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「これは星見の者よ。よくいらした。そのようなところで立っていないで、座られたらどうですか」
俺はこくりとつばを飲み込むと、セーブルのそばに近づいた。
部屋には机などはなく、少し間をあけて、セーブルの向かいに腰を下ろした。頭を下げて、紙をさしだした。
『お話ししたいことがあります。のどを痛め、声が出ないため、侍女を呼んでもかまいませんか』
セーブルはそれを声に出して読んで、それからちらりと俺を見た。
「かまいませんよ。入ってきなさい」
侍女は俺のかたわらにひざまずき、「ヒソク様のかわりにお話をさせていただきます」と言った。
「先日お会いした時は、そのようなことはなかったはずですが、どういった理由で、言葉を失ってしまったのか、興味がありますね」
セーブルはそう言って、意味深な目を向けた。
俺は服の襟元をぐっとひらいて、のどの傷を見せた。
黒の兵のつけた傷跡を見て、「まさか、その傷が原因だとでも?」と、うすら笑った。
本気で信じ込ませることができなくても良かった。原因をあいまいにさせる効果を狙っただけだった。
正直に、精神的に弱いと知らせることは、話をすすめる上で不利になるかもしれないからだ。
「お話とは、声が出なくなった恨み言でしょうか?」
セーブルは興味が失せた様子だった。俺は文字を書き、侍女に渡した。侍女がそれを読みあげた。
「傷のことで、黒の方に不平を言うつもりはありません。こちらには、術師が多く住まわれているとうかがいました。彼らは、どのようなことができるのですか?」
「ほう。同じ術師として、他の王に仕える術師のことが気になると?」
「星見とは学士のような者です。けれど、わたしは星について勉強などしていません。生まれた時から、身についていた能力です」
セーブルをじっと見た。
「黒の王は、カーマイン様にご興味がおありとうかがいました。不思議な能力を持つ術師を欲しているということでしょうか」
「星見殿のおっしゃるように、私は術師になみなみならぬ興味がある。私がとくに興味があるのは、これから起こることを予言する、サキヨミです」
「いま、黒の宮殿にいるサキヨミには、満足しておられますか」
「それはどういう意味で?」
「わたしの力が、彼らよりも高ければ、黒の宮殿で召し上げてもらえないでしょうか」
意外な申し出であったらしく、セーブルはしばらく返事を返さなかった。
それから、「はっ」と鼻で笑った。
「赤の王に続き、この私までたぶらかそうという魂胆ですか。それとも、なにか私から手に入れようというおつもりで?」
「ふさわしい地位をいただければ、それでかまいません」
セーブルは疑り深く、俺を見つめた。
「今日の貴方は、この間とは違い、ふるえているだけの子どもではない。悪くありませんね、教えてあげましょう。かつての王たちはみな常人にはない能力を持ち、初代に至っては人の心を操る王までいました」
「黒の王がおそばに術師を置かれるのは、古代王の力を感じたいからなのでしょうか?」
「そんなあいまいな望みではありません。神の血は、神の血を持つ者と交わることで強くなるのです」
「神の血を持つ者?」
「ふふ、術師のことですよ。不思議な力を持つ術師は、王と同じで、オーアの血が流れていると言われています」
俺は驚いた。
「だからこそ、青の王も『星見のヒソク』を求めたのです。強い力を持つ者と交われば、より神の力は濃くなる。ヒソクの名を聞いたのは私のほうが早かったのに、黒の兵を出し抜いた」
声には、苛立ちが含まれていた。
俺は機を逃さぬよう、「では、青の王を見返すよい機会ですね」と言った。
セーブルの細い目が、いっそうに険しくなる。
「どうも、星見殿のことがわからない。なにが狙いです」
「お疑いなら、術師を連れてきて、わたしの魂胆がなにかを、視させればいいでしょう」
「黒の宮殿の術師に、能力があるかを確かめにきたのですか。青の王も、ずいぶんと危険なことをされる」
「青の王はこのことを知りません。わたしは青の王のもとを離れたいだけです。あのように、疑い深い王のもとでは、わたしの力は活かすことができません。セーブル様は、わたしには興味がございませんか?」
目を細めて誘えば、セーブルは手にした酒をあおった。それから、俺の胸元を指さした。
「他の王のティンクチャーを持つ者を抱くと、死ぬと言われている。そのことはご存じですか?」
「──え」
「王にしか知らされていない、王宮の禁忌です。王同士はもちろんのこと、違う色のティンクチャーを持つ者を抱くことはできない。これは、初代パーピュアをめぐる呪いとも言われています」
「初代パーピュア王?」
一番小さな銀貨を思い出した。
細かく波打つ、長い髪を持っていた。真珠のような小さな粒が、髪にいくつもちりばめられていて、女性のようにも見えた。
「男でありながらその美しさは女神のようであったと言われています。アメジストの瞳に金の髪、真っ白な肢体は他の王をただの男にかえてしまい、彼らは女に目をくれることもなく、紫の王の虜になった。血を遺す義務すら忘れた時に、何千年と受け継がれる呪いは生まれた。神の怒りともいえるでしょう」
セーブルは白い顔に、下卑た笑みを浮かべた。
「禁忌をやぶればどちらも死ぬ。今では呪いの効力が弱まったのか、片方だけが死ぬ場合もあるようですけれどね」
そう言って、くつくつと笑い出した。
「青の王に尋ねればいい。詳しく教えてくれますよ」
不意に腕をのばして俺の胸にふれた。ぐいっと服をはだけさせられたので、俺の隣で、侍女が息をのんだ。
「四十日後」
セーブルは言った。
「星見のヒソクを取り返されたと知ったら、青の王は一体、どんな顔をするでしょうね」
くちぶりから、『星見のヒソク』を、もともと自分の物と思っているとわかった。悪くない話に、俺はほほえんだ。片手で紙に書きつけて、そのままセーブルに見せる。
『能力を持つ者が国外にいれば、捕まえにいくこともあるのですか? ビレットであっても?』
セーブルは紙を奪うと、自分の席に戻った。
「どこでその話を?」
さきほどまでの上機嫌とは打って変わって、いぶかしげに俺をにらんだ。
「青の宮殿では、黒の軍の動きまで把握しているのですか」
俺は黙って見つめ返した。
星見としての能力のない俺が、セーブルに取り入るのなら、はったりしかなかった。
「本日はこれで退散いたします。星見として召し上げるおつもりになったら、お呼びください」
俺は席を立った。
セーブルの反応で、間違いなくビレットに兵を送ったという確信を得た。胸がふるえるのを、必死に抑える。
砂漠に来た男たちは、黒い甲冑を身につけ、灰色のマントをはためかせて去っていった。マントにしるされた模様は、ティンクチャーと同じだった。
あれがただの盗賊ではなく、黒の兵なのだとしたら、戻ってくるのは黒の宮殿しかありえない。
なんとしてでも、ヒソクが連れてこられる前に、黒の宮殿に入りこまなければならない。青いティンクチャーが消える、四十日も待てなかった。
「セーブル様、外に行けば、おもしろいものをお見せできますよ」
セーブルは俺のあとについて、廊下に出た。俺は、庭園へと降りたった。黒の宮殿の庭園からは、南側の街が臨めた。
「こんなところになにがあるのです」
いかずちです、と俺はくちの形だけでそう言った。
「いかずち? 星見殿はこの青空が見えないのですか。見てみなさい、雲ひとつないでしょう」
セーブルはくだらない遊びに付き合わされたと知って、眉をひそめた。
俺は眼下に広がる街をながめた。
抜けるような青い空が、突然強い光をはなった。轟音とともに、青白い炎が街に落ちた。
遠くの街にも同じことが起こっていた。鋭い杭を打ったようないかずちの道は、南方のさらに先、ベンド砂漠に続いている。
砂漠の夢だ。いく筋もの雷が落ちた時、それはヒソクの消えた方角に、向かってつらなっていた。砂漠から王宮の方角へ、滝のような雷が落ちた。
雷鳴が、何かを知らせるように響く。セーブルはらんらんと輝く瞳で、俺を見つめていた。
俺は黒の宮殿をあとにした。カテドラルを通りすぎる途中で、王宮の正門に続く道に目をやると、シアンが兵を引き連れて出て行くのに気づいた。
シアンも俺に気がついて、それから意外な場所にいる俺に目をとめて眉をひそめたので、声をかけられる前に足早にその場をあとにした。
青の宮殿に足を踏み入れても、やはりいかずちの話は皆をにぎわしているようだった。
「姫さん!」と、声をかけられる。
廊下の下に、ハクがいた。
「無事で良かった。急に調理場に来なくなったものだから、心配しましたよ」
俺は困って、ハクを安心させるようにほほえんだ。
侍女をふり向いて、紙をもらった。
『なんでもありません。心配かけてごめんなさい』と書きつけて、ハクに見せた。ハクは紙と俺を見比べて、「どうしたんです」と言った。
「ヒソク様は声を失われています」
侍女が代わりに答えた。
「そりゃ、しゃべれないってことですか?」
驚いたハクは俺の肩をつかんだ。
「やはり、ひどい目にあったんですね。あたしがギル様のことを姫さんに言ったりしなければ良かった」
俺はこくりとつばを飲み込むと、セーブルのそばに近づいた。
部屋には机などはなく、少し間をあけて、セーブルの向かいに腰を下ろした。頭を下げて、紙をさしだした。
『お話ししたいことがあります。のどを痛め、声が出ないため、侍女を呼んでもかまいませんか』
セーブルはそれを声に出して読んで、それからちらりと俺を見た。
「かまいませんよ。入ってきなさい」
侍女は俺のかたわらにひざまずき、「ヒソク様のかわりにお話をさせていただきます」と言った。
「先日お会いした時は、そのようなことはなかったはずですが、どういった理由で、言葉を失ってしまったのか、興味がありますね」
セーブルはそう言って、意味深な目を向けた。
俺は服の襟元をぐっとひらいて、のどの傷を見せた。
黒の兵のつけた傷跡を見て、「まさか、その傷が原因だとでも?」と、うすら笑った。
本気で信じ込ませることができなくても良かった。原因をあいまいにさせる効果を狙っただけだった。
正直に、精神的に弱いと知らせることは、話をすすめる上で不利になるかもしれないからだ。
「お話とは、声が出なくなった恨み言でしょうか?」
セーブルは興味が失せた様子だった。俺は文字を書き、侍女に渡した。侍女がそれを読みあげた。
「傷のことで、黒の方に不平を言うつもりはありません。こちらには、術師が多く住まわれているとうかがいました。彼らは、どのようなことができるのですか?」
「ほう。同じ術師として、他の王に仕える術師のことが気になると?」
「星見とは学士のような者です。けれど、わたしは星について勉強などしていません。生まれた時から、身についていた能力です」
セーブルをじっと見た。
「黒の王は、カーマイン様にご興味がおありとうかがいました。不思議な能力を持つ術師を欲しているということでしょうか」
「星見殿のおっしゃるように、私は術師になみなみならぬ興味がある。私がとくに興味があるのは、これから起こることを予言する、サキヨミです」
「いま、黒の宮殿にいるサキヨミには、満足しておられますか」
「それはどういう意味で?」
「わたしの力が、彼らよりも高ければ、黒の宮殿で召し上げてもらえないでしょうか」
意外な申し出であったらしく、セーブルはしばらく返事を返さなかった。
それから、「はっ」と鼻で笑った。
「赤の王に続き、この私までたぶらかそうという魂胆ですか。それとも、なにか私から手に入れようというおつもりで?」
「ふさわしい地位をいただければ、それでかまいません」
セーブルは疑り深く、俺を見つめた。
「今日の貴方は、この間とは違い、ふるえているだけの子どもではない。悪くありませんね、教えてあげましょう。かつての王たちはみな常人にはない能力を持ち、初代に至っては人の心を操る王までいました」
「黒の王がおそばに術師を置かれるのは、古代王の力を感じたいからなのでしょうか?」
「そんなあいまいな望みではありません。神の血は、神の血を持つ者と交わることで強くなるのです」
「神の血を持つ者?」
「ふふ、術師のことですよ。不思議な力を持つ術師は、王と同じで、オーアの血が流れていると言われています」
俺は驚いた。
「だからこそ、青の王も『星見のヒソク』を求めたのです。強い力を持つ者と交われば、より神の力は濃くなる。ヒソクの名を聞いたのは私のほうが早かったのに、黒の兵を出し抜いた」
声には、苛立ちが含まれていた。
俺は機を逃さぬよう、「では、青の王を見返すよい機会ですね」と言った。
セーブルの細い目が、いっそうに険しくなる。
「どうも、星見殿のことがわからない。なにが狙いです」
「お疑いなら、術師を連れてきて、わたしの魂胆がなにかを、視させればいいでしょう」
「黒の宮殿の術師に、能力があるかを確かめにきたのですか。青の王も、ずいぶんと危険なことをされる」
「青の王はこのことを知りません。わたしは青の王のもとを離れたいだけです。あのように、疑い深い王のもとでは、わたしの力は活かすことができません。セーブル様は、わたしには興味がございませんか?」
目を細めて誘えば、セーブルは手にした酒をあおった。それから、俺の胸元を指さした。
「他の王のティンクチャーを持つ者を抱くと、死ぬと言われている。そのことはご存じですか?」
「──え」
「王にしか知らされていない、王宮の禁忌です。王同士はもちろんのこと、違う色のティンクチャーを持つ者を抱くことはできない。これは、初代パーピュアをめぐる呪いとも言われています」
「初代パーピュア王?」
一番小さな銀貨を思い出した。
細かく波打つ、長い髪を持っていた。真珠のような小さな粒が、髪にいくつもちりばめられていて、女性のようにも見えた。
「男でありながらその美しさは女神のようであったと言われています。アメジストの瞳に金の髪、真っ白な肢体は他の王をただの男にかえてしまい、彼らは女に目をくれることもなく、紫の王の虜になった。血を遺す義務すら忘れた時に、何千年と受け継がれる呪いは生まれた。神の怒りともいえるでしょう」
セーブルは白い顔に、下卑た笑みを浮かべた。
「禁忌をやぶればどちらも死ぬ。今では呪いの効力が弱まったのか、片方だけが死ぬ場合もあるようですけれどね」
そう言って、くつくつと笑い出した。
「青の王に尋ねればいい。詳しく教えてくれますよ」
不意に腕をのばして俺の胸にふれた。ぐいっと服をはだけさせられたので、俺の隣で、侍女が息をのんだ。
「四十日後」
セーブルは言った。
「星見のヒソクを取り返されたと知ったら、青の王は一体、どんな顔をするでしょうね」
くちぶりから、『星見のヒソク』を、もともと自分の物と思っているとわかった。悪くない話に、俺はほほえんだ。片手で紙に書きつけて、そのままセーブルに見せる。
『能力を持つ者が国外にいれば、捕まえにいくこともあるのですか? ビレットであっても?』
セーブルは紙を奪うと、自分の席に戻った。
「どこでその話を?」
さきほどまでの上機嫌とは打って変わって、いぶかしげに俺をにらんだ。
「青の宮殿では、黒の軍の動きまで把握しているのですか」
俺は黙って見つめ返した。
星見としての能力のない俺が、セーブルに取り入るのなら、はったりしかなかった。
「本日はこれで退散いたします。星見として召し上げるおつもりになったら、お呼びください」
俺は席を立った。
セーブルの反応で、間違いなくビレットに兵を送ったという確信を得た。胸がふるえるのを、必死に抑える。
砂漠に来た男たちは、黒い甲冑を身につけ、灰色のマントをはためかせて去っていった。マントにしるされた模様は、ティンクチャーと同じだった。
あれがただの盗賊ではなく、黒の兵なのだとしたら、戻ってくるのは黒の宮殿しかありえない。
なんとしてでも、ヒソクが連れてこられる前に、黒の宮殿に入りこまなければならない。青いティンクチャーが消える、四十日も待てなかった。
「セーブル様、外に行けば、おもしろいものをお見せできますよ」
セーブルは俺のあとについて、廊下に出た。俺は、庭園へと降りたった。黒の宮殿の庭園からは、南側の街が臨めた。
「こんなところになにがあるのです」
いかずちです、と俺はくちの形だけでそう言った。
「いかずち? 星見殿はこの青空が見えないのですか。見てみなさい、雲ひとつないでしょう」
セーブルはくだらない遊びに付き合わされたと知って、眉をひそめた。
俺は眼下に広がる街をながめた。
抜けるような青い空が、突然強い光をはなった。轟音とともに、青白い炎が街に落ちた。
遠くの街にも同じことが起こっていた。鋭い杭を打ったようないかずちの道は、南方のさらに先、ベンド砂漠に続いている。
砂漠の夢だ。いく筋もの雷が落ちた時、それはヒソクの消えた方角に、向かってつらなっていた。砂漠から王宮の方角へ、滝のような雷が落ちた。
雷鳴が、何かを知らせるように響く。セーブルはらんらんと輝く瞳で、俺を見つめていた。
俺は黒の宮殿をあとにした。カテドラルを通りすぎる途中で、王宮の正門に続く道に目をやると、シアンが兵を引き連れて出て行くのに気づいた。
シアンも俺に気がついて、それから意外な場所にいる俺に目をとめて眉をひそめたので、声をかけられる前に足早にその場をあとにした。
青の宮殿に足を踏み入れても、やはりいかずちの話は皆をにぎわしているようだった。
「姫さん!」と、声をかけられる。
廊下の下に、ハクがいた。
「無事で良かった。急に調理場に来なくなったものだから、心配しましたよ」
俺は困って、ハクを安心させるようにほほえんだ。
侍女をふり向いて、紙をもらった。
『なんでもありません。心配かけてごめんなさい』と書きつけて、ハクに見せた。ハクは紙と俺を見比べて、「どうしたんです」と言った。
「ヒソク様は声を失われています」
侍女が代わりに答えた。
「そりゃ、しゃべれないってことですか?」
驚いたハクは俺の肩をつかんだ。
「やはり、ひどい目にあったんですね。あたしがギル様のことを姫さんに言ったりしなければ良かった」