5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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「浅黒い肌だな。奴隷の子どもか? たまには、汚れた子どもで遊ぶのも、気晴らしになる。おまえたち、見ていないでさっさとこいつを連れていけ」
 俺は息をのんだ。
「困ります」
「──なんだと?」
 くちをきくのが不思議だと言わんばかりに、緑の王は俺をにらんだ。
「俺はどうしても、青の王と会わなくてはいけないのです。ここから連れ去られたら困るんです」
 バシンと音がして、俺はその場に倒れこんだ。まぶたの裏でバチバチと火花が散って、遅れてほおに痛みがやってきた。
 殴られたほおだけでなく、頭までがしびれて痛んだ。切れたくちから、血がこぼれた。
「ヒソク様」
 ルリがたえだえの息でつぶやいた。緑の王は「しぶとい下女だ。まだ生きているのか」と、言った。 
「うん? ヒソクといったか。どこかで聞いた名だな。西方に不思議な力を持つ術師がいるという話だが、まさかおぬしのことか?」
 いぶかしげに俺を見下ろしたあと、一転して腹の底からの笑い声を出した。
「はは、ふはは、これはいい。女好きのアジュールが、子どもを呼び寄せたわけだ。うわさの星見をとりあげてやったら、ずいぶんとあいつも悔しがるだろう」
 そう言って、俺の身体を持ちあげようと、腰をかがめた。
 その時緑の王の身体が、わずかにゆれた。
 太い首は、骨などないかのように、滑らかに長剣の半分ほどまでを貫通させた。
 血まみれの剣先は、俺の目の前で止まった。
「ぐ、かはっ」
 緑の王は血を吐きだし、串刺された魚のように、身体をびくびくと痙攣させた。
 はっはっと空気を吸い込む音がしていたが、やがて動かなくなった。
 剣先は宮殿の外に向けてふられ、緑の王の身体は、廊下のすみへと転がった。
「緑の兵を押さえろ。抵抗するなら殺してもかまわん。女相手でも、致命傷すら負わせられないとは、さすが緑の兵はぼんくらだ」
 あわただしく、入り乱れる足音が聞こえた。俺はまだ、転がった緑の王から目をそらせなかった。
「おまえがヒソクか?」
 名前を呼ばれて、やっと目をそむけることができた。
 声のしたほうにゆっくりと顔を向ける。見上げると、背の高い男が剣をふって、刃についた血を飛ばしているところだった。
 短い金髪に青い目。高い鼻梁と日に焼けても白い肌は、この国でもっとも多い容姿だ。ありふれているのに、見本のように整っていて、まるでこの国そのものをあらわしているように思えた。
 鍛えられた身体に、ゆったりした藍色の服を着て、その上から空色の布を肩からななめにかけている。
 彼の後ろから、シアンが現れた。
「シャー、なんてことをなさるのです!」
 これ以上ないくらい、顔をゆがめていた。
「緑の方がルリに無体をはたらいても、殺すことは許されません。ルリは青の姫ではなく、侍女にすぎないのですよ」
「ルリのせいではない。胸糞の悪いヴァートを殺れる機会を、みすみす逃す気にならなかった。これであいつのくだらん話に、付き合わされることがなくなっただろう」
「ご冗談でしょう」
「冗談だ。私もヴァートと心中する気はない。セーブルあたりに気づかれる前に手を打つ。あいつは犬みたいに、青の宮殿のことに鼻が利くからな」
 そう言って、男は命を奪ったことなど忘れたように薄く笑い、シアンの肩に、なれなれしく手をおいた。
 その手の甲には、やはり翼のはえた人間の絵が浮き上がっていた。刺青の模様は緑の王と同じだが、色は青かった。
 青の王という言葉がひらめいた。ルリが言っていた、王をひとめで見分ける特徴が、きっとそれなのだった。
 俺は青の王に会うために、この宮殿にやってきた。
「それで?」
 青の王は俺をふりむいた。鋭い剣先は、俺の首でピタリと止まった。
「おまえは何者だ? 私が呼び寄せたヒソクという星見は、女だ」
「ヒソクは……俺の妹です。どうか、妹を召し上げることはやめてください」
 石の床に、ひたいをこすりつけて懇願した。
「妹は幼く、自分の言っていることの意味もわかっていません。青の王に喜んでいただくことはできないでしょう。召し上げられれば、一生、王宮の外には出られないと聞き、妹が不憫でこのようなことをしでかしました」
 何度も考えていた言葉を、ひと息に吐きだした。床についた手のひらがぶるぶるとふるえた。
「王をたばかって、そんな願いが聞き入れられると思うなら、おまえは相当に愚かだ」
 冷やかな声が返ってきた。
「俺の命でしたら覚悟しております。殺すなり、奴隷にするなり、お好きにしてください。けれど、妹はまだ10年しか生きておりません。親もなく楽しいことも知らずにいます。どうか、ヒソクにだけは、慈悲をかけてください」
「おまえのせいで、侍女が死にかけている」
 俺はルリを見た。横たわった彼女の首筋は、真っ赤に染まっていた。
 あれほど血を流して、彼女は助かるのだろうかと、おそろしくなった。
「すぐに投げだせる命で、ルリの死を償えると思うのなら、彼女の主人である私もずいぶんと軽く見られたものだ。王が所有するものはすべて、王が生殺与奪の権利を持っている。私は侍従を殺されて、許したことはない」
 ヒソク、と心の中で呼びかける。俺は妹を守りたかった。
「たしかに、俺にはなんの価値もありません。けれど、意味のない命でも、妹以外のために投げ出そうなどとは思いません。俺が生きる意味がヒソクにあると思ったから、こうしてお願いにあがったのです」
 くい、とあごの下に剣先が掛けられた。
 うながされるままに上を向くと、「命乞いにきた者が、くちごたえとは驚く」と、淡々と言われる。
 もういっそ、殺してもらえたら、楽になるのかもしれない。
 妹と別れて荷車にゆられていた間、ヒソクのこれからのことばかりを考えていた。彼女が泣いていたら、誰かがなぐさめてくれるのだろうかと、胸がつぶれそうになった。
「その服、門番に側女と間違えられたか。シアン、星見として迎え入れると伝えておかなかったのか。私のことは、おまえが把握していると思っていたが、そうでもないようだな」
「お言葉ですが、星見を迎え入れるのは、青の宮殿に火種を呼び寄せるようなものだと、シャーに申し上げたはずです。門番への伝達は、私以外の者になされたのではないですか」
「そうだったか?」
 青の王はとりあわず、すい、と俺の前にかがんで顔をのぞき込んだ。
「ヒソクは少女だと聞いていたが、おまえも兄だというわりには、ずいぶん幼いな。せいぜい12、3というところか」
 年に関してはよくわからなかったが、1つ2つは上のはずだった。だが、言い返すことに意味があると思えなかったので、黙っていた。
「妹のためなら、なんでもする覚悟があると言ったな」
「あります」
「では、いますぐ私の所有物になれ」
「……所有物」
「不服か? 死でも奴隷でもいいと言ったのは、おまえだ」
「何をお考えなのですか、シャー」
 険しい口調で、シアンが言った。
「名案だと思わないか。ヴァートが青の王の所有物に手を出したとなれば、あいつを殺した口実になる」
 青の王は、どこか得意げにそう言った。それから思い出したように俺を見て、「おまえの名は?」と尋ねた。
 俺は二度と使うことはないと思っていた名前をくちにした。
「セージ」


 俺たち兄妹は、西方の山奥にある、湖のそばに捨てられていた。
 子どもの死体など当たり前に転がっているような街で、俺と赤ん坊だったヒソクが生き延びられたのは、ずいぶんと運が良かったのだと思う。
 赤ん坊を亡くしたばかりの母親が、俺たちを不憫に思い、家に連れ帰ってくれた。山羊を飼い、その乳や肉を売って、細々と生活している家だった。
 しかし、ヒソクが7歳を迎える前に、疫病のせいで山羊が全滅してしまった。どうにもたちゆかなくなって、俺たちは奴隷商に売られた。
 奴隷として、新しい家で働くことになった。本当なら、もっとずっと悪い条件があるはずだったのに、慈善家と名高い主人は優しかった。
 ときおり俺を、裏の小屋に引っ張りこんで、少年趣味にふけるくらいで、それ以外は食事も寝るところも与えられた。
 ヒソクは、主人が来る前に泣きだすことがあった。
「セージ、行かないで、外に出たら悪いものに食べられてしまう。ここにいよう」と、泣いてだだをこねた。
 俺は妹が泣きつかれるまであやして、それから、今日も主人が呼びにくるのだなと思うのだった。
 ヒソクは不思議な子どもだった。
 前の家で世話になっていた頃にも、疫病がはやる少し前、山羊の肉は絶対に食べるなと言った。
 山羊の肉は商品で、家では湖で獲れる魚を食べることがほとんどだったが、ある時、母親がふんぱつして捌いてくれたそれを、ヒソクは湖まで運んで沈めた。
 おそろしいほどに怒られても、「セージがいなくなっちゃうから」と言って、涙ひとつ流さなかった。
 星を見上げていたかと思えば、「東のほうで怖いことが起きる。牛と蛇が戦ってるの」と、知らない土地の話をするのだった。
 数日して、東の街で争いが起きたと聞いた。彼らの掲げた旗に、牛と蛇が描かれていたと知った。
 カンのいい子どもというくくりを超えた時、妹の才能に目をつけた男たちが、ヒソクをさらおうとした。赤毛の男を筆頭とした集団は、街はずれの貧民窟に住む、ごろつきだった。
 術師をうたって、街の民から食べ物をわけてもらおうとしていたが、彼らの中にヒソクほどの能力を持った者は、ひとりとしていなかった。
 占いのできる娘がいると評判になり、ごろつきたちの評価は持ち直した。
 彼らから、ヒソクは『星見』だと教わった。星見とは『サキヨミ』という能力の一種で、サキヨミは予知のできる術師の名称だ。
 王宮や貴族たちにも重宝され、戦の多い時代には、軍にもサキヨミが雇われていた。
 ごろつきたちは、ヒソクに星をよむ方法を尋ねたが、妹にとってみれば当たり前のことのようで、説明できないと言って彼らをがっかりさせた。それでも、彼らは俺とヒソクを可愛がってくれた。
 そんな時、王宮から、『星見のヒソク』を召喚するという連絡がきた。どうすればヒソクのしあわせになるのかを、何度も考えた。

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