くようになったらしい。明はゆっくり立ち上がって構えると、間を取った。
「もしかしてお前、俺の眼力が通じねぇのか?」
「眼力だかなんだが知らないが、俺がこのまま黙って化け物に食われるかっ!」
「俺が化け物だと?」
「それ以外に何があるっ!」
 一歩前に出た彼に、明は一歩下がって攻撃の隙を窺う。
 最初は「逃げるが勝ち」と思っていたが、相手の「大人しく食われろ」という台詞に、明の闘争心に火がついた。
 誰が大人しく食われてなどやるものかっ!
 腕に覚えのある明は、コウモリ男をボコボコにして動けなくなったところで道恵寺から聖涼を呼び、念仏を唱えて石ころにでも封じ込めてもらおうと思っていた。
道恵寺は悪霊退散系で有名な寺なのだ。
「そこいらの下等な魔物と一緒にされちゃ困るんだな」
 彼は偉そうに腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。
「化け物は化け物だろうがっ!」
「はっ! これだから無知な人間は」
「化け物が人間に説教するなっ!」
「クレイヴン伯」
「は?」
 こいつは何を言ってるんだ?
 明は眉を顰めて彼を見た。
「俺はクレイヴン伯エドワード。普通、餌にはわざわざ名乗ったりしないが、お前は旨い餌だから特別に教えてやる。そして、エディ、と、愛称で呼ぶことを許そう」
「俺には比之坂明って名前がある! 餌呼ばわりするなっ!」
「怒鳴っていられるのも今のうちだ。お前の血をたっぷりと吸ってやる」
「お前、もしかして……吸血鬼?」
「『お前』じゃなく『エディ』だっての。今頃気づくな、バカ」
「初めて見た。映画の中だけの化け物じゃなかったのか?」
 明はエディを上から下までじっくり見ると、「吸血鬼なんて、この世にいたんだな」と感心した。
「そんなに珍しいのか?」
「珍しいというか、普通は存在しないもんだろが」
「吸血鬼は特別な存在だからな。普通とは違う」
「いや、だから、そういう問題じゃなく」
「存在するんだから仕方ねえだろ」
「まあ、そうかもしれないが……」
 最初の緊張感はどこへやら。
 エディと明は友人同士のような会話になった。
「とにかく俺は今、猛烈に腹が減ってる」
「だったらコウモリになってミミズを食え、ミミズを。活きがいいぞ」
 明は、ミミズの入ったボウルを指さす。
「このバカ。何で俺が、ミミズなんて薄気味悪いもんを食わなくちゃならねぇんだっ! まだスイカの方がましだぞっ!」
 エディは頬を引きつらせた。
「ならスイカを食えっ! 冷蔵庫に入ってるから、特別にタダで食わせてやるっ!」
「水分だけ取って、腹がふくれるかってんだっ!」
 エディは明に掴みかかろうとしたが咄嗟に逃げられ、逆に蹴りを食らう。
「ぐっ!」
「女を相手にするのとは訳が違うってこと、教えてやる!」
 映画の中の吸血鬼は、いつでもどこでも「華奢な美女」か「儚げな美女」を毒牙にかけていた。だが明は、立派な体格をした男だ。しかも腕っ節が強い。
「ちっ。だったら俺も本気を出してやる」
 エディの瞳が、青色から深紅に変わった。
 やばっ!
 明は素早く両手で頭をガードすると、左に避ける。
「人間にしては、反射神経がいい」
 エディは砂壁に右腕をめり込ませ、そのままやけに発達した犬歯を見せてニヤリと笑った。
「このバカ力っ! ここは俺のアパートだぞっ! 壊すなっ!」
「大人しく俺に食われねぇお前が悪い」
「腹が減ってるなら、別の人間を食えっ! 吸血鬼には美女の生き血だろっ! 男の血を吸って嬉しいかっ!」
 明はエディの足を払い、彼が倒れる瞬間、再び脇腹に蹴りを入れる。
「旨い血だったら、男も女も関係ねぇっ! それに俺は、そういうことにこだわるたちじゃねぇんだっての!」
 エディの拳を間一髪で避けながら、明は心の中で舌打ちした。
 この化け物、信じられないくらいタフだ! 脇腹に俺の蹴りを食らって、平気で攻撃してくるっ!
 タフなのは人間ではないからだ。
 だがエディも、きっちり応戦する明に心の中で、「いい加減に観念しやがれ!」とシャウトしていた。
 彼らは一歩も引かず、六畳一間の和室で戦った。
 その間、エディが開けた穴が壁に五つ、明が襖に空けた穴が三つ。
 明の息が上がってきた。
 彼は、額から頬、顎を伝っていく汗を乱暴に拭うと、エディをキッと睨み付ける。
「そろそろ諦めた方がいいんじゃね? 明ちゃん」
 エディは偉そうに言ったが、腹の虫が盛大に鳴り響いてしまいバツの悪い顔をした。
「はっ! そっちもガス欠か?」
「餌は大人しく食われてろっ!」
「そっちこそ、さっさと自分の国へ帰れっ!」
 お互いにこれが最後の攻撃かというところで、相手の顔に自分の拳をめり込ませようとした瞬間。

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