5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 仕方なく、湯の中に、切った野菜を落としこんだ。火をくべた窯が大きくて、鍋の位置が高かったので、かきまわすのにも苦労した。
 慣れない手つきでゆでていると、先ほどの男が、ちらちらと俺をみた。
「そういうときは、手桶に入れてゆでれば早いんです」
 金属の針金で編まれた手桶を渡される。網には細かなすき間があいていた。
「切った野菜をこれに入れて、湯に浸せばいいんですね」
「そんなことも知らないんですか」
 男が持ち手の部分をにぎって、鍋の中に沈めると、手桶の中にも湯が入ってきた。
 確かにこれなら手桶を使いわけて、色とりどりの野菜を、混ざることなく一度にゆでることができる。ゆでた端から調理できるので、一種だけを大量にゆでるよりも、早く料理を提供できそうだった。
「湯番は私の仕事です。野菜を切るのをお願いしますよ」
 渋々といったていで、調理人は言った。
 てっきり、火の前から追い払われてしまったのかと思ったが、「その背では、危ないでしょう」と続いたので、俺は少しぽかんとして、「はい」と答えた。
「じゃあ、切ったら持ってきますね」
「そうしてください」
 男はすぐに背を向けたけれど、俺のやる気は、がぜんわいてきた。
 料理を出す順番にあわせて、野菜を切ることに専念する。作業をしていた調理人にも声をかけて量をあわせると、最初は戸惑っていた彼らも意図をくんで、声をかけてくれるようになった。
 肉を捌いていた者に、手が足りないと言われて、そちらも手伝いに行く。
 服が汚れるからと追い払われかけたので、上に着ていたローブをぬいだ。
「これで、帰りにローブを羽織れば、少しくらい汚れてもわかりませんよ」
 俺はにこりとした。
 鳥の中身をくりぬいて、まるごと洗う。中に詰めるものを作っていた調理人に手渡すと、みな、ぎょっとして、鳥の足をぶら下げている俺を見た。
 できた料理は、調理場の外で待ちかまえていた侍従が受け取り、ひっきりなしに、広間へと運んでいった。
 王宮は3つの建物にわかれ、横一直線に建てられている。
 中央の建物は、カテドラルと呼ばれ、式典や会合をとり行う場所だ。
 その東側に青の宮殿と赤の宮殿、西側に黒の宮殿と紫の宮殿があった。
 青の宮殿と赤の宮殿は廊下がつながっていたが、境界には警備兵が立ち、許された侍従しか、行き来できないようになっていた。
 調理場には、ありったけの明かりがくべられていたから気づかなかったが、月の位置はとっくに真夜中をあらわしていた。
 俺は調理場の外の井戸で、鍋を洗っていた。
 そこに赤い服を身にまとった40代くらいの男が、あらわれた。長い髪とひげをたくわえた細身の男だった。片腕に、赤い石のついた腕輪をはめている。
「ハクという調理人を呼んでくれ」
 低い声で命じられ、俺はうなずいて、調理場に戻った。ハクにはすぐに、相手が誰だかわかったようだ。
 調理場に戻るふりをして、俺はこっそりと様子をうかがった。ハクは頭を下げたまま、赤い服の男の話を聞いていた。
 男が去ると、ハクは暗い顔をして、調理場へ戻ってきた。
「あの、病人食を用意しろって、誰か怪我でもしたんですか?」
 ハクはあわてて、俺を物陰にひっぱりこんだ。
「バーガンディー様との話を、立ち聞きしてたんですね?」
「すみません」
 立ち聞きしたことを謝った。
「姫さんであっても、どやされますよ。バーガンディー様がじきじきに来られたくらいなんですから、この話を宮中には広めたくないんですよ」
 俺はシアンから聞いた話を思い出した。
 赤の王が西方で怪我を負ったという話だ。もしやと思って、「バーガンディー様って、赤の王の側近ですか?」と聞いた。
 ハクは、はあ、とため息をつく。
「姫さんは、本当に変わり者だ」
 あきれたように言われて、俺はなんでも質問する悪癖を、恥じてうなだれた。
 しかし、おそるおそる切りだした。
「病人食でしたら、なにか作りましょうか。ルリ様にお出しするつもりだった明日の分の下ごしらえもありますから、すぐにでも、ご用意できますよ」
「ええ……助かりますよ。姫さんの料理の腕はあたしも認めています」
 ハクは元気のない声で言って、また、ため息をこぼした。
 俺は先に調理場に戻った。秘密裏に作れということらしいが、俺のように、いつも病人食を作っている者なら目立たずに済む。
 調理を始めると、「お嬢ちゃん、よく疲れねえな」と、調理人のひとりに声をかけられた。
 彼らはあわただしい仕事を終えて、ぐったりとしていた。
「とっくに夜中になってるよ。帰らなくていいのかい」
「あの、これだけ用意したら、すぐに帰りますから」
 誰にともなくそう言い訳すると、彼らは「よく働くねえ」とおかしそうに笑った。
「大変だね、うちの子と同じくらいの歳なのに、そんなに幼い身で召し上げられたのかい。その胸のしるし、王の手つきだという証拠なんだろう」
「親父さん、ありゃ羽のティンクチャーというんだよ。あれがある者は、青の姫と呼ばれて、ハリームで暮らしているそうだ」
「じゃあなんで、あの子はこんなところにいるんだい」
「いやそれは……事情があるんだよ、きっと」
 俺のことをさかなにして、くちぐちに言いあう。少し居たたまれない話題だった。
「名はなんて言うんだい」
「ヒソクと言います」
「ヒソク? どこかで聞いたことがあるなあ」
 男が首をかしげると、他の者が「そうやって、気をひこうってわけか」と茶化した。
 食事を作り終えてもハクがいつまでも戻ってこないので、俺は庭園まで出向いた。ハクは石造りの階段にこしかけて、物思いにふけっていた。
「ハクさん」
「ああ、姫さん」
「赤の王の食事は、侍従に運んでもらいました。俺は、もう戻らないといけないので行きますね。明日、また来ます」
「悪かったなあ。こんなに遅くまで働かせて」
「いいえ、俺でも役に立てたのなら良かったです」
 立ち去ろうとすると、「あの食事は、姫さんの察しのとおり、ギル様のためだ」と、ハクが言った。
「ギル様?」
 聞き返すと、ハクは少し意外そうに俺を見上げてから、「赤の王ですよ」と言った。
「赤の王のギュールズ様だ。あたしのような身分の者にも、分けへだてなく接してくださる。調理人なんて立場で、差し出がましく尋ねることなどできないが、怪我の具合はどうなのだろう」
 それが心配ごとだったのかと、思いあたった。
 俺は、ハクの隣に腰を下ろした。なんと声をかけていいかわからなかったが、なぐさめるために、そっと肩に手を置いた。ハクは、すがるように俺を見た。
「姫さんから、病状を聞いてもらうことはできないかい? 命にかかわることかどうかだけでもいいんだ」
「えっ!? でも、俺は赤の宮殿にも行ったことがないから、誰に聞いたらいいか……」
 ハクは落胆して、息を吐いた。
「ごめんなさい」
「いいや、姫さんが悪いんじゃないんです。余計なことを聞いて、あなたがとがめられるようなことになったら、それこそ取り返しがつかない」
「赤の王と親しいのですね。そんなに心配されるなんて」
「ギル様は、まだほんの子どもの頃に、ひとりでこの王宮にいらしたんです。こっそり家へ帰ろうとして、王宮で迷子になってはバーガンディー様に怒られていた。それで怒られるのをいやがって、調理場に隠れたりしてね」
 ハクは少しほほえんで、「そんなふうだから、王のようには見えなかったのに」と言った。
「やはりギル様も王だった。国のために危険な目にあうなんて、考えたこともなかった」
 まるで、親が子を心配するかのようだった。
 なんとかして、赤の王の容体を確かめられないか思案していると、「そう言えば」とハクが言った。
「姫さんのことをほめていましたよ。ずいぶん手際よく、旨いものを作る子だって」
「俺のことを、ですか?」
「その様子じゃ、気づいていなかったんですね。はじめて調理場に来られた時ですよ。あなたが帰ったあとで、ギル様は、アイスクリームという菓子が、とても美味しかったと喜んでおられた」
 ハクはおかしそうに言った。
「ヒソク様!」
 大きな声で呼びかけられた。
 青い服を着た侍女たちが、あわてて庭園に向かってくるところで、俺は不穏な空気を感じて、立ちあがった。
「ヒソク様、こんなところにいらしたのですか。お急ぎください。シャーがお部屋でお待ちです」
「えっ」
「お支度がございますので、早くこちらへ」
「わかりました。ハクさん、失礼します!」
 ぽかんとしているハクを残して、俺は庭園をあとにした。
 王の女は、王に捧げられる前に、身体を洗われたり香を嗅がされたりして、面倒なく抱かれるだけの準備をされる。
 そのため、王は事前に侍従に指示を出しておいて、あとは準備の整った部屋へ行けば、そこには所望していた女がいるのが普通だったし、最初の晩に俺もそれをされた。
 自室に出向かせるというのが、とんでもないことなのだということは、侍女たちの顔色を見ればわかった。

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