無料公開
静かな声で答えたのは、シアンだった。兵は戸惑ったようにシアンと俺を見比べたが、結局は、俺を解放した。
シアンは部下に「ここは任せる」と言い残して、ぐいぐいと俺を引きずって歩いた。
正門から見えないところまでやってくると、シアンは舌打ちし、俺をにらんだ。
「カテドラルにいるのではなかったのか。黒の王に『星見のヒソク』だと気づかれたら、どうするつもりだ」
「それよりシアン様、診療所の場所をご存じですか!?」
シアンは「……それより?」とつぶやいて、俺の腕を離した。体勢を崩してひざをついたが、そのままの格好でシアンを見上げた。
「お願いします、教えてください。今すぐ行かなければならないのです」
「緑の王に会いに診療所へ乗り込むつもりか? そんなことはさせられない」
「妹なんです! ヒソクは俺の妹です」
シアンは視線をそらした。
「知っている。新しい王は本物の星見のヒソクだろうと、シャーから聞いていた」
つまり、俺には意図的に隠されていた。
砂漠に黒の兵があらわれたと告げた時から、青の王もシアンも、ヒソクのことを知っていた。
胸の内にもやもやと、濁った水がわき上がってくる。
声がふるえそうになるのを、必死にこらえた。
「意識がないなんて、妹はそれほど具合が悪いのでしょうか」
「緑の王はもうあなたの妹ではない。この国の5人目の王だ。家族といえども、臣下にすぎない。王の御身についてみだりにくちにすることは許されていないと、わきまえなさい」
取りつくしまもない言い草に、地面についていた手がふるふるとふるえた。
背筋をかけ抜けたのは、純粋な怒りだった。泣きだしたいほどの怒りだ。シアンの服に取りすがった。
「離せ」
「妹の居場所を教えてください」
静かにじっとその目をのぞき込む。シアンは色の薄い目を、しだいに大きくした。
頭の中がきりきりと引き絞られる。怒りのすべてを『声』に含めた。
「答えてください。診療所はどこにあるのです」
シアンは薄く開いたくちびるで、「むらさきの、」と言った。
「宮殿のうらてに」
ぐい、と頭を引きずられて、俺は地面に倒れ込んだ。強烈な目まいと、吐き気が襲ってくる。
「あ、うあ」
首をつかんで仰向けにされる。
「むやみにその力を使うなと言ったはずだぞ」
青の王は、ひやりとした声で言った。
月を背にしていたので表情までは読みとれなかったが、俺から離れた横顔は怒りを抑えきれず険しかった。青の王はシアンに近づいて、軽くほおを叩いた。
「シアン、無事か」
人の首をしめたあととは思えないくらい、穏やかに声をかける。シアンは小さくむせてから、「申し訳ありません」と詫びた。
「あれが、言っていた能力だ。今後は子どもだからとあなどるな」
「初代王と同じ能力なのですね……わかりました。気をつけます」
青の王は、シアンの肩にふれてから、俺をふり向いた。
「カテドラルからはどうやって抜け出した。見張りの兵を『声』で操ったか? それとも、ルリに手助けさせたのか」
「兵をたぶらかしました。まだ通路のあたりに倒れていると思います」
「たぶらかした?」
あからさまにうんざりした顔で、俺の腕を握りしめた。
「シアン、青の宮殿に連れ帰って、抜け出さないように見張りをつけておけ。侍従は身持ちのかたい女にしておけよ」
「待ってください! ヒソクに会わせてください」
「王が病に伏している時は、回復するまでは目通りがきかない決まりがある」
「そんな……!」
「だいいち、おまえが行ったところで何ができる? 余計なことをせず、医師に任せておけ」
「ヒソクは、そんなに悪いのですか? 目が見えないというのは本当なのですか」
青の王はなにも答えなかった。
沈黙が余計におそろしかった。無意識にきゅうっと両の指を握り合わせて、祈るようなかたちをとった。
「お願いします、ひとめでもいいんです。無事な姿を見たら、カテドラルに戻ります。抜け出したりもしません。だから、ヒソクと会わせてください」
組んでいた手は、かたかたとふるえた。
布からこぼれおちた小さな手が、頭に焼きついて離れない。不吉なものを予感させた。
「ついてこい」
青の王は言った。
「は、はい!」
「シャー、口約束をヒソク様が守られると思われますか」
シアンは横目で俺を見て、非難するようにそう言った。
「約束?」と、王は聞き返した。
「誓わせたところで、こいつが守ったためしがない。青の宮殿に連れ帰れば、大人しく部屋にいると思うか?」
俺は早足でふたりの横に並ぶと、「抜け出して、診療所を探します」と開き直って答えた。シアンはわなわなと肩をふるわせた。
「あなたらしくない、甘い処置だと思われませんか。あまりヒソク様を特別扱いされては、他への示しがつきませんよ」
俺がちらりとシアンを見つめたら、同時に青の王もシアンを見ていた。
シアンは視線に挟まれたことに気づいて、居心地の悪そうな顔をした。
「ヒソクを大人しくさせておきたいのなら、縛っておけ。手足が自由な限り、そいつはしたいようにするぞ。声を失った時ですら、黒の王に会いに行くのだからな」
「したいようになんて、なにもできていません。だけど、ヒソクのことだけは別です。なんだってします」
「そうだったな」
青の王が同意したので、俺は少し不思議だった。
診療所は、黒の宮殿と紫の宮殿の境目に建てられていた。近づくと、診療所の入口を守っていた黒の兵たちが気色ばんだ。
青の王は、「見舞いにきた」と、こともなげに伝えた。
「申し訳ありません。黒の王から、誰も中へは通さぬようにとの命を受けております」
「では今すぐ、セーブルをここへ呼べ」
不遜な態度に、兵たちは顔を見合わせた。
「早くしろ。パーディシャーを待たせたとわかれば、おまえたちの首も危ないぞ」
「パーディシャー……?」
「黒の兵の不敬は、黒の王の責任におよぶ。お優しいセーブルがおまえたちをどうするのかは、容易に想像がつくだろう」
兵たちはうろたえて、知らせに行くと言って走った。兵は3人もいて、俺は後ろ姿を見ながら、この場から逃げ出したなと悟った。
残った兵たちもどことなく落ちつかない様子で、ちらちらと仲間の去ったほうへと視線をやった。
「雨でも降り出しそうな空ですね」
シアンが静かな声で言った。ぎくりとした兵たちは、後ずさるように診療所の入口から、身体をずらした。
「中でお待ちください。黒の王がおいでになるまで、緑の王と話をすることはできません」
青の王とシアンは、兵の横を通り抜けて診療所に入った。俺もあわててあとに続いた。
薬品の匂いが鼻をつく。たくさんの部屋があったが、どこもおそろしいほどに静まり返っていた。
「ずいぶんと静かなところなのですね」
俺の言葉に、シアンがふり向かず答えた。
「緑の方を運び込むため、寝ていた者たちはよそへ出されたのです。緑の王には診療所の医師ではなく、緑の宮殿から呼ばれた、王の専属医が付き添っています」
最奥の部屋には、黒の侍従が数人待機していた。青の王に気づいて、頭を下げた。
部屋の中から、薬を煎じるように命じる声が投げかけられた。
「聞こえなかったのか? 薬を持ってくるように言っただろう」
医師とおぼしき老人があらわれた。頭を下げている侍従たちを見て、それをさせた男に視線をうつした。
「まさか、青の御方ですか? ここになんの用です」
歯並びが悪いせいなのか、きいきいと鳴るようなしゃべり方だった。
「おまえがマラカイトか。青の医師からうわさは聞いている。緑の医師は優秀だという話だな」
「わたしが聞いた話では、青の方は、他人のうわさになどご興味のない方のようだったが? それともよほど、他人の生き死にを見るのがお好きなのですか」
マラカイトの毒のある言い方に、シアンの顔が曇った。
青の王はそれを目で制して、「前王とはそりが合わないと聞いていたが、そうでもないようだな」と、言った。
俺は今さらのようにハッとした。緑の宮殿の専属医ならば、当然、ヴァート王の側近であったのだろう。
「忠義に厚いおまえのことだ。新しい王を任せても問題はないな」
わずかに老医師の視線が泳いだ。俺はその様子に不安が募って、くちを開いた。
「あの、緑の王は大丈夫なのでしょうか。すぐによくなるのですよね」
「あなたは? 青の侍従ですか」
シアンは部下に「ここは任せる」と言い残して、ぐいぐいと俺を引きずって歩いた。
正門から見えないところまでやってくると、シアンは舌打ちし、俺をにらんだ。
「カテドラルにいるのではなかったのか。黒の王に『星見のヒソク』だと気づかれたら、どうするつもりだ」
「それよりシアン様、診療所の場所をご存じですか!?」
シアンは「……それより?」とつぶやいて、俺の腕を離した。体勢を崩してひざをついたが、そのままの格好でシアンを見上げた。
「お願いします、教えてください。今すぐ行かなければならないのです」
「緑の王に会いに診療所へ乗り込むつもりか? そんなことはさせられない」
「妹なんです! ヒソクは俺の妹です」
シアンは視線をそらした。
「知っている。新しい王は本物の星見のヒソクだろうと、シャーから聞いていた」
つまり、俺には意図的に隠されていた。
砂漠に黒の兵があらわれたと告げた時から、青の王もシアンも、ヒソクのことを知っていた。
胸の内にもやもやと、濁った水がわき上がってくる。
声がふるえそうになるのを、必死にこらえた。
「意識がないなんて、妹はそれほど具合が悪いのでしょうか」
「緑の王はもうあなたの妹ではない。この国の5人目の王だ。家族といえども、臣下にすぎない。王の御身についてみだりにくちにすることは許されていないと、わきまえなさい」
取りつくしまもない言い草に、地面についていた手がふるふるとふるえた。
背筋をかけ抜けたのは、純粋な怒りだった。泣きだしたいほどの怒りだ。シアンの服に取りすがった。
「離せ」
「妹の居場所を教えてください」
静かにじっとその目をのぞき込む。シアンは色の薄い目を、しだいに大きくした。
頭の中がきりきりと引き絞られる。怒りのすべてを『声』に含めた。
「答えてください。診療所はどこにあるのです」
シアンは薄く開いたくちびるで、「むらさきの、」と言った。
「宮殿のうらてに」
ぐい、と頭を引きずられて、俺は地面に倒れ込んだ。強烈な目まいと、吐き気が襲ってくる。
「あ、うあ」
首をつかんで仰向けにされる。
「むやみにその力を使うなと言ったはずだぞ」
青の王は、ひやりとした声で言った。
月を背にしていたので表情までは読みとれなかったが、俺から離れた横顔は怒りを抑えきれず険しかった。青の王はシアンに近づいて、軽くほおを叩いた。
「シアン、無事か」
人の首をしめたあととは思えないくらい、穏やかに声をかける。シアンは小さくむせてから、「申し訳ありません」と詫びた。
「あれが、言っていた能力だ。今後は子どもだからとあなどるな」
「初代王と同じ能力なのですね……わかりました。気をつけます」
青の王は、シアンの肩にふれてから、俺をふり向いた。
「カテドラルからはどうやって抜け出した。見張りの兵を『声』で操ったか? それとも、ルリに手助けさせたのか」
「兵をたぶらかしました。まだ通路のあたりに倒れていると思います」
「たぶらかした?」
あからさまにうんざりした顔で、俺の腕を握りしめた。
「シアン、青の宮殿に連れ帰って、抜け出さないように見張りをつけておけ。侍従は身持ちのかたい女にしておけよ」
「待ってください! ヒソクに会わせてください」
「王が病に伏している時は、回復するまでは目通りがきかない決まりがある」
「そんな……!」
「だいいち、おまえが行ったところで何ができる? 余計なことをせず、医師に任せておけ」
「ヒソクは、そんなに悪いのですか? 目が見えないというのは本当なのですか」
青の王はなにも答えなかった。
沈黙が余計におそろしかった。無意識にきゅうっと両の指を握り合わせて、祈るようなかたちをとった。
「お願いします、ひとめでもいいんです。無事な姿を見たら、カテドラルに戻ります。抜け出したりもしません。だから、ヒソクと会わせてください」
組んでいた手は、かたかたとふるえた。
布からこぼれおちた小さな手が、頭に焼きついて離れない。不吉なものを予感させた。
「ついてこい」
青の王は言った。
「は、はい!」
「シャー、口約束をヒソク様が守られると思われますか」
シアンは横目で俺を見て、非難するようにそう言った。
「約束?」と、王は聞き返した。
「誓わせたところで、こいつが守ったためしがない。青の宮殿に連れ帰れば、大人しく部屋にいると思うか?」
俺は早足でふたりの横に並ぶと、「抜け出して、診療所を探します」と開き直って答えた。シアンはわなわなと肩をふるわせた。
「あなたらしくない、甘い処置だと思われませんか。あまりヒソク様を特別扱いされては、他への示しがつきませんよ」
俺がちらりとシアンを見つめたら、同時に青の王もシアンを見ていた。
シアンは視線に挟まれたことに気づいて、居心地の悪そうな顔をした。
「ヒソクを大人しくさせておきたいのなら、縛っておけ。手足が自由な限り、そいつはしたいようにするぞ。声を失った時ですら、黒の王に会いに行くのだからな」
「したいようになんて、なにもできていません。だけど、ヒソクのことだけは別です。なんだってします」
「そうだったな」
青の王が同意したので、俺は少し不思議だった。
診療所は、黒の宮殿と紫の宮殿の境目に建てられていた。近づくと、診療所の入口を守っていた黒の兵たちが気色ばんだ。
青の王は、「見舞いにきた」と、こともなげに伝えた。
「申し訳ありません。黒の王から、誰も中へは通さぬようにとの命を受けております」
「では今すぐ、セーブルをここへ呼べ」
不遜な態度に、兵たちは顔を見合わせた。
「早くしろ。パーディシャーを待たせたとわかれば、おまえたちの首も危ないぞ」
「パーディシャー……?」
「黒の兵の不敬は、黒の王の責任におよぶ。お優しいセーブルがおまえたちをどうするのかは、容易に想像がつくだろう」
兵たちはうろたえて、知らせに行くと言って走った。兵は3人もいて、俺は後ろ姿を見ながら、この場から逃げ出したなと悟った。
残った兵たちもどことなく落ちつかない様子で、ちらちらと仲間の去ったほうへと視線をやった。
「雨でも降り出しそうな空ですね」
シアンが静かな声で言った。ぎくりとした兵たちは、後ずさるように診療所の入口から、身体をずらした。
「中でお待ちください。黒の王がおいでになるまで、緑の王と話をすることはできません」
青の王とシアンは、兵の横を通り抜けて診療所に入った。俺もあわててあとに続いた。
薬品の匂いが鼻をつく。たくさんの部屋があったが、どこもおそろしいほどに静まり返っていた。
「ずいぶんと静かなところなのですね」
俺の言葉に、シアンがふり向かず答えた。
「緑の方を運び込むため、寝ていた者たちはよそへ出されたのです。緑の王には診療所の医師ではなく、緑の宮殿から呼ばれた、王の専属医が付き添っています」
最奥の部屋には、黒の侍従が数人待機していた。青の王に気づいて、頭を下げた。
部屋の中から、薬を煎じるように命じる声が投げかけられた。
「聞こえなかったのか? 薬を持ってくるように言っただろう」
医師とおぼしき老人があらわれた。頭を下げている侍従たちを見て、それをさせた男に視線をうつした。
「まさか、青の御方ですか? ここになんの用です」
歯並びが悪いせいなのか、きいきいと鳴るようなしゃべり方だった。
「おまえがマラカイトか。青の医師からうわさは聞いている。緑の医師は優秀だという話だな」
「わたしが聞いた話では、青の方は、他人のうわさになどご興味のない方のようだったが? それともよほど、他人の生き死にを見るのがお好きなのですか」
マラカイトの毒のある言い方に、シアンの顔が曇った。
青の王はそれを目で制して、「前王とはそりが合わないと聞いていたが、そうでもないようだな」と、言った。
俺は今さらのようにハッとした。緑の宮殿の専属医ならば、当然、ヴァート王の側近であったのだろう。
「忠義に厚いおまえのことだ。新しい王を任せても問題はないな」
わずかに老医師の視線が泳いだ。俺はその様子に不安が募って、くちを開いた。
「あの、緑の王は大丈夫なのでしょうか。すぐによくなるのですよね」
「あなたは? 青の侍従ですか」