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初代王は精 悍 な顔つきをしている。十数年後のエールの姿そのものと思えた。エールは穏やかで優しかったが、まわりを魅了する力を備えていた。
王として生まれた男。エールに仕えていくことを誇らしく思った。
楽しげな笑い声が聞こえた。
庭園にいたのはエールとルリだ。シアンは足を向けかけたが、とっさに踏みとどまった。彼らと一緒にアージェントがいるのが見えた。
見たこともない穏やかな顔をしている。幼い弟妹を見守っているようにも見えて、いつもの底意地の悪さを、いったいどこにしまいこんだのかと、癇 に障 った。
けれど、エールのくったくのない笑顔を見れば、その気持ちもしぼんでしまう。エールは兄が護衛になってからというもの、笑顔を絶やさなかった。
もとから朗らかな性質ではあったが、青の王という大きすぎる責務が苦しかったのか、以前はときおり張りつめた様子で物思いにふけることがあった。しかし最近はよく、年相応の安堵しきった顔を見せる。
アージェントは、「王として振る舞え」と叱っていたが、エールはむしろ怒られることすら喜んでいるようで、冷たくあしらわれても、兄さん、兄さんとなついている。
ルリがいる時だけは、アージェントもあまりきついことは言わなかった。それが、ルリのことを気に入っているからなのか、それとも彼女が思うように、女性だからという理由なのかはわからないが、やはり、はたから見ると仲が良いように思える。
彼らは芝の上にだらしなく寝転がって、シャトランジをしていた。
シャトランジは、シアンがエールに教えた遊びだ。アージェントが黒の駒を動かすと、盤の反対側にいるエールは寝転ぶルリの耳に顔を寄せ、こそこそと相談し合って、赤の駒を置く場所を決めていた。
ぴくりと、アージェントの肩が揺れてこちらを見た。動物並みに勘が鋭い。とっさのことで、物かげに隠れることもできなかった。
アージェントはいつものように、「近寄ってきたらどうだ? そんなに警戒しなくても、取って食いはしない」とシアンをからかった。
無視して立ち去ろうとしたが、それより先にエールが「シアン!」と、上体を起こした。
「ねえ、一緒にシャトランジしよう!」
楽しげな王の誘いを、断ることはできなかった。
渋々と近づいていけば、予想どおりアージェントは、意地の悪い笑みをくちの端 に浮かべていた。
ぐいっと手首を引かれる。芝生に倒れ込むと、両手で肩を押さえつけられた。
「おまえの番だ」
「は?」
「ええっ、兄さんずるいよ! シアンには僕の味方になってもらおうと思ったのに。兄さんとシアンが組んだら、僕ら絶対に勝てないよ。シアンはアリーヤなんだよ」と、エールがくちを尖らせる。
「アリーヤ?」
「シャトランジの大会で勝つと与えられる位だよ。アリーヤは最高位で、三人までしか選ばれないんだ。シアンは子どもの頃から大会で優勝し続けて、アリーヤの地位を誰にも渡していないんだよ。すごいでしょう」
「なおさら都合がいい。おまえは昔から、目標が高くなければ、本気にはならないだろう?」
アージェントはエールの訴えをあっさり流して、シアンの背をまくら代わりに寝転がった。
「ここは日差しが強いな。目がつかれたのでしばらく休む。シアン、俺の代理を務めるんだから、負けるなよ」
ああ、言いたい。はあ? と言って、侮 蔑 の視線をおくってやりたい。
勝手なことを言う男は、シアンの苛立ちに気づいた様子もなく、人の背中でくつろいだ。
「兄さん、僕が勝ったら言うことをきいてくれる約束、忘れないでよ。遠乗りに付き合ってくれるんだよね?」
「勝てたらな」
「絶対だよ」
エールがねんを押したが、もう返事はなかった。アージェントは驚くべき素早さで寝入ってしまったようだった。背中が熱くて重い。わずらわしくてふりおとそうと思ったのに、結局できなかった。
うららかな昼下がりで、アージェントがいうほど日差しは強くない。陽気で花が開いたのか、庭には甘い匂いがただよっていた。
遠乗りは馬に乗って出かけることだ。王宮暮らしに慣れれば、馬には乗らず、馬車をひかせるのが当たり前だ。
エールは安全のために乗馬を禁じられているのだが、人目を盗んでは近衛の厩舎に入り込み、連れ戻されることがよくあった。それほど遠乗りが好きならば、馬に乗れるように練習してみようか。そんなことでエールが喜ぶなら乗馬を覚えるのも悪くない。
エールが赤い駒を置き、「次はシアンの番だよ」と言う。シアンはうなずくと同時に、黒い駒を動かした。途中から引き継いだので、ざっと盤上をながめる。
アージェントの布陣は変わっている。大胆に相手の陣に切り込んでいるけれど、攻めいられる隙 も残している。
エールを試そうとしたのだろうか。それとも、誘い込もうとしているのかもしれない。不自然な配置も気になった。他人の思考をのぞき見るようで、興味深くおもしろかった。目の前には真剣に向かってくる対局相手がいるのに、闘う相手は背後にいる。そんな風に思えた。
勝負は案外、早くについた。
「シャーマット」
駒を動かすと、エールとルリはおおげさにがっかりした。遊びくらいで悔しがることはないのに。
同時に、素直なふたりが好ましかった。彼らが並んでいると、対になった絵画のようで微笑ましい。
「もう一回! ね、兄さん、いいでしょ。もう一回勝負して」
「早いな。もう負けたのか」と、背中で男がのそりと動いた。
アージェントは片手をついて身体を起こすと、シアンの頭上から盤をのぞきこもうとした。見づらかったのか、邪魔だと言わんばかりにてのひらで頭を押さえつけられる。
「何手だ?」
「……十一です」
シアンが駒を動かした回数だ。伸ばされた指先が、軽やかに駒を動かして数手前の盤上に巻きもどした。エールの動きがわかれば予想はつく。シアンも一局対戦すれば相手の進め方は把握できた。
赤い駒が、前とは違う場所に置かれた。
「こうきたらどうする?」
「先ほどよりも早く詰みます。シャーマットまで十手」
「九手でいけるだろう」
そう言われて考えなおす。この勝負の相手は『エール』だ。彼は守りに集中しがちなところがあって、いつもある箇所で間違いを犯す。その無駄な動きで、シアンは一手早く詰むことができる。アージェントに指摘されたことが悔しかった。
侍従がエールを呼びに来たので、その日の遊びはおひらきとなった。
エールは短期間でシャトランジの腕を上げ、その陰には兄の存在があるのは間違いなかった。はじめに教えたのは自分なのにと、少しだけ面白くなかった。
アージェントに勝負をふっかけたのは、シアンからだ。キオスクの机にシャトランジの盤を置くと、アージェントは大人しく向かいの席についた。誘いに乗ったことを後悔させてやる、とシアンは意気込んだ。
「ただ対局するだけではつまらないな。なにを賭ける?」
「賭けなど必要ないでしょう。シャトランジは、純粋に知能をはかる遊びです」
「では、俺が勝ったら近衛に入れ」
「……は?」
なにが「では」だ。人の話をきいていないのか?
シアンは苛立ちながら、手前のマスに赤い駒を並べた。
「私はアジュール王の側近になります。無駄な寄り道をしている時間はありません」
「王の身に危険が迫れば、側近は盾となってかばわなくてはならない。ただの盾では、兵が駆けつけるまでの時間すら稼げないだろう」
アージェントは何でもないことのように言って、ひとつめの黒の駒を動かした。
「剣でしたら、王宮付きの剣士だったバーガンディー様に習っていたことがあります」
王の教育の一環でエールが習っていたので、シアンも付き合った。
エールは教えられる前から剣術に秀でていた。バーガンディーの剣の型を模倣する姿は凛 としていて、かたわらでそれをながめるだけでも楽しかった。
「剣士だった、とは? 死んだのか」
「昨年、赤の宮殿の側近になられたのです」
「赤の王というと、南方を治めていたか。穏やかな気候と豊富な資源、住みやすい環境を求めて移住する富裕層が民の一割を占め、隣国のビレットとも交易が盛んで脅威にはならない。その上、王都で一番強い剣士が側近か。エールとは大違いだな」
カツンと音をたて、赤の駒を乱暴に置いた。
「東方の現状を知っているか? あの領土を治めるには軍事力の強化が不可欠だ。治安が落ち着けば、確かな税収も得られるようになる。政策のすべてを、軍のために傾ける必要がある」
「そのような話はバルナス様に相談されてはどうです。そのために、近衛隊長は側近としても認められているのですよ」
「名目だけの『側近』だ。実際の政策は、私腹を肥やす文官たちの思うままになっている。近衛の力が弱いから、意見など通りようがない。だが、近衛が力を持ち、青の宮殿で最も逆らえない存在となれば、近衛隊長の言葉は無視できなくなる。そうならなくては青の宮殿はいつまでも王宮のお荷物だ」
盤の上では、せわしなく赤と黒の駒が入れ違う。戦局はシアンに有利だったが、落ち着かない気持ちになる。アージェントが王宮に現れてからずっとこうだ。捨て石がわりの赤の駒を、敵陣に切り込ませた。
勝負に勝てることはわかりきっている。でなければ、挑んだりしない。それでも、薄く汗をかいた。
男は腰を浮かせた。ふわりと顔が近づいた。
「シアン、近衛に来い。俺のそばにいろ」
「アジュール王の兄上のお誘いでも、お断りします」
「では言葉を変える。俺のそばで武芸の腕をみがいて、どのような敵からも青の王の身を守れるようになれ。おまえの才があれば、近衛を確かな地位へと押し上げることも夢ではなくなる。誰にも代わりのきかない王の右腕となって、エールを一生、守ってくれ」
顔をあげた。深い青の瞳はやさしく、いつもの憎たらしい笑みを浮かべていたので、どんな男か知っているのに、思わず見とれた。
ああ、女たらしとはこういう男のことを言うのだな。
愛していると言われたい女には、愛していると告げるのだろう。
殺してほしいと言う女には、殺してやるとささやくのだろう。
相手が一番、言われたい言葉を知っている。言葉遊びのようなものだとわかっているのに、悪魔のような誘い文句は甘く、『代わりのきかない王の右腕』という魅惑的な響きは、毒のようにシアンを犯した。
アージェントは近衛の中では浮いていた。そのくせ無視されることはなく、兵の気が立っている時などは、喧嘩相手として選ばれた。
組み合いは長くは続かず、相手はすぐに投げ飛ばされた。飛びかかってくる勢いを利用して投げ飛ばす技は、目を凝らせばかろうじてわかった。
投げる時は手加減している時だ。逆上した相手が武器を手に襲いかかれば、遠慮なく骨を折った。それは、気に入らない相手でも同じだった。やりすぎではないのかと、それとなくたしなめたことがある。
「血の気の多い犬を躾 けるには、土の味を噛みしめさせて、主 が誰かをはっきりさせるしかない。力のない者は、近衛にいても役には立たないだろう? この程度の力で王を守れるなどと勘違いしているのなら、知らしめる必要がある」
平然としていた。
その声は訓練所に響き、シアンがこっそり注意した甲斐もむなしく兵たちの耳にも届いてしまい、ますますまわりの怒りを買うことになった。
不意打ちで数人に囲まれても、後ろに目がついているのかと疑いたくなるほど隙がない。気配に敏感で、勘の良さ以上に体術というものが身に染みついていた。
スクワルは、「あれは他国の武術だな。見たことがない」とのんきに評した。
王として生まれた男。エールに仕えていくことを誇らしく思った。
楽しげな笑い声が聞こえた。
庭園にいたのはエールとルリだ。シアンは足を向けかけたが、とっさに踏みとどまった。彼らと一緒にアージェントがいるのが見えた。
見たこともない穏やかな顔をしている。幼い弟妹を見守っているようにも見えて、いつもの底意地の悪さを、いったいどこにしまいこんだのかと、
けれど、エールのくったくのない笑顔を見れば、その気持ちもしぼんでしまう。エールは兄が護衛になってからというもの、笑顔を絶やさなかった。
もとから朗らかな性質ではあったが、青の王という大きすぎる責務が苦しかったのか、以前はときおり張りつめた様子で物思いにふけることがあった。しかし最近はよく、年相応の安堵しきった顔を見せる。
アージェントは、「王として振る舞え」と叱っていたが、エールはむしろ怒られることすら喜んでいるようで、冷たくあしらわれても、兄さん、兄さんとなついている。
ルリがいる時だけは、アージェントもあまりきついことは言わなかった。それが、ルリのことを気に入っているからなのか、それとも彼女が思うように、女性だからという理由なのかはわからないが、やはり、はたから見ると仲が良いように思える。
彼らは芝の上にだらしなく寝転がって、シャトランジをしていた。
シャトランジは、シアンがエールに教えた遊びだ。アージェントが黒の駒を動かすと、盤の反対側にいるエールは寝転ぶルリの耳に顔を寄せ、こそこそと相談し合って、赤の駒を置く場所を決めていた。
ぴくりと、アージェントの肩が揺れてこちらを見た。動物並みに勘が鋭い。とっさのことで、物かげに隠れることもできなかった。
アージェントはいつものように、「近寄ってきたらどうだ? そんなに警戒しなくても、取って食いはしない」とシアンをからかった。
無視して立ち去ろうとしたが、それより先にエールが「シアン!」と、上体を起こした。
「ねえ、一緒にシャトランジしよう!」
楽しげな王の誘いを、断ることはできなかった。
渋々と近づいていけば、予想どおりアージェントは、意地の悪い笑みをくちの
ぐいっと手首を引かれる。芝生に倒れ込むと、両手で肩を押さえつけられた。
「おまえの番だ」
「は?」
「ええっ、兄さんずるいよ! シアンには僕の味方になってもらおうと思ったのに。兄さんとシアンが組んだら、僕ら絶対に勝てないよ。シアンはアリーヤなんだよ」と、エールがくちを尖らせる。
「アリーヤ?」
「シャトランジの大会で勝つと与えられる位だよ。アリーヤは最高位で、三人までしか選ばれないんだ。シアンは子どもの頃から大会で優勝し続けて、アリーヤの地位を誰にも渡していないんだよ。すごいでしょう」
「なおさら都合がいい。おまえは昔から、目標が高くなければ、本気にはならないだろう?」
アージェントはエールの訴えをあっさり流して、シアンの背をまくら代わりに寝転がった。
「ここは日差しが強いな。目がつかれたのでしばらく休む。シアン、俺の代理を務めるんだから、負けるなよ」
ああ、言いたい。はあ? と言って、
勝手なことを言う男は、シアンの苛立ちに気づいた様子もなく、人の背中でくつろいだ。
「兄さん、僕が勝ったら言うことをきいてくれる約束、忘れないでよ。遠乗りに付き合ってくれるんだよね?」
「勝てたらな」
「絶対だよ」
エールがねんを押したが、もう返事はなかった。アージェントは驚くべき素早さで寝入ってしまったようだった。背中が熱くて重い。わずらわしくてふりおとそうと思ったのに、結局できなかった。
うららかな昼下がりで、アージェントがいうほど日差しは強くない。陽気で花が開いたのか、庭には甘い匂いがただよっていた。
遠乗りは馬に乗って出かけることだ。王宮暮らしに慣れれば、馬には乗らず、馬車をひかせるのが当たり前だ。
エールは安全のために乗馬を禁じられているのだが、人目を盗んでは近衛の厩舎に入り込み、連れ戻されることがよくあった。それほど遠乗りが好きならば、馬に乗れるように練習してみようか。そんなことでエールが喜ぶなら乗馬を覚えるのも悪くない。
エールが赤い駒を置き、「次はシアンの番だよ」と言う。シアンはうなずくと同時に、黒い駒を動かした。途中から引き継いだので、ざっと盤上をながめる。
アージェントの布陣は変わっている。大胆に相手の陣に切り込んでいるけれど、攻めいられる
エールを試そうとしたのだろうか。それとも、誘い込もうとしているのかもしれない。不自然な配置も気になった。他人の思考をのぞき見るようで、興味深くおもしろかった。目の前には真剣に向かってくる対局相手がいるのに、闘う相手は背後にいる。そんな風に思えた。
勝負は案外、早くについた。
「シャーマット」
駒を動かすと、エールとルリはおおげさにがっかりした。遊びくらいで悔しがることはないのに。
同時に、素直なふたりが好ましかった。彼らが並んでいると、対になった絵画のようで微笑ましい。
「もう一回! ね、兄さん、いいでしょ。もう一回勝負して」
「早いな。もう負けたのか」と、背中で男がのそりと動いた。
アージェントは片手をついて身体を起こすと、シアンの頭上から盤をのぞきこもうとした。見づらかったのか、邪魔だと言わんばかりにてのひらで頭を押さえつけられる。
「何手だ?」
「……十一です」
シアンが駒を動かした回数だ。伸ばされた指先が、軽やかに駒を動かして数手前の盤上に巻きもどした。エールの動きがわかれば予想はつく。シアンも一局対戦すれば相手の進め方は把握できた。
赤い駒が、前とは違う場所に置かれた。
「こうきたらどうする?」
「先ほどよりも早く詰みます。シャーマットまで十手」
「九手でいけるだろう」
そう言われて考えなおす。この勝負の相手は『エール』だ。彼は守りに集中しがちなところがあって、いつもある箇所で間違いを犯す。その無駄な動きで、シアンは一手早く詰むことができる。アージェントに指摘されたことが悔しかった。
侍従がエールを呼びに来たので、その日の遊びはおひらきとなった。
エールは短期間でシャトランジの腕を上げ、その陰には兄の存在があるのは間違いなかった。はじめに教えたのは自分なのにと、少しだけ面白くなかった。
アージェントに勝負をふっかけたのは、シアンからだ。キオスクの机にシャトランジの盤を置くと、アージェントは大人しく向かいの席についた。誘いに乗ったことを後悔させてやる、とシアンは意気込んだ。
「ただ対局するだけではつまらないな。なにを賭ける?」
「賭けなど必要ないでしょう。シャトランジは、純粋に知能をはかる遊びです」
「では、俺が勝ったら近衛に入れ」
「……は?」
なにが「では」だ。人の話をきいていないのか?
シアンは苛立ちながら、手前のマスに赤い駒を並べた。
「私はアジュール王の側近になります。無駄な寄り道をしている時間はありません」
「王の身に危険が迫れば、側近は盾となってかばわなくてはならない。ただの盾では、兵が駆けつけるまでの時間すら稼げないだろう」
アージェントは何でもないことのように言って、ひとつめの黒の駒を動かした。
「剣でしたら、王宮付きの剣士だったバーガンディー様に習っていたことがあります」
王の教育の一環でエールが習っていたので、シアンも付き合った。
エールは教えられる前から剣術に秀でていた。バーガンディーの剣の型を模倣する姿は
「剣士だった、とは? 死んだのか」
「昨年、赤の宮殿の側近になられたのです」
「赤の王というと、南方を治めていたか。穏やかな気候と豊富な資源、住みやすい環境を求めて移住する富裕層が民の一割を占め、隣国のビレットとも交易が盛んで脅威にはならない。その上、王都で一番強い剣士が側近か。エールとは大違いだな」
カツンと音をたて、赤の駒を乱暴に置いた。
「東方の現状を知っているか? あの領土を治めるには軍事力の強化が不可欠だ。治安が落ち着けば、確かな税収も得られるようになる。政策のすべてを、軍のために傾ける必要がある」
「そのような話はバルナス様に相談されてはどうです。そのために、近衛隊長は側近としても認められているのですよ」
「名目だけの『側近』だ。実際の政策は、私腹を肥やす文官たちの思うままになっている。近衛の力が弱いから、意見など通りようがない。だが、近衛が力を持ち、青の宮殿で最も逆らえない存在となれば、近衛隊長の言葉は無視できなくなる。そうならなくては青の宮殿はいつまでも王宮のお荷物だ」
盤の上では、せわしなく赤と黒の駒が入れ違う。戦局はシアンに有利だったが、落ち着かない気持ちになる。アージェントが王宮に現れてからずっとこうだ。捨て石がわりの赤の駒を、敵陣に切り込ませた。
勝負に勝てることはわかりきっている。でなければ、挑んだりしない。それでも、薄く汗をかいた。
男は腰を浮かせた。ふわりと顔が近づいた。
「シアン、近衛に来い。俺のそばにいろ」
「アジュール王の兄上のお誘いでも、お断りします」
「では言葉を変える。俺のそばで武芸の腕をみがいて、どのような敵からも青の王の身を守れるようになれ。おまえの才があれば、近衛を確かな地位へと押し上げることも夢ではなくなる。誰にも代わりのきかない王の右腕となって、エールを一生、守ってくれ」
顔をあげた。深い青の瞳はやさしく、いつもの憎たらしい笑みを浮かべていたので、どんな男か知っているのに、思わず見とれた。
ああ、女たらしとはこういう男のことを言うのだな。
愛していると言われたい女には、愛していると告げるのだろう。
殺してほしいと言う女には、殺してやるとささやくのだろう。
相手が一番、言われたい言葉を知っている。言葉遊びのようなものだとわかっているのに、悪魔のような誘い文句は甘く、『代わりのきかない王の右腕』という魅惑的な響きは、毒のようにシアンを犯した。
アージェントは近衛の中では浮いていた。そのくせ無視されることはなく、兵の気が立っている時などは、喧嘩相手として選ばれた。
組み合いは長くは続かず、相手はすぐに投げ飛ばされた。飛びかかってくる勢いを利用して投げ飛ばす技は、目を凝らせばかろうじてわかった。
投げる時は手加減している時だ。逆上した相手が武器を手に襲いかかれば、遠慮なく骨を折った。それは、気に入らない相手でも同じだった。やりすぎではないのかと、それとなくたしなめたことがある。
「血の気の多い犬を
平然としていた。
その声は訓練所に響き、シアンがこっそり注意した甲斐もむなしく兵たちの耳にも届いてしまい、ますますまわりの怒りを買うことになった。
不意打ちで数人に囲まれても、後ろに目がついているのかと疑いたくなるほど隙がない。気配に敏感で、勘の良さ以上に体術というものが身に染みついていた。
スクワルは、「あれは他国の武術だな。見たことがない」とのんきに評した。