5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 目がさめるような青色の刻印は、ひどく不気味に思えた。
「ティンクチャーといって、王の所有物になった証だ。抱いた直後はくっきりとしているが、だんだんと薄れて四十日ほどで消える。他の王がこれに触れれば、反逆とみなされる」
 そう言って、確かめるように強く羽をなぞるので、俺は痛みにうめいた。火傷のようにひりひりしていた。
「しるしの消えた女は白の女といって、誰に手をつけられてもかまわない存在になる。誰かれかまわず抱かれるのが嫌なら、青の術師としてそれらしくふるまうことだ」
「術師……?」
 突拍子もない言葉に耳を疑い、思わずかすれた声を上げた。
 部屋の四隅にしつらえた明かりのせいで、寝台に腰かけた青の王の顔は、ちらちらと火の光であぶられた。
「おまえはこれから星見を名乗り、青の術師ヒソクとして生きろ。ヒソクが女だと知る者など、王宮にはいない。おまえが言い張れば、なんとでもなる」
「ヒソクとして?」
「そうだ。妹の名で」
「あの……シャー、俺には妹のような能力はありません。先のことはわからないし、遠くのものを見ることもできないのに、星見のふりをするなんて無理です」
「無理かどうかではなく、妹の命にかけてやり通せ。妹を助けられれば、死すらおそろしくないと言った。その約束を果たすのが、おまえの務めだ」
「やりとげれば、妹は見逃していただけますか」
 青の王は、酷薄にほほえんだ。
「そういう、さかしい物言いは私の好みではない。覚えておけ、私の機嫌をそこねて痛い思いをするのは、おまえのほうだ。しるしが消える前に抱きにくるから、そのつもりでいろ」
 青の王はそれだけ言うと、部屋の隅に待機していた侍従に、「水を浴びにいく」と声をかけた。
 男の背には、細い筋肉がいく筋にも浮き上がっていた。後ろ姿を目で追いながら、俺は「ヒソクになる」とつぶやいた。
 幼くて可愛らしい妹は、甘ったれた声でいつも俺を、「セージ」と呼ぶ。
 俺は目を閉じて、布を頭まで引っぱりあげた。


 ゆり起こされて目が覚めた。シアンが侍従に「これに着替えさせてくれ」と、命じているところだった。
「自分でできます」
 気力をふりしぼって身体を起こした。べたべたした情交のあとは拭きとられていたが、それでも裸を見られるのは気まずいものだった。
 シアンの無表情からは、どう思っているかなにもわからなかったが、胸元のティンクチャーに視線をやったのには気づいた。
 侍従が運んできたのは見たこともない上等な服で、どうやって着たらいいのか戸惑ってしまう。
 もたもたとヒモを結んでいると、侍従が控えめに手伝ってくれた。刺繍のされた、厚手の上着を羽織らされる。両手首にも青い石をちりばめた、大ぶりな腕輪をつけた。
 自分でやると言ったくせにと、言われるかと思い、こっそりシアンを見た。
 彼は袖の長い服を着て、腰には宝石のついたベルトを巻いていた。浮わついたところがみじんもない無表情だが、華やかな格好がよく似合っていた。
「なにかあるのですか?」
「私と一緒にファウンテンに行ってもらいます。余計なことは言わないようにしなさい」
「ファウンテン?」
 耳慣れない言葉だった。
「この国の司法機関で、裁判をとりしきるところです。緑の方が殺された件を協議する。あなたは、その証人です」
「シャーは緑の方を殺したことで、罰を受けるのでしょうか」
 シアンは俺を見た。俺より10歳は歳上のようだが、冷たいほど整った顔を見たら、もっと上なのかもしれないとも思った。
 青の王ににらまれるくらいの威圧感を、感じた。
「羽のティンクチャーがある者は、王の女と言われる。他の王の女に手を出せば、緑の方であっても厳罰は免れない。ファウンテンでも、形式的な取り調べをするだけにとどまるでしょう」
「俺にこのしるしがあれば、大丈夫ということですか」
「おそらく」
「では、シャーはそのために、俺を抱いたのですか?」
 シアンは俺の質問自体が存在しなかったかのように、「ファウンテンでは自身のことを、わたしと呼ぶように気をつけなさい」と、言った。
 少し後ろをついて、廊下を歩いたが、ずるずるした服のせいで、シアンの歩く速度に、置いていかれそうになる。
 ぱたぱたした足音が聞こえたのか、シアンはほんの少しだけ、歩くのを遅らせてくれた。あきらかなほど遅くなったわけじゃないので、俺の気のせいかもしれなくて、礼は言えなかった。
 青の宮殿の庭園に横づけされた馬車は、連れてこられた時に乗ったものよりも、格段に立派だった。
 馬の顔には、目の部分だけ切り取られた布がかけられ、ひたいにティンクチャーと同じ模様がしるされている。
 荷台部分は布ではなく、四方がすべて、木製の壁で覆われていた。椅子には背もたれがあり、寝台のように、分厚い布が敷かれていた。
 シアンは向かいに座ったが、俺とは視線を合わせず、話をする気もないようだった。静かな荷台は、ひどく空気が重かった。
 馬車が動き出す。窓から、外を見ることができた。
 王宮の正門をくぐり抜け、広場を通り過ぎる。大通りの両側に立ち並ぶ、レンガ造りの家は整然としていて、西方のすすけた街とは違った。
 露店で野菜を売る者も、頭に籠をのせてめずらしい花を売る者も、ため息が出るくらいにまぶしかった。
 俺は窓にくっつくようにして、風景をながめた。
 ゆっくりと進む馬車に、人々は道をあけ、商いの手を止めて頭を下げる。
 窓越しに小さな子どもと目が合って、親に頭を押されるようにおじぎをしたので、俺はなんだかすまない気持ちになってしまって、椅子にまっすぐ座り直した。
 シアンは俺を見ずに、「今日のような事情がなければ、王宮の外に出ることは許されていない。そのつもりでいなさい」と言った。
 街を出歩いてみたいという、考えを見透かされたようで、「はい」と小声で答えた。
 また静かになってしまうのが気まずくて、声をかけた。
「星見が王宮の火種になるっておっしゃっていたのは、どうしてですか」
 シアンが返事をしなかったので、俺は緊張してこわばった。大人しくしていたほうが良かったのかもしれないが、もう手遅れだった。
「俺は……わたしはここに来る前、王宮では、多くの星見が生活していると聞きました。わたし以外にも、星見はいるのでしょうか」
「あなたは星見ではない」
「そう、ですね」
 しゅんとしてしまう。
 シアンは、術師でもない俺が、星見を名乗っているのが気にいらないのだ。もしかしたら、星見に関係なく、俺自身が気にいらないだけかもしれない。
「──火種になると言ったのは」
 あまり変化のない顔に、わずかに仕方ないという表情が見てとれた。
「理由はいくつかある。かつて、王が術師を雇うことは当たり前だった。王の中には国益のためではなく、己のために術師を使う者も多かった。敵対する王に呪術をかけたり、不老不死の研究にのめりこむ王もいた」
「不老不死? そんなことができる術師がいるのですか」
 俺はヒソク以外に、不思議な能力を持つ者の話を聞いたことがなかったので、素直に感嘆してしまった。
 シアンは俺を見て、眉をひそめた。
「それが可能なら、もはや人とは呼べない」
「術師の能力が本物か、調べることはできないのですか」
「技量をおしはかることができるのも、術師だけだ。どれほどの信憑性がある」
「あ、そうか……そうですね」
「実のところ、能力が本物かどうかは問題ではない。私が術師を火種と呼ぶのは、王をたぶらかす者が多かったからだ。王の信頼を得ると、あやしげな託宣で操り、国政を取りしきろうとする者が多かった」
 シアンは息をついた。
「そして、『本物』ならばさらに面倒だ。有能な術師は奪い合いになる。他の王が目の色を変えて術師を誘惑し、なびかなければ、自分以外の王が力を持つことをおそれて、暗殺しようとする。術師はどうあっても、王宮を騒がせる火種にしかならない」
 ヒソクがたどったかもしれない話に、俺はぞっとした。
「青の宮殿以外になら、術師は何人かいる。しかし、星見のヒソクといえば、宮殿でもうわさになるほどの術師だ。黒の方のセーブル様は、とくに術師にのめりこんでいる。身辺には、じゅうぶん気をつけなさい」
 シアンはそれだけ言うと黙ってしまい、また馬車は静かになった。


 数日が過ぎ、シアンの言ったとおりになった。
 緑の王の死は、青の王の所有物に手を出した粛清として、処理された。
 それまでの俺はといえば、青の王に頼みこんで、ルリの看病にあけくれていた。
 水のおかわりを用意したり、薬師が持ってくる煎じた塗り薬を、傷口に塗る手伝いをするくらいしかできることはなかったが、一日中、ルリのそばで過ごした。
 ルリが目を覚ました時に、俺がそばにいるのを見て、「ご無事で良かった」とほほえんだので、できることはなんでもしてやりたいと思った。
 王宮には診療所もあったが、ルリは宮殿内の風通しのいい部屋に寝かされていた。日が傾けば、涼しい風が吹き込んできたが、日中の暑さと貧血で、ルリの食は細かった。
 のどを通りやすい食事を、調理場に頼んでおいたが、なかなか届かなかったので、こちらから出向くことにした。
 王宮を歩けば、いろいろな人とすれ違う。俺が星見だということはいつの間にか知れているようで、侍従は立ち止まって会釈をして、俺が通りすぎるのを待っていた。
 それが時々、気持ちをふさがせた。
 途中で手入れのゆきとどいた花畑にでくわした。淡い赤色の花を摘んで、ルリの土産にしてやろうと思う。
 殺風景な部屋には、綺麗な花がよく映えるような気がしたし、花かんむりにすれば、ルリの金の髪にも似合いそうだった。よく、ヒソクに花かんむりを作ってやったことを思い出した。
「あ、そうだ」
 いいことを思いついて、俺は調理場に急いだ。宮殿の外に建てられた調理場は、おおがかりな食事の支度で、てんやわんやだった。
「すみません、ルリ様の食事がまだ届かないのですが……」
 年嵩の調理人がふり返って、邪魔するなと言わんばかりに、俺のことをじろりとにらんだ。
 その目が、俺の胸のティンクチャーにとまる。小間使いではないと知ると、態度はろこつに変わった。
「今すぐお持ちしますので、どうぞお部屋でお待ちください」と、愛想よく言われる。
 しかし、すぐにまた調理人は鳥を捌くことに、夢中になってしまった。

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