5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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「結構です。気遣っているつもりなら放っておいてください。あなたのそばにいるよりは、首が飛んだ息子の話を語り聞かせるほうがましです」
 手を振り払おうとしたが、逆に手首を強くつかまれる。
「今後、遺品は他の者に確認させろ。おまえが出ていく必要はない」
「私の仕事です」
「何人分働けば気が済むんだ。作戦を立て野営地の警戒をし、死体の確認に出向くのがすべておまえの仕事か? そうやって張りきるから()(さい)なことで吐く羽目になるんだ」
 普段なら受け流せる程度の皮肉だったが、吐いたのを見られた苛立ちが勝った。誰よりも弱いところを見せたくない相手だ。
 乱暴に腕を振り払うと、「疲れて気がたっているのはみな同じです。早くできる者がしたほうが、効率がいいでしょう」と睨み上げた。
 アージェントはこれみよがしのため息をつく。
「可愛げがない」
「かわいげ? この上、そんなものまで私に求めるのですか」
「おまえは俺の『目』の代わりだけをしていればいい」
「そう思うのなら、少しは無茶な行動を慎んでください。あなたが兵を煽るせいで、何度も作戦を立て直さなくてはいけません。作戦通りであれば、ルクソールだってもしかしたら死なずに済んだかもしれない」
 これまで言わずにいたことをぶつけたが、アージェントは眉ひとつ動かさなかった。
「どう動いても、死ぬ者は死ぬ」
「あなたがそんなふうだから私にしわ寄せがくるんです! だから、墓場にはあれほど多くが埋められて……」
 声を荒げかけたが途中でくちをつぐんだ。感情が高ぶっている時に話をするのは嫌だった。冷静じゃない自分をさらすのは情けないことだ。アージェントもよく「人前で感情をみせるな」と言った。
 嫌な男だったがその考えにだけは共感できた。
「……どうしたら、あなたのようになれるのですか」
 思わずくちをついて出た。シアンは何にもゆらがないものになりたかった。
 以前、日に日に減る兵力の解決策をもとめて、東方のある街に出向いたことがあった。傭兵たちと会い、兵として契約させるためだ。交渉はうまくいったが、その時に、彼らがアージェントに耳打ちした「ニゼル様の墓が荒らされて……」という遠慮がちなささやきのほうが気になった。
 ニゼルというのがエールの母親の名だということは知っていた。とても美しい人で、東方のニゼルとうわさされるほどだとエールはうれしそうに話してくれた。エールの父親は早くに亡くなり、身体の弱いニゼルはアージェントとふたりで暮らしていたという。
 アージェントが王宮へやってきた時、エールは母親を呼び寄せたいと相談した。アージェントは「母上は俺が王宮に来る前に北方の街に避難させた。危険なことには巻き込まれないから心配しなくていい」とエールを安心させていた。
 だけどあの時、すでにニゼルは死んでいた。それも病死ではなくアージェントの叔父にあたる男に襲われた末の自殺だった。
 シェブロンには死者への贈り物として墓に宝石や装身具を入れる習わしがある。もちろん、ニゼルの墓にもそれらは入れられた。そして、()(れき)だらけの街には、家や店だけでなく墓からも金目のものを盗み出すやからがいる。
 アージェントとエールの母親の遺体は、おさめられた装身具とともに消えていた。傭兵たちは「賊を捜すなら手伝おう」と名乗り出てくれたが、アージェントは必要ないと断った。
 シアンはからっぽの墓穴を見下ろして、「どうして、シャーに嘘をついたのですか」とアージェントを責めた。
「王には母親はいない。余計なことを聞かせる必要はない」
「あなたが死んでもアジュール王には伝えるべきではないと言うのですか」
「俺の死がエールの気を塞がせるのなら、そうすべきだ。見定めるのが側近の仕事だ」
 当たり前のように言われた。きっと、シアンが死んでも平然と墓穴に投げ入れてエールには嘘をつくのだろう。
 この男は心がゆらぐことはないのだろうか。
 シアンは暗い穴を見つめるとおそろしくなる。家族も恋人もいない自分には遺品を受け取り悲しむ人はいない。遺体を墓から持ち去られても誰も捜そうとはしないだろう。穴に埋められてしまえば、すぐに忘れ去られる存在だ。
 あの時、孤独だという、そんなちっぽけなことで心をゆらがされてしまったことが悔しかった。
「あなたが死んでも、シャーには知らせません」
 以前のやりとりを忘れているかもしれないと思ったが、アージェントは少しの間のあとに「おまえは良い側近になる」と硬質な声で予言した。ずるいと思った。
「だけど、あなたには……シャーのほかにも、死の知らせを悲しむ者がいる。遺品を受け取る者がいる」
 ルリがいるのだ。ルリを好きなのだ。悪乗りする兵の前で彼女の話をしないほどにはルリのことを愛しているのだ。こんな場所まで引きずり込んだくせに、シアンにはないものを持っている男が心の底から憎らしかった。
 紅茶の香りで思い出したのは死んだ兵に対する罪悪感ではなく、自分がひとりだということだ。やりきれないほど悔しくなった。
 今度こそ天幕を出て行こうとしたが、邪魔するように腕をつかまれる。振りほどくことができないほど強い力で引き寄せられて、アージェントの胸にひたいをぶつけた。
「なにするんで……痛ッ!」
 指で強く引っ張られた左耳が熱くなった。
「動くな。暴れると顔に刺さるぞ」
 おそろしい言葉をささやかれる。片腕でシアンの頭を抱え込むようにして胸に押し付けるので、身動きがとれない。
 耳たぶのやわらかい部分に突き刺さる痛みがまた深くなって、もがくことすら忘れた。熱いと感じたのは一瞬のことで、どっと冷たい汗が吹き出す。何をされているかわからない恐れに、身体じゅうがビリビリと震えた。
「ふ……っ、やっ、な?」
「密着している時に可愛げのある声を出すな。たいして血は出ていない」
 親指で耳たぶを擦られると、またひりりと痛みがはしった。頭を押さえつけていた手が離れたので、シアンはようやく顔を動かした。
 アージェントは自分の右耳から、銀色の耳飾りを外していた。前から見ると指輪のようなかたちをしているが、後ろ側の半円は針金のように細く、太さの変わる部分に小さな青い石がついている。
 まさかと思ったが、今度は右耳をひっぱられて、ようやく先ほどなにをされたのかわかった。
「正気ですか!?」
 腹の底から叫ぶと、身体を突き飛ばす。おそるおそる左耳を確かめると、思ったとおりそこにはころりとした耳飾りがはめ込まれていて、目の前が真っ暗になった。
「いいから、右耳を貸せ。すぐに終わる」
「アホなんですか!?」
 男の手から凶器と化した耳飾りを奪い取り、取り返されないように強く握りしめる。
 シアンはこれまで耳飾りをつけたことがない。耳飾りとはあらかじめ耳に穴をあけてから通すもので、細い金属とはいえ肌に突き刺すのは力技でしかない。
「雑菌だらけの野外でなにしてくれるんですか!? 殴る蹴る暴言を吐くまでは許容範囲でも、いきなり耳にぶっ刺すなんて正気の沙汰じゃありません! どういうつもりか意味がわからない! わかりたくもない!」
 はあはあと肩で息をしたが怒りで震えが止まらない。興奮しすぎて涙が出そうだった。こんなに怒鳴ったのは生まれて初めてだ。
「騒ぐな。たいした痛みじゃないだろう」
「なんですかその態度!? 今すぐ軍を辞めてもいいんですよ!?」
「辞められもしないくせにつまらない脅し文句を使うな。その耳飾りは貸しておく。おまえが死んだら返してもらうが、俺が先に死んだらおまえがずっと着けていろ」
「……は?」
「遺品がわりだ」
 やっぱり意味がわからなかった。違和感が残る左耳に、またふれた。指先がぬるりとしたのはきっとまだ血が流れているせいだ。
 赤い色など見飽きているが今は目にしたくなかった。痛いし気持ち悪いし、いろんな材料をまぜてぐちゃぐちゃにすりつぶした時のような最悪の気分だった。
 本当に最悪だ、こんな男。
「王都に戻ったら、即、恋人を作ります」
「それがいい。だが女ができてもおまえは俺の『目』だ」
「それなら、はやく戦争を終わらせます」
 アージェントは小さく笑い声を立てた。いつもの皮肉った笑みではなかった。
「恋人ができたらこんな耳飾りはすぐに捨ててやります。いつまでも、あなたに振り回されるのはごめんです」
「好きにしろ」
 本当に、どうでもいいのだろう。
 だけど『目』は欲しがっている。シアンを欲しがっている。やり方は滅茶苦茶でもシアンが落ち込んでいたらどうにかしようと思うほどには、シアンの存在を認めている。
 他の者では代わりがきかないことを知っているから、いなくなってほしくないのだ。ひとりになった男が困るところを想像すると、腹の奥底がぞくぞくした。勝った、と思った。
 こぶしをほどくと、先ほど奪い取った小さな青い石のついた耳飾りがひとつ、ぽつりとおさまっている。騎兵隊を率いる男が死ぬ時は、きっとそばにいるシアンも死んでいるのだろうと思ったが、もう一度、手を握りしめた。


 アルカディアはいつでもシアンを〈青の学士〉と呼んだ。
「青の学士、お時間をいただいてもよろしいですか?」
 王宮のシアンの部屋だった。その後に開かれる近衛の会合のため、アージェントに追い立てられながら書類をまとめていた。
 ちっともよろしくない状況だとわかっただろうに、彼女は戸口の近くにいたアージェントにも「席を外していただいてよろしいかしら?」と同じように声をかけた。断られるなんて思ってもいない自信が美しい所作からも感じられる。
 女の頼みにだけは甘い男は廊下に出て、にやにやと成り行きを見守っていた。アージェントを睨みつけながら、シアンは紙の束をばさりと机に置いた。
「お返事ならすでにしています」
「そのことは祖父からも聞きました。けれど、いずれ青の王の側近になられるのなら、わたくしと縁を結ばれるのは青の学士にとっても悪い話ではないはずです」
 アルカディアはそう言って、祖父からは将来的に結婚も薦められていると続けた。付き合うことすら断ったはずなのに、結婚、とうんざりする。
 つややかな亜麻色の髪を見下ろした。くるりと巻かれたそれはアルカディアの一番美しいところのように思えたが、やはりふれたいとは思わなかった。
 彼女はシアンが兵になった後も、〈青の学士〉と呼ぶ。
 学士というのは試験を通った者に広く与えられる称号だが、『青の』と宮殿名を冠せられたのは歴代でもシアンだけだ。学士の資格をはく奪されたわけではないが、今は『参謀』と呼ばれることのほうが多い。それは、軍の参謀本部にいた時も、近衛に呼び戻されてラズワルド騎兵隊という大部隊の一員となったあとでも同じで、今のシアンは誰が見ても『参謀』だった。
 けれど、アルカディアはまるで兵として働くシアンを認めたくないかのように、〈青の学士〉と呼ぶ。大切に育てられたことが手に取るようにわかる。気が強くわがままで、顔を合わせると挑むように話しかけられる。シアンが思いどおりにならないことに我慢がならないのだろう。
 それでも賢者の孫娘だ。いつだったかアージェントから「なぜ誘いを断るのか」と、問い詰められたことを思い出した。
 確かに賢者の身内というのは、王宮では切り札にひとしい効果を持っている。アルカディアと結婚して家庭を築いて、エールの側近になった自分の姿を思い描いた。得られるものは多いだろう。
「今度、ふたりで食事にでも行きますか」
 声をかけると、アルカディアは初めて整った顔をほころばせた。喜ぶ彼女を見て、やはりそれをうれしいと思わない自分に気づいて、シアンは余計にひやりとした気持ちになった。
 エールがパーピュアでなくてはならないように。
 スクワルが恋人以外の女を抱かないように。〈特別〉なものを持つ者たちと真逆のところにシアンは踏み出した。それが嫌だった。子どもの駄々のように、自分の気持ちに嘘をつくのが我慢ならない。
 たとえばシアンが戦場で死んで、なにかをアルカディアに残さなくてはいけないとしたら、嫌だなとさえ思った。
 家族のような存在を欲していたはずなのに、青い石の耳飾りを彼女が受け取るくらいなら燃やしてほしいと思った。小さな染みのような思いは、またたくまに胸の内で増殖した。
「あなたは私のどこが好きなのです? 〈青の学士〉という過去の名声ですか? 私が側近になったら、賢者であるあなたの祖父を手助けできると思うから? 一介の兵である私には用はないのでしょう。それなら、私が側近になってから出直されたほうが確実ではありませんか」
 彼女は瞳をゆるがせた。もっと傷つけたいと残酷なことを思って、言葉を飲み込んだら吐き気をもよおした。
「時間切れだ。会合に行くぞ」

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