5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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「急ぎの用ができた。失礼する」
 シアンの言葉に観客も進行役も()(ぜん)として、静まり返った。アルカディアは困惑した声で、「まさか、試合を放棄するの?」と言った。
「あなたがいなくなったら、わたくしはアリーヤを倒してしまう。それでもよろしいの?」
「そうできるのなら」
「わたくしにその力がないと見くびっているの!?」
 シアンは観客席を向き、こう呼びかけた。
「メイダーネ・シャーに賊が(まぎ)れ込んでいるという情報があったので、残念だが行かなくてはならない。アルカディア嬢は対戦相手を所望している。私の代わりに彼女をもてなしてくれる者はいないか? われこそはと思う者は、前に進み出て欲しい」
 うら若い女との対戦の誘いに歓声が上がった。ひとりが舞台に上がろうとすると、せきを切ったように他の者を押しのけてでものぼろうとする客が一斉につめかけた。警備兵との衝突が起きる。これで、このあとの決勝戦は流れるだろう。
 シアンは舞台の裏に回り、天幕から外へ出た。客のための出入口は、先ほど指示を出した兵によって封鎖されている。誰も天幕の中からは逃げられない。
 その時、大きな音がした。鉄を殴りつけたような音とともに、藍色の天幕が揺れる。客たちが「なんだ、今の音は」と動揺するなか、遠くで怒鳴り声がした。
「男が外へ逃げた! ぼさっとするな、追いかけろ!」
 出入口を守っていた兵たちは、声に従い走り出そうとした。
「持ち場を動くな」
 シアンが命じると兵は足を止めたが、先ほどの音に驚いた観客がすでに出入口に押し寄せていた。歯止めがきかない状態で、()み合いの末にあっけなく封鎖は崩れ、あたりは大混乱となった。
 また声がした。
「ふたてに分かれて北と東を捜索しろ! 広場を出る前に捕まえるんだ」
 舌打ちしたくなる。先ほどと同じく、青の王の声だった。天幕を壊して抜け出した(あげ)()、兵の動きを(かく)(らん)するとは、本気でシアンから逃げる気のようだ。
 声のした方向から男がやって来た。頭からすっぽりとオオカミの被り物を被っている。あっという間に天幕を出て行く大勢の観客たちの波に紛れた。
 オオカミの被り物をしている男は他にも山のようにいる。人ごみに紛れて逃げるつもりだろう。
 人の波に目を凝らす。シアンは一度見たものを忘れることはない。そして、知り合いの体型ならば、たとえ顔が隠れていてもそれと判断がつく。青の王の身体を見間違えるはずはなかった。
 ふと、意識が()れた。
 視界の端で、緑色のフードをすっぽりと被った男が近くを通り過ぎるのを捕える。
 顔が見えないように深くうつむいて、シアンから逃れるように向きを変えた。シアンは男に近づくと、片腕で抱きしめるように()()()めにした。
「か、勘違いだ!」
 男が悲鳴を上げた。
「そらとぼける気か、ウィロウ」
 フードを外すと、やはり水道長官のウィロウだ。なぜか真っ青な顔をして、裏返った声で「とぼけてなんかいねえよ!」と怒鳴った。
「い、言っとくけどな、勘違いすんなよ。別にあんたを見に来たわけじゃないんだからなっ!? 久々にシャトランジの大会が開かれるっていうから見に来ただけで、あんたが出るって聞いたから来たわけじゃ」
「おまえの事情はどうでもいい」と(さえぎ)った。
「それよりもヴァート王と会わなかったか」
「はああ!? 王様のことなんか、それこそどうでもいいだろ!」
 シアンの腕を振りほどくと、なにか言いたげにくちをぱくぱくと動かしたが、結局はフードを深く被り直してその場を走り去った。
 落ち着きのない男だと、ため息をつく。ウィロウに構ったせいで青の王を見失ってしまった。
 大会に出る前に、青の王の部屋を訪れたことを思い出す。
 いつもなら気配で目を覚ます青の王は、めずらしくシアンが寝所まで入っても起きなかった。裸の胸の上には小さな黒い頭がのっていて、緑の王が寝息を立てていた。声をかけずに出てきたので、青の王には気づかれていない。
 シアンは周囲の兵に聞こえるよう声を上げた。
「浅黒い肌に、背中までの黒い巻き毛。緑の瞳の少年を探せ!」


 大捕り物となったシャトランジの大会から、一ヶ月後。
 カテドラルの一室では、西方の情勢報告が行われていた。本来ならば緑の宮殿の財源で西方再建を行うべきだが、今はその費用の大半が国庫から出ているため、パーディシャーへの報告は定例となっている。
 会合のあいだシアンと目を合わせなかった緑の王は、マギたちが退室するのと同時にそそくさと立ち去ろうとしたが、部屋の入口で足を止めると、処刑場へ赴くような重い足取りでシアンのもとへやって来て頭を下げた。
「あの、先日はシャトランジの大会を台無しにしてしまい、申し訳ありませんでした……」
「本心からそう思っておられるのですか」
「も、もちろんです、ごめんなさい!」
 腰が折れるのではないかと心配になるくらい、勢いよく深々と頭を下げる。
「王が臣下に頭を下げるものではありません」
「はいっ、すみません!」
 パッと顔を上げる。緑色の瞳にはすでに涙が浮かんでいる。青の王のように性格のねじ曲がった男でなくともこれではからかいたくなるだろう。
 そもそも、シアンがメイダーネ・シャーで青の王を見つけ出した時、緑の王はそばにいなかった。緑の宮殿の近衛兵に見つかって連れ戻された後だったのだから、しらばっくれればいいものを。
 緑の王は非常に素直な性格ではあるが、素直というのは、問題を起こさないという意味ではないし、シアンの知る限りこれほど面倒事を引き起こす人間もそうはいない。簡単に許すと今後のためにならないので、甘い顔はしないように気をつけた。
「本当にすみませんでした。シアン様は数年ぶりにシャトランジの大会に出場されたのですよね。試合を楽しみにされていたのではありませんか?」
 きらきらした目で見上げられる。
「宴の余興です。希望して参加したわけではありません」
「えっ、でもすごくお強いんですよね? 子どもの頃からずっとアリーヤでいらして、どんなに強い挑戦者が現れても、誰もシアン様にはかなわなくて、その時からすでに歴代最高のアリーヤと言われていたって聞きました」
 昔話は好きではないので、話を切り上げるために素っ気なく「尾ひれのついたうわさ話です」と答えてその場を去ろうとしたが、あいにく緑の王は空気が読めなかった。
「ただのうわさじゃないってウィロウも言っていましたよ! 子どもの頃から毎年、〈青の学士〉の試合を見に行っていたから間違いないって」
「ウィロウが?」
 メイダーネ・シャーで出会ったことを思い出し、少しだけ驚いた。
 ウィロウの〈青の学士〉への執着は、自分で言いふらしているほどなので知っていたが、子どもの頃からとは思わなかった。シアンは十三歳を最後に大会には出ていない。ウィロウはふたつ年下なので、当時はまだ十一歳。そんなに昔から憧れているとは知らなかった。
 緑の王はシアンが話を続けるつもりになったと思ったのか、とたんに目を輝かせた。
「ウィロウは数年ぶりにシアン様がシャトランジの大会に出ると聞いて、楽しみにしていたんですよ! 結婚式はあっさり視察の後まわしにしたくせに、大会までは王都を出ないって言い張って……」
「結婚式? 誰のです」
 シアンが問いかけると、緑の王は大きな瞳を丸くして「はい?」と不思議そうに言った。
「ええと……あの、もしかしてシアン様はウィロウが婚約していることをご存じないのですか?」
 困ったように視線をさまよわせて、助けを求めるように青の王に目を向ける。青の王は椅子の背にもたれて、すっかりくつろいでいた。
 そして、助けを求めた緑の王ではなくシアンを見ながら、「ウィロウの結婚式は南方視察が終わればすぐにでも、という話だったな」と言った。
「たしか今日、視察団は王都に戻ってくるはずだ。そうだろう、シアン」
「──ええ」
「披露目の式を一ヶ月も延ばされて、花嫁もさぞ腹を立てているだろう。新婚のうちからこれでは先が思いやられる」
 楽しげな様子から察するに、青の王はすっかり事情を知っているようだ。知っている上で、シアンが知らなかったことを楽しんでいる、と察して気を引き締めた。
「ずいぶんと前からお話は進んでいたようですね」
 緑の王は言いづらそうに、「はい……あの、シャトランジ大会の少し前です。シアン様は話を聞いていると思い込んでて……すみません」と答えた。
 なるほど、南方視察の打ち合わせでウィロウとよく顔を合わせていた頃だ。緑の王が居心地悪そうにするのも仕方がない。
 ウィロウはシャトランジ大会の直後から南方へ出向いている。隣国のビレットから、砂漠化に対応した都市構造を研究する視察団が来るため、帯同して南方のユーアービラを案内するのが役目だ。
 シアンとしては、外交に適した者を水道省から選びたかったが、ウィロウは『視察ったって、砂漠化対策はビレットのほうが進んでるんだから、この機会に技術について聞き出さないともったいねーよ!』と、南方行きを譲らなかった。
 意欲を買い、ウィロウが帯同することを認めたが、そのぶん事前の打ち合わせは長引き──やはりその間、『婚約』などという単語は一度たりとも聞いたことがなかった。
 そもそもウィロウとはこれまで仕事の話しかしていない。婚約などという個人的な用件を聞いていないからといって気にすることはない、と結論付けたが何故かわだかまりが残る。
 (いら)つく原因はわかっている。青の王がにやにやと楽しげだからだ。
 シアンが青の宰相になって初の仕事が、水道長官の任命だった。他の宮殿の建築士を重職に推薦したため、周囲の猛反対を押し切ったかたちになった。ウィロウはシアンの子飼いと思われているし、実際にそうだ。
 青の王の視線は、子飼いのしつけもできていないのかと言わんばかりだった。
「ウィロウもわざと黙っていたわけではないだろう。南方から戻ったら、婚約者をともない上官であるシアンに報告するつもりじゃないのか」
 シアンは青の王を冷ややかに睨みつけ、心の中で『面倒事ばかり言い出す緑の王をさっさと連れていけ』と念じた。青の王は化け物じみていて、自身に向けられた強い感情なら読みとる能力がある。だが、顔色すら変えずに座っているのはすっかり無視したからだろう。
 緑の王はシアンと青の王を交互に見て「そう、ですね。たぶんそうだと思います」と、投げかけられた(わら)にすがった。
「でも、ほんとに急な話だったんです! ウィロウも特に結婚に乗り気というわけではなかったんですけど、ベールロデン様に『ひ孫の顔が見たい』と言われて。それで、紹介くらいはしてもらおうって話になったら、あっという間に話が広がってお嫁さん候補が集まってしまったんです」
「お嫁さん……」
 妙に可愛らしい言葉だ。行政を話し合った後でいい年をした男たちがくちにするのは似つかわしくない。
 それよりさらに現実味がないのは、あの短気で、無神経で、子どものようにわめき散らすウィロウが妻をめとって家庭を作るという話だ。冗談だろう、と(あき)れたが、内心の思いはもちろん()(じん)も顔には出さず、「ウィロウは西方復興の立役者です」と言った。
「水道長官としても評価は高く、彼の妻の座ともなれば自ら名乗りを上げる女性はごまんといるでしょう。身を固めることで彼が落ち着き、いっそう職務に身が入るのでしたら、王宮としても喜ばしい限りです」
「え、えっと……」
「顔を合わせることがあれば、私からも祝いの言葉をかけましょう。お話がそれだけでしたら、退席させていただきたいのですがよろしいですか」
 緑の王はおろおろと視線をさまよわせている。
 肝が据わっているくせに、駆け引きや腹芸にはまったく向いていない。こういった場面に最高に適している青の王は、「王宮からも祝いを贈ってやろう。シアン、手配をしておけ」と、追い打ちをかけることを忘れなかった。
「かしこまりました。ところで、お部屋に緑の方を招かれるのでしたら、人払いが必要でしょう。近衛にはシャーのお心を伝えておきますので、どうぞ日ごろの責務の疲れを(いや)してください」
 (こん)(しん)の嫌味に、「兵には明日の朝まで戻ってくるなと伝えておけ。おまえも邪魔はするなよ」としれっと答えられる。ほおを染めて困っているのは緑の王だけで、青の王は共犯だとでも言いたげな笑みを送ってきた。
 返事をするのもバカらしくて、一礼して部屋を後にする。背後の部屋から青の王を責める声が聞こえてきたが、聞かなかったふりをした。
 廊下に控えていた近衛兵たちに、青の王が自室に戻ったら、しばらくの間、持ち場から離れるように伝える。彼らは困惑した表情を浮かべたが、結局はシアンの指示に従った。
 西方にはカレーズという地下水路が築かれている。その設計を含めた西方のユーアービラの計画書を作成したのがウィロウだった。
 シアンは近衛隊長の職を辞した後、一年以上、正体を隠して地方を旅して回っていた。西方へたどり着いた時、ウィロウはカレーズ建設の指揮をとっていた。
 その際、サトラップへの根回しの悪さや、(ほん)(ぽう)な物言いのせいで作業をする工夫からの反感を買いやすい、という欠点があった。

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