5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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「……ああ、そうか、そうだな。確かにあの頃より体格もよくなったし、お嬢ちゃんじゃおかしいか。じゃあ、シアンと呼ぶ。オレはブラウでいい。仲間はみなそう呼ぶ」
「私はあなたの仲間ではありません。他にお話がないのでしたら時間がないので失礼します、ブロイスィッシュブラウ副団長」
 言ってすぐにその場をあとにし軍の宿舎を出ると、馬を呼び王宮への道を急いだ。
 アージェントは時間にうるさい。遅れたことを怒るのならまだいいが、約束の時間に会えなければ部下を連れて遠乗りに出てしまう。
 打ち合わせなくてはいけないことが山のようにある。東方の街を奪還した後、軍は数年ぶりにヴェア・アンプワントの内部に幕舎を構えることに成功した。
 兵の高揚が冷める前に、近衛の指揮下に軍を置く根回しをしなくてはならない。予期せず参謀本部に身を置くことになったが、近衛と軍の連携を促すには格好の地位だと言えた。
 足掛かりはできた。これからが勝負だった。


 汗が止まらない。粟立った肌は、もうずっとその状態で、手綱を握る手は冷たくなっていた。シアンは背後にいる大勢の兵を振り向くのが怖かった。通信兵が先頭の馬の速さに追いつけず、後衛の兵が代わりにそれを合図した。
 撤退の指示だ。それほど無茶なところまで踏み込んでいた。それなのにアージェントは兵を鼓舞した。
「引くな! この場を死守しろというのが青の王の命令だ。死ぬ運命というものがある。それは今ではないと俺にはわかる」
 目の前の敵が見えていないのか、と正気を疑う。もうその頃にはアージェントは戦場の悪魔とそしられていた。それは敵軍よりも味方の兵から言われ始めた言葉で、彼をいさめるのが自分の役目だとシアンにはわかっていた。
 それでも「来い、シアン」と言われれば馬を走らせついていくしかない。剣を抜く後ろ姿を追いかける。兵も全員があとに続いた。


 急な野営だったので、シアンは奇襲を警戒して馬で周囲を走った。
 あたりに身を潜めるような場所はなく、満月がまぶしいほどの夜だったので攻撃はないだろうと判断した。見張りの兵への指示を終えると、次に軍の騎馬団を見て回る。怪我を負った者には治療を受けるよう促したが、立ち上がる気力も残っていないようだった。
 他の兵も同じで、勝ち戦だったにも関わらずほとんどの者が放心状態だ。泥のように眠り込んでいる兵が、一番肝が据わっているのかもしれなかった。
「早く食事を取って、身体を休めてください」
 兵たちに声をかけると、追い払うように片手をふられる。
「明日、死にたくなければ腹に入れてください。四時間後にはまた戦場です」と告げると、ようやく男たちは顔をあげた。
 シアンは自らもパンをちぎってくちに入れると強烈な匂いを放つ酒で飲み込んだ。喧嘩をする体力も残っていなかったので黙ってその場を離れた。丸二日、緊張状態で駆けずり回っていたため、シアンも体力の限界だった。
 近衛の騎馬隊が休んでいる幕舎へ向かう。
「失礼します」
 そう広くない天幕の中央には食べ物が置かれ、男たちはそれを囲んで座って、酒を回し飲みしている。
「アージェント副隊長にお話があります」
「俺も話がある。座れ、シアン」
 シアンを見ずに返事をした。アージェントは干し芋をかじりながら、馬の足先にかませる金具を片手で弄んでいる。地面には布が敷かれていたが全員が靴を履いたままそこに座っていた。シアンはそばまで行くと両ひざをついて座る。
「重すぎて馬の負担が大きい。この程度を走らせただけで疲弊するようなら実用化は難しい。材質を鉄に変えろ」
 金具を投げつけられて左手で受け止めた。U字に似た長円形の金属はすり減って汚れている。みなが命の危機を感じていた時、この男はひとりだけ馬具の重さのことを考えていたのだろうか。やはり正気じゃない。
「鉄は価格が高いので、全軍に普及させることを考えたら現実的な案ではありません」
「だがこれより薄くすれば耐久性に問題が出る。どうにかしろ、おまえは王宮一の学士なのだろう」
 勝手な言い草に腹が立つ。冷静になれと自分に言い聞かせることが日課となっていた。それも、日に何度も同じことを思わなくてはならない。
「私の話もこの馬具の件です。私だけ先に王都に帰って()()()に試作を造らせるように、スクワル団長から命じられました。やはり副隊長のご指示ですね」
 アージェントはちらりと横目でシアンを見た。
「金具が使えないのなら長距離の走行は不可能だ。次の作戦を想定して、東方の常駐軍にさせている訓練も無駄になる」
「戦局が際どい状況で私が隊列を外れるのは得策とは思えません。どうしてもとおっしゃるなら他の兵を王都に()ります」
「頭を下げられないと命令に従えないのか?」
「下げられたことがないのでわかりませんが、試してみますか?」
 近衛たちが、ふ、と息をもらした。笑い声のようだったから、シアンは睨みつけるようにまわりを見まわした。視線を合わせる者はいなかった。静かになったのを確かめてアージェントに向き直る。
「あなたは撤退の命令を無視してこんな場所まで深追いし、兵力の一割を犠牲にした。彼らやその家族にしてみたら本物の悪魔です。その上、切り抜ける策もないのに私を手放すなど、残りの兵まで殺すつもりですか」
「王都に戻るまでに隊員はさらに減る。おまえの役目は青の王に尽くすことだ。戦場で死ぬことではない」
「足手まといになるほど弱いつもりはありません。今は私が必要なはずです」
 返答はなかったが、うんざりした顔で芋を噛みしめている男を見て、勝った、と満足した。シアンは金具を顔の高さまで持ち上げた。
「ひづめに打ち付けられるように改良すれば軽くできます。設計図を描いて兵に持たせ、明朝、発たせます。よろしいですね、副隊長」
「好きにしろ」
「それから、今後は私にご不満があるのでしたら直接おっしゃってください。まわりくどいやり方で、スクワル団長まで巻き込むのはやめてください」
「おまえはスクワルが好きだな」
「あなたとは違って部下からの信頼も(あつ)い方ですから。騎馬団と近衛の騎馬兵を取りもつための大切な……痛っ!」
 片頬をつねられて、シアンは「なにふるんでふか!」と怒鳴った。
「素直に『はい』と言え。嫌味を言わなければ気が済まないのか」
「口先だけの返事ならあなたのほうが得意でしょう。干し芋だけでは栄養が補えないので、肉類も摂ってくださいと何度も申し上げたはずです」
 アージェントはますます眉間にしわを寄せて「これが一番()()い」と、子どものように言い訳した。
「おまえは段々、くちうるさくなるな。俺の恋人気取りか?」
「背筋が冷えるような冗談はやめてください」
 睨みあっていると見かねたルクソールが、「まあまあ、ふたりとも。これでも飲んで落ち着きなさい」と、あいだに割って入った。湯気の立つ茶器を差し出される。酒よりも茶をひいきにしていることは知っていたが、まさか戦場でも湯を沸かすほどの変わり者とは思わなかった。
 ルクソールは呆れたように、「緊張感がないなあ、あなた方は」とつぶやいた。
『あなた方』に自分も含まれていると気づくまで、少し時間がかかった。良い香りに誘われたが、まわりで酒の器を回し飲みしているのを見て「誰がくちをつけたとも知れないものを、飲む気にはなれません」と突き返した。
「団長への報告がありますので、失礼します」
 ルクソールはかすかに首を傾げ、「スクワル団長とはさっき話をしたが、水浴びの後に寄ると言っていたよ。それまでここにいればいい」と言った。
「水浴びですか?」
 野営地のそばに小さな()(しょう)があった。そこへ行ったのだろう。日中の熱さと流れた汗を思い出せば水浴びは悪くない考えだ。
「もしすれ違ったら、すぐに戻ってくるので引き止めておいてもらえますか」
「行くつもりなのか?」と、ルクソールは目を丸くする。
 シアンはうなずいて天幕の外へ出た。
 虫の鳴き声もしない夜だったので水辺に近づくと人の声がよく響く。スクワルだけではなかったのかと思った矢先、目の前に当人が現れた。ちょうど水から上がったところだったのか、スクワルは裸だ。
「団長、よろしいですか」
「──今か? どう見ても微妙だとわかるよな」
「裸だからですか? では、服を着られるまで顔を伏せています。申しつかった馬具の件ですが私の代わりに後衛の者を二名、王都に送ります。人選はお任せいただけますか」
 ひざまずいて願い出た。
 スクワルは「ジェントはおまえには弱いな」と答えると、てきとうに身体をぬぐって服を着始めた。任せた、と返答を(もら)ったので、シアンは礼を言って立ち上がり、腰に巻いたベルトを外して帯もゆるめた。スクワルの顔がひきつる。
「待て、シアン。何で脱いでるんだ?」
「私も水を浴びてきます」
「今か? いや……もう少し先にひとけのない場所があったから、そっちを使え。誰かが行きそうになったら俺が引き止めておく」
 シアンは眉をひそめた。
「おっしゃる意味がわかりかねます」
「せめて服を着たままで水を浴びてこい」
 スクワルの心配の意味がわかって、舌打ちしたくなった。
「歳若い兵が慰みものにされるという話は耳にしますが、ご心配には及びません。正直に申し上げて女性のように気遣われるほうが不愉快です」
 服をすべて脱ぐと、足先で蹴って草むらに寄せる。左脚の太ももに巻きつけてある細いベルトから小剣を抜き取って服の上に放った。どうせすぐに水から上がるつもりなので、脱ぎ散らかしたままでも構わないだろう。
「いや、だが俺が心配しているのは……そうだ、ブラウたちがいるんだ」
「ブロイスィッシュブラウが?」
「あいつらはおまえのことを目のかたきにしているから、またつっかかってくるかもしれない。わざわざ近づいて騒ぎを起こしたくはないだろう?」
 シアンは首を傾げた。
「騒ぎを起こすなと忠告されても困ります。陰口を叩いたり喧嘩腰で話しかけてくるのは彼らのほうです。特に腹も立たないので言い返したりはしていませんし、存在も気になりません」
「だからおまえのそういう態度が余計にブラウを……って、おい待て、人の話を聞け!」
 水は思いのほか冷たかった。
 爪先からひやりとした冷気が上ってきて気持ちがいい。満月がうつりこんだ水面に飛び込むと、わずかにしぶきがあがった。
 湖沼は足の付け根くらいの深さしかなく、中央まで行けばもう少し深いかと思ったが、水深はたいしてかわらなかった。あきらめて頭まで()かると髪を洗った。汚れが落ちると、やはり気分が良かった。
 顔をぬぐってからあたりを見まわすと、スクワルの言っていたとおりブロイスィッシュブラウがいた。化け物でも見つけたかのように険しい顔でシアンを睨んでいる。
 また、くだらない言いがかりでもつけるつもりだろう。シアンは軍の参謀本部に籍を置きながら、騎馬団の一員となった。近衛の騎兵隊は騎馬団の指揮をとっている。明確なすみわけがされているが、シアンは騎兵隊と同列に配置され話し合いの席にもついていた。
 まぎれもない特別扱いなので、やっかまれるのも煙たがられるのも日常茶飯事だ。とりわけ、ブロイスィッシュブラウの嫌味はしつこかった。
 痛いほどに視線を感じて、思わず黒目を睨み返す。
「シアン」
 呼びかけに振り向くと、岸にはアージェントが立っていた。シアンは驚いて目を見張った。
「どうしてここに? 副隊長も水浴びですか」
「来い」
「嫌です」
「おいで、とでも言って欲しいのか」

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