5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 夢で良かった。夢の中でも、俺はやっぱりおまえがそばにいないと、ダメだった。そばでヒソクが笑っていないと、生きる意味がないんだ。
 記憶の始まる時から一緒にいたから、もうどうやってひとりで生きたらいいのかわからない。おまえが笑えばしあわせになったし、いやな思いをさせるくらいなら俺はすべてを投げ出しても良かった。守ることが生きる意味だった。
 ヒソク、今どこにいる。
 ふいに目の前が燃えるような赤に染まった。
「大丈夫か」
 聞きなれない男の声に、俺はハッとして飛び起きた。
「俺……」
 身体はぬれて冷え切っていた。見上げれば、木の葉から雨粒が落ちてきて、透明な星が降ってくるようだった。
 男はガラス製の筒を、雨のあたらないところにそっと置いた。取っ手がついた筒の中で、火が赤々と燃えていた。寝ている間に、目の前にかざされたのは、その火筒に違いなかった。
「うなされていた。つらい夢でも見たのか?」
 そっとほおをぬぐわれて、俺は涙を流していたことに気がついた。
 顔が赤くなるのを感じた。赤の宮殿に忍び込んだ挙句、雨の中で眠りこけていたことを思えば、恥ずかしくて身の置き場もなかった。
 男は心配そうに俺の顔をのぞき込んでいる。砂色の髪は子どもみたいに外側にはねていて、同じ色の瞳は優しかった。
「ギュールズ王」
「なんだ、俺のことを知っていたんだ。君は調理場で働いていた子だね。こんなところでどうしたの」
「あなたに、会いに」
 くちにしてからハッとした。
 赤の王はきょとんとして俺を見つめた。俺はあわてて、「申し訳ありません」と謝った。
「怪我を負われたと聞き、ご病状だけでもうかがいたくて、赤の宮殿に忍び込みました。お許しください」
「それでどうしてここに?」
「え……あの。赤の宮殿が広くて、赤の方のお部屋がどこかわかりませんでした」
「それで?」
「えっと、それで星がきれいで見上げていたら」
「いつの間にか寝ていた?」
 ためらいながら、「はい」と答えた。
「はは、見つけたのが俺で良かったな。忍び込んだのが、無駄にならずに済んだ」
 くったくなく笑うのに、ぽかんと見とれていたら、赤の王は「痛てて」と、わき腹を押さえた。
「だ、大丈夫ですか」
「しまった、ふさいだばかりなのを忘れていた」
「ええ?」
「たいした傷じゃない。そう、ハクにも伝えてくれないか。しばらく、会いに行くこともできそうにないし、心配をかけてすまないと伝えてほしい。親代わりのような男なんだ」
「俺がここに来たのは、ハクさんとはなんの関係もありません」
 ハクにも責任があると誤解されたくなくて、首を横にふった。
 赤の王はちょっと瞬きをして、「ん?」と首をかしげた。
「君とは1度しか会ってないけれど、俺の様子を見るために、こんな真夜中に兵の目をくぐりぬけてきたの? 許可なく宮殿に入ると、処罰の対象になるんだけれど」
 処罰という言葉にぎくりとしたが、こぶしを握りしめた。
「1度きりしか会っていなければ、心配することも許されないのでしょうか。食事にも手をつけられていないようでしたし、ひどいお怪我なのではないですか?」
 開き直ってそう言った。
「ああ、俺の食事、君が用意してくれてたんだ。アイスクリームがあったからそうかと思ったんだ。側近が見たこともない食事だと言って、毒見をしている間に溶けてしまった」
 赤の王は、「もったいないことをした。めずらしい菓子をたくさん食べられる機会だったのに」と、ほほえんだ。
 だけど、残されていた食事はそれだけではなかった。前に会った時より、ほおがこけて、くちびるが荒れていた。
「また、アイスクリームを作ったら食べていただけますか? 食べたいものをおっしゃっていただければ、なんでも作ります」
 様子をうかがうように尋ねた。
「せっかく用意してくれたのに、食事をとらなかったのは悪かった」
 眉尻を下げて素直に謝った。そうすると、まるで親に叱られた子どものようだった。
「怪我をした時は、なにか召し上がらないと、傷の治りも遅いのですよ」
 ついそう諭してしまう。
「バーガンディーにも、そう言われて怒られている」と、弱りきった様子で答えた。
 けれど、食べない理由は教えてくれなかった。無理に食べさせることはできず、俺は小さくため息をついて、「わかりました」と言った。
「すまない」
「明日はアイスクリームを作ります」
「……は?」
 赤の王の、少し吊りぎみの大きな瞳が、まんまるになった。
「それから明後日は、レモンの皮と砕いた氷を入れて、酸っぱいアイスクリームを作ります。菓子を作るのは得意なので、毎日違うものを届けてもらいますね」
 言葉もなくなった赤の王に、俺は真面目な顔で続けた。
「バーガンディー様に頼まれているから、食事をご用意しないわけにはいきません。ながめるだけで、食べなければ、ギュールズ王の意志にも反さないし、問題ありませんよね」
「ながめるだけ?」
「はい。昼ご飯には、米と味付けした鶏肉を、葉でくるんで蒸したものをご用意します。もちもちしていて美味しいですよ。夜は小麦を練って、麺を作りましょうか。麺が伸びてしまうから、王宮ではめったにお出ししないのですよね。香草で香りづけした汁に浸して、熱いうちに食べるのが美味しいんです」
 赤の王はぱちぱちと瞬きした。
 なにか言い返そうとしたようだったけれど、結局、「聞いているだけで腹が減りそうだ」と、言った。
 それから、困ったように笑顔になったので、俺もにっこりとした。
「美味しいものを食べたら、元気になります。よく熱を出して寝込んでいた妹にも言い聞かせてました」
「君の妹なら、ずいぶんと幼いのだろう」
「10歳です」
 赤の王はまた吹き出した。
「まあ、そう言われても仕方ないな。責務を放り出して、こんなところに逃げ込んでいるようじゃ、王なんていやだと逃げ出していた子どもの頃と、そう違いない」
「──いやだったのですか?」
 意外に思って尋ねると、彼は「子どもの頃は」と答えた。
「秘密にできるか」
「ひみつ、ですか?」
「王になるのがいやだと言うのは、許されないことだから」
 そう言って、少しさびしそうにほほえんだ。
「ティンクチャーがあるだけで、ただの子どもだ。大人たちから毎日、王史だの政治だの言い聞かされても、ぴんとこなかったし、早く母のところに帰りたかった」
「あの、たしか、王の許可があれば、家族を王宮に呼び寄せられるのではないのでしょうか。そう聞いておりますけれど」
 おぼろげな記憶を思い返してみる。
「母は赤の宮殿には住めないんだ」
「え、どうしてですか」
 おどろいて尋ねれば、「王をかくまったから」と答えがあった。
「ティンクチャーのしるされた者は、すみやかに王宮に申し出なければならないし、それを知った者も引き渡す義務がある。王をかくすのは重罪だ。母は2歳だった俺を、王宮に引き渡すのがいやで逃げた」
 くらくらした。俺には、赤の王の母親の気持ちが理解できた。話の先を聞くのが怖かった。
「母は無事だよ。ファウンテンが解放してくれた。俺とは、二度と会わないことを条件にして」
「会わないことを? では、それ以来、一度も会っていないのですか」
「大丈夫、母は元気に生きているよ。今は家庭を築いて、子どももいると聞いている」
 しあわせそうにほほえむから、なんだか胸が苦しくなった。
「宮殿は、さびしいですか」
「それを俺に尋ねるのは、君がさびしいと思うから?」
 急な問いかけに、俺は言葉を失った。
 赤の王は、座っているのに疲れたのか、先ほどの俺のようにごろりと横になった。
 けだるそうなので、熱があるのかもしれない。そっとてのひらをひたいにあてた。赤の王は、俺に手をどけるようには言わず、「また星が出ている」と言った。
 俺はつられて空を見上げた。雨があがり、一段と星が美しく輝いて見えた。
「王宮はさびしくはないよ。あの頃は気づけなかっただけで、みな優しかった。王になるのが運命だというのなら、しなくてはならないことも見つけられた」
「民を守る、王になる?」
「ハクだな。子どものくせに、不相応な望みだと笑われたよ」と、苦笑いした。
「確かに、まだなにも叶えていない」
「南方の民は、豊かな暮らしをしていると聞きました。領地の民がしあわせなら、もう願いは叶っているのではないのですか」
「あそこはもともと気候がよく、食物がたくさん取れる土地だ。他国への出荷と引きかえに、めずらしいものも手に入るから、他の領土との取引にも使える。俺の功績ではないよ」
「でも、鉄製の農機具が増えて、農業がいっそう発展したのは、赤の王の功績なのですよね。南方の隣にあるビレットは銀が取れない国だから、銀を輸出してかわりに鉄を大量に輸入していると聞きました」
 赤の王は、「え」と言って、身体を起こした。
「あれ、違いましたか?」
「いや、その通りだ。すまない、まだ子どもだと思っていたから驚いた。どこでその話を?」

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