5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

無料公開

「しかし……」
「お願い。俺を妹のそばにいさせてください。お願いします」
 マラカイトの腕をつかんで、灰色がかった目をのぞき込んだ。
 青の王の手が肩にかかったが、振りほどいて、もう一度、マラカイトを見た。
 白髪がふわりとゆれた。軽い物が落ちるように、マラカイトはうなずいた。
「ヒソク!」
 鋭い叱責に、びくりと身体をふるわせた。
 マラカイトの目も、正気を取り戻した。邪魔をされた。ヒソクとのあいだを引き裂こうとする、すべてが憎かった。
「いやだ! ここにいる」
 ガラス筒の炎が、いっせいにゆらめいた。
 火は風を受けたように燃え上がり、あたりが強い光で照らされる。姿のない『声』は止まらなかった。
「俺のせいだ」
 声にならない叫びは、診療所の壁に反響した。
 細かくゆれるガラスの筒に、亀裂が入った。ひと呼吸のあと、こなごなに飛び散った。侍従が驚いて、悲鳴を上げた。
 うつむいたら涙がこぼれそうになって、奥歯を噛みしめた。青の王は腕の力を強めて、「ヒソク」とささやいた。
「間違えるな。妹がこうなったのはおまえのせいではない」
 正しいことを言い聞かせる声で、俺は裁かれる気分になった。ぐしゃりと顔をゆがめて「ちがう」と答えた。
「ちがう、ぜんぶ俺のせいだ。ヒソクはこうなることを知っていた。さらわれることも、ひどいことになるってことも知っていたのに」
 息を吸い込んだら、のどがふるえた。
「俺のために、身代わりになった」
 ヴァート王が殺された時。
 俺はこんなひどいことをヒソクに見せなくて、ほんとうに良かったと思った。
 青の王に抱かれて、ティンクチャーをつけられた時だって、俺は間違っていなかったと、信じていた。
 ヒソクを失う恐怖に比べたら、なんだって耐えられると思っていた。俺の自己満足が、妹にこの道を選ばせた。
 どうして守るためだなんて、正義感に浸っていられたんだろう?
 なにも気づかず、ヒソクの手を離してしまった。
 足元から、すべて残さず溶けてしまいたかった。俺には守られる価値なんかない。
「この惨状はどういうことです」
 険しい声とともに、セーブルが部屋へ入ってきた。
 黒の兵があとに続き、床に飛び散ったガラスの破片を見て、剣を構えた。
 セーブルは青の王を見た。
「さきほど、緑の王の件は、私に一任するとおっしゃったはずです」
「診療所に運ぶことは許可したが、すべての権限を預けるつもりはない。緑の王の病状は、この国の行く末にもかかわる問題だ。ひとりの王にだけ任せるわけがないだろう」
「ふん、手際よく緑の専属医まで用意して、よほど、緑の王が私の手におさまるのが気にいらないとみえる」
「王を診るのは、専属医の務めだ」
「そこまで気を遣われているのに、貴方は星見を連れてきた。なにをしようとしていたのか、申し開きできるのですか」
「緑の王の意識を取り戻す、手助けができるのではないかと思ったが、セーブル王の気に障ったようだ。戻るぞ、ヒソク」
 シアンは、座り込んでいた俺に手を貸した。
「待ちなさい」
 セーブルは引き留めた。
「手助けとはどういうことです。青の星見殿は、人を癒す力までも持っているということなのか」
 人を超えた力に、並々ならぬ興味を抱く男らしい、言葉だった。
 どうでも良かった。俺はこれが現実なのだろうかとあやしんだ。地面がふわふわとやわらかい。
「ヒソク」
 はじめて俺の『声』を耳にして、セーブルは目を見張った。シアンは、俺を引きずるようにして、部屋から出た。
 くたくたした足のせいで、ほとんど、もたれかかっていた。
 シアンは不満を言わず、俺を支えながら、診療所の廊下を歩いた。歩調はやはり、ゆっくりだった。優しいのだなと思った。
 王宮へ来てからは、いつだってルリがいた。調理場のハクも、俺みたいなのにも優しかった。
 子猫のいる、あたたかい部屋を思い出す。ヒソクがいたらいいのにと、思ったことがあった。身につけた赤い指輪が、ちりりと痛んだ。


 記憶のはじまりは、大きな湖のそばだ。
 湖は森の中にあった。水面は白みがかった薄い緑色で、光の加減で空色にも見えた。
 朝になっても鳥の鳴き声すらしないその森に、俺とヒソクは捨てられていた。
 誰に連れてこられたのか覚えていないけれど、妹の泣き声だけは、昨日のことのように思い出せる。
 俺は痛む腹を押さえて、這いながら妹のそばへとにじり寄った。草むらにぺたりと座ると、ひざの上に赤ん坊を抱き上げた。
 あやすようにゆっくりとゆらした。
「おなかがへった? ごめんね、あの実はもうなくなってしまったんだよ。待ってて、ほかになにかないか探してくるから」
 俺はあたりを見回した。湖のそばには、あげられるものがあまりない。樹の根のすき間に、虫が歩いていくのを見つけた。
 生い茂る葉を手でかきわけて、身体をくぐらせると、つぶれた果実が落ちていて、たくさんの虫がたかっていた。
 俺は虫を払って、「虫だって食べてるんだから、だいじょうぶ」と、くちに入れた。
 酸味のある、甘い果汁があふれる。
 妹のくちにいれるものは、先に俺が食べた。昨日はそれで失敗してしまった。食べてはいけないものだったようで、腹の痛みに、一日中動けなかった。
 果物を拾って妹のそばに戻った。笑いかければ、妹は泣きやんで、手を振り回した。
 指先を握ると、びっくりするような力で、俺の指を握り返した。
 木の実を噛み砕いて、妹のくちに近づけた。
 妹は食べものを与えられてうれしそうにした。くにくにと動くくちびるは可愛かった。
「そばにいるからだいじょうぶ。置いていったりしないよ」
 意味がわかるような年じゃないはずなのに、妹は俺を見つめてにっこりと笑った。ふわりと花がひらくような笑顔だった。
 湖からやってきた、浅黒い肌の子どもは、街の人には受け入れられづらかった。そんな中で、赤ん坊を失くしたばかりの家族が、手を差し伸べてくれたのは奇跡に近かった。
 俺はヒソクを安心できる場所に置いておけることを喜んだ。
 けれど、湖にふたりきりだった頃のほうが、一緒にいられたなと思ってしまうのだった。
 さびしさから家の中をこっそりとのぞいて、仕事をさぼるなと殴られたこともあった。
 懲りずに何度も妹のそばに近づいた。そのたびに、赤ん坊は泣いたり笑ったり忙しくて、その声で家族に見つかっては怒られるの繰り返しだった。
 けれど、4年が経つ頃から、母親はヒソクにかまわなくなった。
「話しかけても返事もしないし、あの緑の目も薄気味が悪い」と、遠ざけるようになった。
 ヒソクは乳を求めて泣くことがなくなると、あまりに大人しい子どもだった。
「だめだよ、みんなと仲良くしなくちゃ」
 俺は妹にそう諭した。
 けれど、ヒソクはすねたように俺を見て、首を横にふる。そうして、俺にぎゅっと抱きついた。
 どうしたらいいのか困ったけれど、俺はそれよりも、妹が俺だけを頼ってくれるのがうれしかった。
 そうして、俺たちはまた、別の家で暮らすことになる。慈善家の屋敷は大きくて、立派な調度品もあった。
「これ、湖みたい」
 ヒソクはぽつりと言った。
 見たこともない、美しい壺が置かれていた。少し青味がかったそれは、たしかに、湖の色によく似ていた。
 見とれていると、主人が近づいてきて、俺の肩に手を置いた。熱い、じっとりしたてのひらだった。
 ヒソクがつないだ手を、きゅっと握ったので、俺はそれにこたえるように妹を見た。
 ヒソクは俺ではなく、主人であるチャイブの顔を見つめていた。
「それが気にいったのかな? とても綺麗な緑色だからね」
 チャイブは言った。
「緑の王は青磁が好みで、国内で流れていたものは、すべてとりあげられてしまった。それは、こっそりと買い付けたんだよ。発色のいいものはあまり残っていなくて、そんな小さな壺しか手に入らなかった」
「セージ?」
 俺は首をかしげた。チャイブはほがらかに、俺の無知を笑った。
「聞いたことがないのか。青磁とは、この緑色につけられた名前なんだよ。王宮にしか存在しない、民が手に入れることが禁じられた色だから、秘色とも呼ばれている」
 ヒソク、と俺はくちの中で繰り返した。
「私の家に来た記念に、君たちに名前をあげよう。色にさえ名前があるのだから、君たちにだって、呼ぶ名があったほうがいいだろう? 奴隷には名がないというが、私はそんなふうに、君たちを扱ったりしないよ」
「なまえ?」
 俺は戸惑って、チャイブを見上げた。
「そうだよ、君たちのこの瞳のように、特別な名前で呼んであげよう」
 主人は息がかかるくらいに近づいてきて、俺の顔をのぞき込みながら、背中をやわらかくなでた。その間もずっと、ヒソクがつかんでいる指はきりきりと痛んでいた。

▲TOPへ戻る