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兵に課される訓練は、シアンの想像以上に厳しいものだった。近衛に入るまでは、本を借りにカテドラルの書庫へ行くか、研究所に出入りするか、という程度にしか身体を動かすこともなかったので、同世代の子どもよりも体力は劣っていたはずだ。
へとへとになっても、訓練のあと、アージェントに連れ出される。じゅうぶんに眠ることも許されなかった。
アージェントは平然と、「戦場に行ったら、三晩寝ずに見張りをすることなどざらだ」と、シアンの貧弱さを非難した。
「私は見張り番の兵に甘んじるつもりはありません」
「敵の動きだけを見張るのではない。護衛であれば、王から目を離す暇などないだろう」
エールの名を出されれば、悔しくても彼の稽古についていくしかない。
近衛隊長のバルナスには、直 々 に剣の手ほどきを受け、筋がよいと褒められもした。彼はシアンの父親に仕えていたから、以前からよく見知っていた。彼は評判の良くなかった〈白銀王〉にも忠誠を誓っていた。
多くを語ることのない男だったが、熱心に剣の指導を受ける間、もしかしたら親代わりのような気持ちで、シアンの面倒をみてくれているのかもしれないなと、少しだけうれしく思った。
エールの部屋を訪れると、先客がいた。
敷布に座り、お茶を楽しんでいたのはパーピュアだった。即位して間もない紫の王で、顔を合わせたことは数度あったが、青の宮殿で会うのは初めてだ。人払いをしたのか、そばに紫の侍従の姿はなかった。
シアンは邪魔になるといけないと思い、「失礼しました」と頭を下げて出ていこうとしたが、パーピュアにひきとめられた。
「まあいいから、ここに座れ」と、あぐらをかいた長い脚をぽんぽんと叩かれて、返答に困る。
棒立ちになっていると、エールが「椅子、用意しようか」と、お茶を淹れはじめた。王にそんなことをさせるわけにもいかず、シアンは自分のお茶を注ぐはめになった。
「どうだ、近衛には慣れたか」
パーピュアは尋ねた。
「おまえのような見目の良い者が入ってきたら、あのむさむさしい連中はそれは色めきたつだろうな。まだ貞操は無事か? それともジェントあたりには喰われたか?」
彼女はアージェントのことを「ジェント」と愛称で呼ぶ。
けれど、決して仲が良いわけではない。顔を合わせれば、アージェントは儀礼的に挨 拶 をし、そそくさと彼女の前を去る。パーピュアも語りかける必要がなければ、エールのそばにいる男を徹底的に無視した。
そのくせ、シアンをかまう時には男の名を出す。効果的に苛 められると、知っているかのようだ。
「男所帯とはいえ、さすがに男に手を出すような兵はおりません」
シアンは真面目くさって答えた。
パーピュアは、「ふうん?」と不思議そうにした。
「青の近衛は揃って腰抜けだな。こんなに美しい者を放っておくなど、男として恥ずべきことだ。どうだ、近衛などさっさとやめて、紫の侍従にならないか? シアンならば、すぐわたしの側近にとりたててやるぞ」
「だめだよ、パーピュア。シアンは僕の側近になるんだから、とらないでよ」
エールがくちを挟んだ。拗 ねた口調に、パーピュアは顔をほころばせた。
「かっわいいなあ、アジュールは。おまえこそ、青の王でなければわたしの侍従にしてやったのに残念だ。しかし、ルリを青の侍女としてくれてやったのだから、わたしもなにか見返りが欲しい。シアンと交換だ」
「ルリのことは感謝してるよ。パーピュアはルリを気にいっていたものね」
「ほとんど、話したことはないがな。だが可愛らしくて色気があって、おっぱいのでかい子は好きだ。あの歳であれなら、これからも期待できる。手放したくはなかったな」
「……パーピュア」
「はは、おまえもそう思ってるんだろ。なに、恥ずかしがることはない!」
エールは助けを求めるようにシアンを見たが、シアンにも差し出せる藁はなかった。
「ルリと約束したんだ。いつか青の侍女にしてあげるって。何度も紫の方に交渉したけれど、僕がこだわるほどルリのことを手放そうとしなかった。こういう言い方は不謹慎だけれど、逝 去 されてよかったと思う」
「そうだな。あんな下 種 野郎は生きていても害をまき散らすだけだ。早めに死んで正解だった」
パーピュアは、自分の前の王を、からりと笑いながら批難した。
「でもシアンは渡さないよ」
「それは本人の意思次第だろう。青の王の子どもだからといって、青の宮殿に仕えなければいけないという決まりはない。シアンはどうしたいのだ?」
急に矛先が向いて、シアンは少し戸惑った。
わがままで奔放なパーピュアとはいえ、王たちのひとりだ。素直に胸中を答えていいものかわからない。
「シャーと、アージェント様のお許し次第です」
無難なところで手を打った。
「アジュールはともかく、なぜジェントの許可が必要なのだ? 青の近衛の隊長はたしかバルナスだろう。やつの許しがいるならともかく、ジェントは関係ないのではないか」
「それは……」
近衛になった経緯を、エールは知らない。興味深そうに、シアンの答えを待っていた。
アージェントとともに近衛を強くしていくことが、いずれエールのためになる。
けれど、パーピュアの前で、そこまで答えるべきではないと思い、くちごもった。
「ジェントが好きなのか?」
「……先に近衛に入られた方ですから、敬う気持ちは持ち得ております」
「おまえは本当にかたくなで可愛いなあ。ますます欲しくなったぞ。ジェントなどに忠実に仕えていてもおいしい思いはできまい。ああいう男は、遊び飽きたらポイ捨てだぞ? わたしなら、ずっと可愛がってやれる。紫の宮殿の近衛は精鋭ばかりだし、隣国の書物も手に入る。シアンにとっても悪い話ではないと思うがな」
「お声をかけていただいたことは光栄に思います。しかし、アジュール王にお仕えすることこそが私の幸福なのです」
パーピュアは「ちっ」と舌打ちしたが、それ以上は無駄な誘いをしなかった。
もとから、言葉遊びのつもりだったかもしれない。
お茶を飲み干す。早々に席を立つつもりでいたが、パーピュアは新しい茶を注がせて、淡い黄色の陶器を差し出した。
「北方の田舎町ではよくある菓子だ。茶うけにいいから、シアンもひとつどうだ」
にこにこしながらふたを開けた。
中を見たシアンはくちに含んでいた茶を吹き出しそうになった。
飴 色に輝く小さな粒は、砂糖を溶かして固めた菓子にも似ていた。
けれど、決定的におかしなところがあった。細長い楕 円 の粒の側面から、ひょろりとした突起が数本生えている。
まゆをひそめてそれを見つめてから、正体に気づいた。
「虫……!?」
「北方では昆虫を料理に使うのだ。そのままで食事として出したり、このように砂糖水を炒ったみつをからめて菓子にもする。虫だということは忘れろ。香ばしくてうまいぞ」
そういって、パーピュアはひょいとつまんで、それをくちに入れた。
バリバリと噛み砕く音が、いっそうの恐怖をさそう。
虫。ありえない。けれど、エールもそれを小皿に取り分けながら「パーピュアやめてよ」と、ため息をついた。
「誘いを断られたからって意地悪するのは大人げないよ。王都では虫を食べる習慣はないんだ。まして、王宮じゃ出されるはずもないんだし、シアンが気持ち悪く思うのもわかるよ」
「なにをいうんだアジュール。これは決していじめなどではない。わたしはシアンを鍛えてやろうとしているのだ。戦場に出たら食べ物に困ることもあるだろう? 雑草や虫を食べなければ、飢えて死ぬ可能性もある。そういった時のために、今から慣れておくのだ。好き嫌いしていては生き延びられないぞ?」
最後の言葉は、シアンに向けてだった。
パーピュアの目が輝いている。嫌がらせだ。わかってはいたけれど、ここで食べられないと拒否すれば、紫の王の勧めを断ることになる。
青の近衛と名乗るくせに、ゲテモノのひとつもくちにできない男では、エールに恥をかかせてしまうかもしれない。どうしたらいいのか一瞬だけ、逡 巡 した。
「……いただきます」
勇気をふりしぼってつまみ上げたが、すでに感触が気持ち悪い。みつをからめているとはいっても、表面をおおう琥 珀 色の薄い膜は、目隠しにはならない。
今にも動き出しそうだ。
特別、虫が苦手というわけではなかったが、それは食糧と思わなかったからだ。体内に入ると思えば、嫌悪感しかわいてこない。
前歯で少しだけ噛んだ。くちびるに足の感触がふれる。胃から酸っぱいものがせりあがってくるが、王たちの手前、吐くわけにはいかない。
「無理しないで出しちゃってもいいよ、シアン」
エールは困った顔をしていた。
優しい声に従いたくなった。一気に飲み込めばいいと思うのに、それ以上、下あごが動かせなかった。
ふわりと甘い匂いが鼻につく。それが余計に、生きている時の虫とは結びつかなくて、全身が粟 立 った。
「めずらしいものを食べているな」
視線だけで部屋の入口をみれば、そこにはアージェントとスクワルがいた。上官の前では礼を尽くさなくてはいけない。
あごに力が入ったら、虫の一部を噛みちぎってしまった。
口内にころりと転がる。異物がふれた舌がびくついた。ひーわー!
くちびるに挟んでいた残りは、そのままになっていて、声を出したければ、吐き出すか、すべてを飲み込むしかない。シアンはパニックに陥 った。
アージェントが近づいてくる。
肩に手をかけられて、男が身をかがめたと思ったら、くちびるになにかがふれた。
ずいぶん、近くに顔があると思った。合わさったくちびるは、虫の残骸を奪い取って、ためらいなく噛み砕いた。
「シアン、くちを開けろ」
あごをつかまれて、呆然としたままくちを開かされる。
アージェントの舌が入り込んできた。口内をぬるりとしたものが這う。つばにまみれた虫の身をすくい取って、男は自分のくちに引き込んだ。
味わってから、くちびるを指でぬぐって、薄く微笑んだ。
「北方名物の虫の甘 露 煮 か。なつかしいな、東方でもよくこれと似たものが出回っていた」
そこ、笑うところじゃない。
スクワルが取り乱した声で、「な……おまえ、アージェント! 今なにやった!?」と咎 めた。
「ああ……弟と間違えた。よくこうして、嫌いなものを代わりに食べてやっていたんだ。シアンがあまりに面白い顔をしてるから、つい癖で同じことをしてしまった」
「ちょ、兄さん、誤解を招くような言い方はやめてよ! それって三歳くらいまでの話だろ!? うわあああ、思い出させないでよ!」
エールは頭をかかえた。
「ジェント! 貴様、わたしに見せつけようという魂胆だな!? くっそー、その手があったのか。嫌がりおびえるシアンを、舐めまわすように眺めただけで満足してしまった。わたしはなんと浅はかだったのだっ! 今からでも遅くない、もう一個食べろ、シアン!」
パーピュアが叫んだ。
みんな消えてなくなればいい。
へとへとになっても、訓練のあと、アージェントに連れ出される。じゅうぶんに眠ることも許されなかった。
アージェントは平然と、「戦場に行ったら、三晩寝ずに見張りをすることなどざらだ」と、シアンの貧弱さを非難した。
「私は見張り番の兵に甘んじるつもりはありません」
「敵の動きだけを見張るのではない。護衛であれば、王から目を離す暇などないだろう」
エールの名を出されれば、悔しくても彼の稽古についていくしかない。
近衛隊長のバルナスには、
多くを語ることのない男だったが、熱心に剣の指導を受ける間、もしかしたら親代わりのような気持ちで、シアンの面倒をみてくれているのかもしれないなと、少しだけうれしく思った。
エールの部屋を訪れると、先客がいた。
敷布に座り、お茶を楽しんでいたのはパーピュアだった。即位して間もない紫の王で、顔を合わせたことは数度あったが、青の宮殿で会うのは初めてだ。人払いをしたのか、そばに紫の侍従の姿はなかった。
シアンは邪魔になるといけないと思い、「失礼しました」と頭を下げて出ていこうとしたが、パーピュアにひきとめられた。
「まあいいから、ここに座れ」と、あぐらをかいた長い脚をぽんぽんと叩かれて、返答に困る。
棒立ちになっていると、エールが「椅子、用意しようか」と、お茶を淹れはじめた。王にそんなことをさせるわけにもいかず、シアンは自分のお茶を注ぐはめになった。
「どうだ、近衛には慣れたか」
パーピュアは尋ねた。
「おまえのような見目の良い者が入ってきたら、あのむさむさしい連中はそれは色めきたつだろうな。まだ貞操は無事か? それともジェントあたりには喰われたか?」
彼女はアージェントのことを「ジェント」と愛称で呼ぶ。
けれど、決して仲が良いわけではない。顔を合わせれば、アージェントは儀礼的に
そのくせ、シアンをかまう時には男の名を出す。効果的に
「男所帯とはいえ、さすがに男に手を出すような兵はおりません」
シアンは真面目くさって答えた。
パーピュアは、「ふうん?」と不思議そうにした。
「青の近衛は揃って腰抜けだな。こんなに美しい者を放っておくなど、男として恥ずべきことだ。どうだ、近衛などさっさとやめて、紫の侍従にならないか? シアンならば、すぐわたしの側近にとりたててやるぞ」
「だめだよ、パーピュア。シアンは僕の側近になるんだから、とらないでよ」
エールがくちを挟んだ。
「かっわいいなあ、アジュールは。おまえこそ、青の王でなければわたしの侍従にしてやったのに残念だ。しかし、ルリを青の侍女としてくれてやったのだから、わたしもなにか見返りが欲しい。シアンと交換だ」
「ルリのことは感謝してるよ。パーピュアはルリを気にいっていたものね」
「ほとんど、話したことはないがな。だが可愛らしくて色気があって、おっぱいのでかい子は好きだ。あの歳であれなら、これからも期待できる。手放したくはなかったな」
「……パーピュア」
「はは、おまえもそう思ってるんだろ。なに、恥ずかしがることはない!」
エールは助けを求めるようにシアンを見たが、シアンにも差し出せる藁はなかった。
「ルリと約束したんだ。いつか青の侍女にしてあげるって。何度も紫の方に交渉したけれど、僕がこだわるほどルリのことを手放そうとしなかった。こういう言い方は不謹慎だけれど、
「そうだな。あんな
パーピュアは、自分の前の王を、からりと笑いながら批難した。
「でもシアンは渡さないよ」
「それは本人の意思次第だろう。青の王の子どもだからといって、青の宮殿に仕えなければいけないという決まりはない。シアンはどうしたいのだ?」
急に矛先が向いて、シアンは少し戸惑った。
わがままで奔放なパーピュアとはいえ、王たちのひとりだ。素直に胸中を答えていいものかわからない。
「シャーと、アージェント様のお許し次第です」
無難なところで手を打った。
「アジュールはともかく、なぜジェントの許可が必要なのだ? 青の近衛の隊長はたしかバルナスだろう。やつの許しがいるならともかく、ジェントは関係ないのではないか」
「それは……」
近衛になった経緯を、エールは知らない。興味深そうに、シアンの答えを待っていた。
アージェントとともに近衛を強くしていくことが、いずれエールのためになる。
けれど、パーピュアの前で、そこまで答えるべきではないと思い、くちごもった。
「ジェントが好きなのか?」
「……先に近衛に入られた方ですから、敬う気持ちは持ち得ております」
「おまえは本当にかたくなで可愛いなあ。ますます欲しくなったぞ。ジェントなどに忠実に仕えていてもおいしい思いはできまい。ああいう男は、遊び飽きたらポイ捨てだぞ? わたしなら、ずっと可愛がってやれる。紫の宮殿の近衛は精鋭ばかりだし、隣国の書物も手に入る。シアンにとっても悪い話ではないと思うがな」
「お声をかけていただいたことは光栄に思います。しかし、アジュール王にお仕えすることこそが私の幸福なのです」
パーピュアは「ちっ」と舌打ちしたが、それ以上は無駄な誘いをしなかった。
もとから、言葉遊びのつもりだったかもしれない。
お茶を飲み干す。早々に席を立つつもりでいたが、パーピュアは新しい茶を注がせて、淡い黄色の陶器を差し出した。
「北方の田舎町ではよくある菓子だ。茶うけにいいから、シアンもひとつどうだ」
にこにこしながらふたを開けた。
中を見たシアンはくちに含んでいた茶を吹き出しそうになった。
けれど、決定的におかしなところがあった。細長い
まゆをひそめてそれを見つめてから、正体に気づいた。
「虫……!?」
「北方では昆虫を料理に使うのだ。そのままで食事として出したり、このように砂糖水を炒ったみつをからめて菓子にもする。虫だということは忘れろ。香ばしくてうまいぞ」
そういって、パーピュアはひょいとつまんで、それをくちに入れた。
バリバリと噛み砕く音が、いっそうの恐怖をさそう。
虫。ありえない。けれど、エールもそれを小皿に取り分けながら「パーピュアやめてよ」と、ため息をついた。
「誘いを断られたからって意地悪するのは大人げないよ。王都では虫を食べる習慣はないんだ。まして、王宮じゃ出されるはずもないんだし、シアンが気持ち悪く思うのもわかるよ」
「なにをいうんだアジュール。これは決していじめなどではない。わたしはシアンを鍛えてやろうとしているのだ。戦場に出たら食べ物に困ることもあるだろう? 雑草や虫を食べなければ、飢えて死ぬ可能性もある。そういった時のために、今から慣れておくのだ。好き嫌いしていては生き延びられないぞ?」
最後の言葉は、シアンに向けてだった。
パーピュアの目が輝いている。嫌がらせだ。わかってはいたけれど、ここで食べられないと拒否すれば、紫の王の勧めを断ることになる。
青の近衛と名乗るくせに、ゲテモノのひとつもくちにできない男では、エールに恥をかかせてしまうかもしれない。どうしたらいいのか一瞬だけ、
「……いただきます」
勇気をふりしぼってつまみ上げたが、すでに感触が気持ち悪い。みつをからめているとはいっても、表面をおおう
今にも動き出しそうだ。
特別、虫が苦手というわけではなかったが、それは食糧と思わなかったからだ。体内に入ると思えば、嫌悪感しかわいてこない。
前歯で少しだけ噛んだ。くちびるに足の感触がふれる。胃から酸っぱいものがせりあがってくるが、王たちの手前、吐くわけにはいかない。
「無理しないで出しちゃってもいいよ、シアン」
エールは困った顔をしていた。
優しい声に従いたくなった。一気に飲み込めばいいと思うのに、それ以上、下あごが動かせなかった。
ふわりと甘い匂いが鼻につく。それが余計に、生きている時の虫とは結びつかなくて、全身が
「めずらしいものを食べているな」
視線だけで部屋の入口をみれば、そこにはアージェントとスクワルがいた。上官の前では礼を尽くさなくてはいけない。
あごに力が入ったら、虫の一部を噛みちぎってしまった。
口内にころりと転がる。異物がふれた舌がびくついた。ひーわー!
くちびるに挟んでいた残りは、そのままになっていて、声を出したければ、吐き出すか、すべてを飲み込むしかない。シアンはパニックに
アージェントが近づいてくる。
肩に手をかけられて、男が身をかがめたと思ったら、くちびるになにかがふれた。
ずいぶん、近くに顔があると思った。合わさったくちびるは、虫の残骸を奪い取って、ためらいなく噛み砕いた。
「シアン、くちを開けろ」
あごをつかまれて、呆然としたままくちを開かされる。
アージェントの舌が入り込んできた。口内をぬるりとしたものが這う。つばにまみれた虫の身をすくい取って、男は自分のくちに引き込んだ。
味わってから、くちびるを指でぬぐって、薄く微笑んだ。
「北方名物の虫の
そこ、笑うところじゃない。
スクワルが取り乱した声で、「な……おまえ、アージェント! 今なにやった!?」と
「ああ……弟と間違えた。よくこうして、嫌いなものを代わりに食べてやっていたんだ。シアンがあまりに面白い顔をしてるから、つい癖で同じことをしてしまった」
「ちょ、兄さん、誤解を招くような言い方はやめてよ! それって三歳くらいまでの話だろ!? うわあああ、思い出させないでよ!」
エールは頭をかかえた。
「ジェント! 貴様、わたしに見せつけようという魂胆だな!? くっそー、その手があったのか。嫌がりおびえるシアンを、舐めまわすように眺めただけで満足してしまった。わたしはなんと浅はかだったのだっ! 今からでも遅くない、もう一個食べろ、シアン!」
パーピュアが叫んだ。
みんな消えてなくなればいい。