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「残念だが、黒の術師はとうに亡くなっている。高齢だったからな」
その言葉にがっかりした。青の王はすべてに火をつけ終えて、俺のそばまでやってきた。
「火がなくなったら、外の兵に言って持ってこさせろ。食事はルリに運ばせる。餓えはしないだろう」
「ひとりになるの?」
青の王は、椅子に腰を下ろした。
「考えていることを『声』にしないようにできたら、宮殿に戻ってもいい。早く習得できるように、努力するんだな」
「それまで、ここを出たらいけないのですか?」
「偽物の星見で、ヒソクという妹がいて、赤の王に惚れていると、そんなことを自ら吹聴する者を青の宮殿に置いておけるか? 兵や侍従がどう思う。処罰を受けたくないのならあそこには戻るな」
「ギル」
赤の王と聞いただけですぐに頭に浮かんでしまった。その言葉に王はうんざりした顔で「シアンに殺されたいのか」と言った。
「あれは、私のことを愛しているからな。青の王に不敬を働こうとする者がいれば、容赦なく殺そうとする。どうせおまえには、それ以外にもまだ隠しごとがあるだろう」
あわてて意志を押さえ付けようとしたが、「黒の宮殿へ」と声が響いた。
「わ──!」
「うるさい!」
俺だって頭が割れそうに痛かったけれど、青の王は片手の手首をこめかみにあててうつむいた。
「普通よりも耳がいいんだ。おまえの『声』は特に響く。せめて普通にしゃべってくれ」
「俺だって、声を小さくしようとしています。どうにかしたいのは俺のほうなんだから、そんなふうに言わなくてもいいのに」
「もっと努力しろ」
強く吐き捨てられて、また「きらい」と反射に思った。男は少し顔を上げて目を細めた。
「おまえは考えていることのほうが幼いな。普段はさかしいくちのきき方をするのに、そうしていると年相応に思える」
それがいつもの冷たい笑い方じゃなくて、まるでほほえんでいるように見えたので、俺は本当に具合が悪いのではないかと心配になった。
「いつも俺を、子どもだと言うのはシャーでしょう」
「そうだな」
青の王は言い返さなかった。
「それで、セーブルのもとになにをしにいった?」
切り返しがあまりに滑らかだったから、俺はやっぱり罠だったと知った。ほほえんだことも俺を油断させるためなら、本当に抜け目がなくて意地が悪かった。
「考えすぎだ。余計なことを思い浮かべて、黒の宮殿の話を誤魔化そうとするな」
「誤魔化してなんかいません。シャーの聞き違いです」
必死に別のことを考えようとするのに、「ヒソクのことは知られてはいけない」と声がした。
「また妹か」
青の王はため息をついた。
「ビレットで妹を連れ去った甲冑の男たちというのは、黒の兵だったか?」
「え、なんでそれを!? 俺が夢の話をした時から、黒の王の仕業とご存じだったのですか」
「黒の甲冑を見たのだろう。暗闇でもわかるほどの黒色なら、鉄ではない。王宮に納められる黒い鉱石を、セーブルは何年も独占していて、黒の装身具を作る以外に認めていない」
「どうして、黒の王の仕業だと、言ってくださらなかったのですか」
俺は身を乗り出して怒鳴った。
「おまえに言ってどうなる? セーブルを問いつめたところで警戒させるだけだ。黒の宮殿には、地下が掘られている。そこに押し込められでもしたら、二度と妹と会えることはないぞ」
青の王が鋭い口調でそう言った。
考えていることがだだもれの状態では、隠し事はできない。俺は覚悟を決めて、王に向き合った。
「俺を白の侍従に戻してください。もうすぐ、ヒソクがやってきます。俺は黒の宮殿の術師になり、妹を迎えるつもりです」
「そのように心を隠せないままで妹を守れるのか」
「『声』はヒソクが着くまでにはなんとかします」
「ずいぶんと簡単に言うな。セーブルが術師になにをするのか知っていて、黒の宮殿に入り込むのか」
「知っています。神の血を持つ者を抱けば、自分の血が強められると信じられているのでしょう。だけど、俺がいればヒソクには手出しさせません」
あのおぞましい黒のティンクチャーを思い出す。
「俺には『声』があります。黒の王は、きっとこれを気にいられると思うのです」
「さっきまでふるえていたくせに、したたかだな」
青の王は満足したように、くちのはしを上げた。椅子の背に腕をかける。
「おまえの勝算は『声』ではない。私としたように寝て、あのうたぐり深い王を丸めこめばいい」
おもしろがる声に目を見張った。それで、非難をこめて答える。
「シャーが昨日するから、四十日はセーブル様と寝ることができません。それだけは頭が痛いです」
「なんの話だ」
「なにって、ティンクチャーを持つ者は、他の王とは寝れないのでしょう? ふたりとも死んでしまうって。あ、片方だけが死ぬとも、言っていた気がします。シャーに聞けば詳しく教えてくれると言われましたが、なにをご存じなんですか」
セーブルとのやりとりを思い出して尋ねれば、青の王は険しい目をして、俺を見た。
「それはセーブルから聞いたのか」
「あの、黒の王と会ったから怒ってるんですか」
青の王は黙って、ゆっくりと席を立った。
「俺なにか間違ったことを言いましたか?」
焦って俺も立ち上がったけれど、横顔からひりひりした空気を感じ取って足が動かなかった。
「ヒソク」
「は、はい」
「もしも妹のことがどうにもならなくなったら、ティンクチャーのあるうちにセーブルと寝て、殺してやれ。生かしておけば、必ずおまえにも妹にも害をなす、獣のような男だ」
青の王はそう言い捨てて、念を押すように俺を見た。そうして、俺は聖堂にぽつりととり残された。
「ヒソク様」
そっとした声に目を覚ました。ルリが俺のかたわらにひざまずいていた。
高いところにはめ込まれたガラスが、とりどりの色でやわらかく輝いている。
それでも俺が眠っていたところまではたいした光が届かず、薄暗がりでは彼女が幻のように思えてしまう。目を凝らして見つめ返した。
「ルリ様がどうしてここに?」
『声』が聖堂に反響して、その大きさにルリが少しだけ身をすくめた。
「ご、ごめんなさい」
「謝らないでください。ヒソク様のご事情はシャーからうかがっております。ずいぶんと不思議な力ですね。頭に響いてくるようです」
そう言ってから、ルリは俺を安心させるようににっこりした。
「水浴び場の支度をしましたので、どうぞいらしてください。今なら起きている者も少ない時間ですから」
閉めきった場所で眠っていたせいで、ひどく汗をかいていた。水浴びができるのなら、うれしかった。
ルリに手を引かれて、椅子の上に身体を起こした。腹の上から小さなものがするりとこぼれおちて、床の上でカツリと音をたてた。
ルリは音のしたほうを見て、「ああ」と言った。指先で拾い上げ、ほおをゆるませた。
「良かった。大切にされていたようでしたから、どうなったのか心配していたのです。シアン様から返してもらったのですね」
安堵したように言って、俺に指輪を差し出した。てのひらにのせられた赤い石は、昨夜と変わらず光をはなっていた。
「どうしてこれが?」
「ヒソク様の指輪ではなかったですか?」
「いえ、俺が買ったものです」
俺はあわててそれを手に握りしめると、「何でもないです」と首を横にふった。
ルリはまだ火の残っていたガラスの筒を持ちあげて、外へと案内した。ルリとともに歩きながら俺はまだ混乱していた。
「これは井戸に落ちたはずのに」
「え?」
ルリは足を止めた。俺は否定するよりも先に、ルリの後ろに気を取られた。
向かいの壁に、金属の額縁にはめ込まれた、大きな絵が飾られていた。
「黒の王の飾りと同じだ」
ぽかんとして立ち尽くした。一辺が俺の身長よりも大きなその絵には、4頭の馬が絡み合う姿が描かれている。
黒の王から渡された、宮殿に出入りできるという銀細工と同じだ。
カテドラルでそれを描いた絵に出会うなどと思わず、呆然とそれを見つめた。
「神獣を描いた絵ですよ。そばで見てみますか?」
ルリはこともなげに答えて、部屋の入口をくぐった。俺も彼女のあとに続いた。
部屋というより、廊下の一角だった。天井は高く、視界は開けている。
ぐるりとあたりを見回すと、正面に1枚と、左右の壁に2枚ずつ、暗い色調の絵がかけられていた。俺はまだ、正面の絵に釘づけになっていた。
ルリはその絵の前で足を止めた。
「神獣とは神が従えていた、不思議な力を持つ獣のことです。オーア神は5匹の神獣を従えていたと言われています」
「5匹の神獣?」
その言葉にがっかりした。青の王はすべてに火をつけ終えて、俺のそばまでやってきた。
「火がなくなったら、外の兵に言って持ってこさせろ。食事はルリに運ばせる。餓えはしないだろう」
「ひとりになるの?」
青の王は、椅子に腰を下ろした。
「考えていることを『声』にしないようにできたら、宮殿に戻ってもいい。早く習得できるように、努力するんだな」
「それまで、ここを出たらいけないのですか?」
「偽物の星見で、ヒソクという妹がいて、赤の王に惚れていると、そんなことを自ら吹聴する者を青の宮殿に置いておけるか? 兵や侍従がどう思う。処罰を受けたくないのならあそこには戻るな」
「ギル」
赤の王と聞いただけですぐに頭に浮かんでしまった。その言葉に王はうんざりした顔で「シアンに殺されたいのか」と言った。
「あれは、私のことを愛しているからな。青の王に不敬を働こうとする者がいれば、容赦なく殺そうとする。どうせおまえには、それ以外にもまだ隠しごとがあるだろう」
あわてて意志を押さえ付けようとしたが、「黒の宮殿へ」と声が響いた。
「わ──!」
「うるさい!」
俺だって頭が割れそうに痛かったけれど、青の王は片手の手首をこめかみにあててうつむいた。
「普通よりも耳がいいんだ。おまえの『声』は特に響く。せめて普通にしゃべってくれ」
「俺だって、声を小さくしようとしています。どうにかしたいのは俺のほうなんだから、そんなふうに言わなくてもいいのに」
「もっと努力しろ」
強く吐き捨てられて、また「きらい」と反射に思った。男は少し顔を上げて目を細めた。
「おまえは考えていることのほうが幼いな。普段はさかしいくちのきき方をするのに、そうしていると年相応に思える」
それがいつもの冷たい笑い方じゃなくて、まるでほほえんでいるように見えたので、俺は本当に具合が悪いのではないかと心配になった。
「いつも俺を、子どもだと言うのはシャーでしょう」
「そうだな」
青の王は言い返さなかった。
「それで、セーブルのもとになにをしにいった?」
切り返しがあまりに滑らかだったから、俺はやっぱり罠だったと知った。ほほえんだことも俺を油断させるためなら、本当に抜け目がなくて意地が悪かった。
「考えすぎだ。余計なことを思い浮かべて、黒の宮殿の話を誤魔化そうとするな」
「誤魔化してなんかいません。シャーの聞き違いです」
必死に別のことを考えようとするのに、「ヒソクのことは知られてはいけない」と声がした。
「また妹か」
青の王はため息をついた。
「ビレットで妹を連れ去った甲冑の男たちというのは、黒の兵だったか?」
「え、なんでそれを!? 俺が夢の話をした時から、黒の王の仕業とご存じだったのですか」
「黒の甲冑を見たのだろう。暗闇でもわかるほどの黒色なら、鉄ではない。王宮に納められる黒い鉱石を、セーブルは何年も独占していて、黒の装身具を作る以外に認めていない」
「どうして、黒の王の仕業だと、言ってくださらなかったのですか」
俺は身を乗り出して怒鳴った。
「おまえに言ってどうなる? セーブルを問いつめたところで警戒させるだけだ。黒の宮殿には、地下が掘られている。そこに押し込められでもしたら、二度と妹と会えることはないぞ」
青の王が鋭い口調でそう言った。
考えていることがだだもれの状態では、隠し事はできない。俺は覚悟を決めて、王に向き合った。
「俺を白の侍従に戻してください。もうすぐ、ヒソクがやってきます。俺は黒の宮殿の術師になり、妹を迎えるつもりです」
「そのように心を隠せないままで妹を守れるのか」
「『声』はヒソクが着くまでにはなんとかします」
「ずいぶんと簡単に言うな。セーブルが術師になにをするのか知っていて、黒の宮殿に入り込むのか」
「知っています。神の血を持つ者を抱けば、自分の血が強められると信じられているのでしょう。だけど、俺がいればヒソクには手出しさせません」
あのおぞましい黒のティンクチャーを思い出す。
「俺には『声』があります。黒の王は、きっとこれを気にいられると思うのです」
「さっきまでふるえていたくせに、したたかだな」
青の王は満足したように、くちのはしを上げた。椅子の背に腕をかける。
「おまえの勝算は『声』ではない。私としたように寝て、あのうたぐり深い王を丸めこめばいい」
おもしろがる声に目を見張った。それで、非難をこめて答える。
「シャーが昨日するから、四十日はセーブル様と寝ることができません。それだけは頭が痛いです」
「なんの話だ」
「なにって、ティンクチャーを持つ者は、他の王とは寝れないのでしょう? ふたりとも死んでしまうって。あ、片方だけが死ぬとも、言っていた気がします。シャーに聞けば詳しく教えてくれると言われましたが、なにをご存じなんですか」
セーブルとのやりとりを思い出して尋ねれば、青の王は険しい目をして、俺を見た。
「それはセーブルから聞いたのか」
「あの、黒の王と会ったから怒ってるんですか」
青の王は黙って、ゆっくりと席を立った。
「俺なにか間違ったことを言いましたか?」
焦って俺も立ち上がったけれど、横顔からひりひりした空気を感じ取って足が動かなかった。
「ヒソク」
「は、はい」
「もしも妹のことがどうにもならなくなったら、ティンクチャーのあるうちにセーブルと寝て、殺してやれ。生かしておけば、必ずおまえにも妹にも害をなす、獣のような男だ」
青の王はそう言い捨てて、念を押すように俺を見た。そうして、俺は聖堂にぽつりととり残された。
「ヒソク様」
そっとした声に目を覚ました。ルリが俺のかたわらにひざまずいていた。
高いところにはめ込まれたガラスが、とりどりの色でやわらかく輝いている。
それでも俺が眠っていたところまではたいした光が届かず、薄暗がりでは彼女が幻のように思えてしまう。目を凝らして見つめ返した。
「ルリ様がどうしてここに?」
『声』が聖堂に反響して、その大きさにルリが少しだけ身をすくめた。
「ご、ごめんなさい」
「謝らないでください。ヒソク様のご事情はシャーからうかがっております。ずいぶんと不思議な力ですね。頭に響いてくるようです」
そう言ってから、ルリは俺を安心させるようににっこりした。
「水浴び場の支度をしましたので、どうぞいらしてください。今なら起きている者も少ない時間ですから」
閉めきった場所で眠っていたせいで、ひどく汗をかいていた。水浴びができるのなら、うれしかった。
ルリに手を引かれて、椅子の上に身体を起こした。腹の上から小さなものがするりとこぼれおちて、床の上でカツリと音をたてた。
ルリは音のしたほうを見て、「ああ」と言った。指先で拾い上げ、ほおをゆるませた。
「良かった。大切にされていたようでしたから、どうなったのか心配していたのです。シアン様から返してもらったのですね」
安堵したように言って、俺に指輪を差し出した。てのひらにのせられた赤い石は、昨夜と変わらず光をはなっていた。
「どうしてこれが?」
「ヒソク様の指輪ではなかったですか?」
「いえ、俺が買ったものです」
俺はあわててそれを手に握りしめると、「何でもないです」と首を横にふった。
ルリはまだ火の残っていたガラスの筒を持ちあげて、外へと案内した。ルリとともに歩きながら俺はまだ混乱していた。
「これは井戸に落ちたはずのに」
「え?」
ルリは足を止めた。俺は否定するよりも先に、ルリの後ろに気を取られた。
向かいの壁に、金属の額縁にはめ込まれた、大きな絵が飾られていた。
「黒の王の飾りと同じだ」
ぽかんとして立ち尽くした。一辺が俺の身長よりも大きなその絵には、4頭の馬が絡み合う姿が描かれている。
黒の王から渡された、宮殿に出入りできるという銀細工と同じだ。
カテドラルでそれを描いた絵に出会うなどと思わず、呆然とそれを見つめた。
「神獣を描いた絵ですよ。そばで見てみますか?」
ルリはこともなげに答えて、部屋の入口をくぐった。俺も彼女のあとに続いた。
部屋というより、廊下の一角だった。天井は高く、視界は開けている。
ぐるりとあたりを見回すと、正面に1枚と、左右の壁に2枚ずつ、暗い色調の絵がかけられていた。俺はまだ、正面の絵に釘づけになっていた。
ルリはその絵の前で足を止めた。
「神獣とは神が従えていた、不思議な力を持つ獣のことです。オーア神は5匹の神獣を従えていたと言われています」
「5匹の神獣?」