雑誌記者・望月康孝。二十八歳。
人目を惹くスラリとした長身に、女受けする甘いマスク。顎に生やしているトレードマークの不精髭は、出版界という不摂生な業界にいてもだらしなさというより、男としてのワイルドな魅力を醸し出していた。自他ともに認める色男、そしてタラシだ。
芸能界・政財界のゴシップで世間の話題をさらう週刊誌『YAMATO』の編集部の中でも、望月の強引な取材は特に抜きんでている。
火のない所にも煙を立てる男――と、同業者の間では囁かれ、一目置かれる存在だ。
次号の締め切りを控えて慌ただしい編集部に、今日は一際けたたましく電話が鳴り響いていた。
本日発売の今週号で、人気絶頂の女性アイドルの初スキャンダルを独占スクープで望月が見事スッパ抜いたのだ。
可憐なアイドルと背の高いモデルふうの男が、深夜の路上でディープキス。そしてホテルの部屋へと消える密会の写真が、数頁にわたってしっかりと掲載されていた。
相手の男の顔は微妙な角度できちんと写っておらず身元は不明だが、アイドルは本人と確認できる確かな写りだ。
TVのワイドショーの芸能ニュースは、朝からその話題で持ちきりだった。
そして独占スクープを掲載した編集部では、夢を砕かれたファンの苦情やら、問い合わせやらの電話が鳴りっぱなし状態なのだ。
よくも悪くも世間の反響が大きければ、雑誌の売り上げはもちろん跳ね上がる。
この記事を仕上げた望月は、ご機嫌な女性編集長のデスクの前に呼び出されていた。
「それにしても、本当によくこんな写真撮れたわね。行動にもちゃんと裏付けが取ってあるし。これじゃ事務所側も何も言えないわ。今夜、記者会見開くみたいだけどね」
雑誌を片手に感心している年上の女編集長に、望月はサラリと答える。
「だって、その相手の男は俺ですからね」
「えっ、そうなの?」
驚き、眼をパチクリと瞬く編集長に、望月は不精髭のある顎を軽く擦りながら悪びれず笑った。
「結構、堕とすのは簡単でしたよ。事務所のガードは堅かったですが、それさえ潜り抜けりゃー本人は今時の女の子。貞操観念もクソもない」
そう、望月は正体を隠してアイドルに接近し、自らタラし込んでこの記事を仕上げたのだ。
一時とはいえ恋人同士だったので、プライベートに詳しいのは当然だった。
それに隠しカメラの性能もよくなってきている。あらかじめセッティングしてある場所にエスコートすれば、第三者が撮ったようなこんな写真はいとも簡単に撮れてしまうのだ。
嘘をでっち上げたわけではないから、アイドルが所属する事務所も掲載したこちらに強いことは言えない。
今頃はこのスキャンダルをどう利用し、好感度を落とさずにいられるかという弁解を考えるのにやっきになっているだろう。出版界以上に、芸能界もしたたかなのだから。
(アイドルの恋人ってシチュエーションも、悪くはなかったけどな)
望月も、記事にさえしてしまえばもう用はない。
望月にとってこの恋は人形遊びのようなものである。いくら最高級にかわいいアイドルであっても、本気の恋でなければ、未練などまったくなかった。
「……さすがね。相変わらずえげつないこと」
編集長はやれやれとため息をつくが、無論まんざらではないようだ。
「それって、当然褒め言葉ですよね?」
「もちろんよ。これからも頼りにしてるわ」
悪代官と越後屋のように腹黒く微笑み合う。
人の弱みを利用し記事にする、ここはハイエナたちの集う編集部なのだ。
「じゃ、俺は休暇に入りますんで。臨時ボーナス、振り込みよろしく」
望月は軽く手を振って、編集部を後にした。
飄々としたライフスタイルも、望月の個性の一つだった。
眩しい初夏の日差しに、朝の海はキラキラと輝いていた。
心地よい海風。広大な海原を快調に進む船のデッキで望月は一人煙草をふかし、大きくため息をつく。
「青い海、白い雲――これが女連れのバカンスだったら最高なんだけどな」
しかも乗っている船はクルーザーなどではなく、ただの漁船だ。
急に舞い込んだ取材依頼で、望月は休暇を取りやめて、観之島という離島に向かっていた。
三重県のある港から船に揺られて約一時間。水平線には緑の島影も見えてきて、間もなく目的地に到着しようとしている。
(さっさと終わらせて、東京に帰ろう)
アイドルのスクープの五倍という破格の臨時ボーナスに誘惑され、こうしてやってきたが、離島での取材など退屈なものになることは間違いなかった。
一応離島ということで、滞在に困らない程度の用意はしてきたが、大自然より都会の喧噪のほうが自分の性に合っていると思う望月は少々不安だった。
望月を観之島まで送ってくれる、気のいい中年の漁師が尋ねてくる。
「あんた、柊杞様にお会いするのは初めてかい?」
「はい。初めてです」
(柊杞様…ねぇ)
望月の今回の仕事は、その『柊杞』という人物の取材だ。
観之島では、独特の宗教が信仰されていた。それはなんと『現人神』を奉るという、非常にマニアックな風習だった。
平成となって久しい現在も、島民はもちろん近隣の漁師も熱心に現人神を信仰しているそうなのだ。
手厚く奉られている神の名前は『柊杞』というらしい。年齢も性別も今のところ不明だ。
だが、カルト的な宗教の教祖には中年男性が多いので、おそらくそうだろうと望月は予想している。
現人神が男でも女でも中年でも老人でも、取材さえすれば記事を書くのに支障はない。
事前調査によれば、過疎の離島のせいか島民は高齢者ばかりだ。ニュースで世間に名を轟かす金欲に塗れた宗教団体とは、あまりにも形態が違うのはわかっていた。
彼らは周囲の綺麗な海を利用し真珠の養殖や漁で生計を立てている、素朴で善良な信者たちなのだ。
しかし、それを承知で望月はあえて取材にやってきた。社会問題として、悪意を持って派手に大きく取り上げるために。
無論、それには理由がある。理由というより、裏事情と言ったほうが正解かもしれない。
美しい自然の残るこの島に、国と第三セクターからリゾート開発の話がまだ非公式にだが出ているのだ。
その工事を請け負うことにほぼ内定しているのが、官僚や政治家と癒着している大手建築会社『津村建設』だった。
この不景気にリゾート施設など建設しても利益など出るはずもないが、官僚や政治家と癒着し工事費で利益を得ることが津村建設の目的なのだ。その後のリゾート運営の赤字には、建設側はまったく関係ないという悪質な利潤目的の計画だった。
ビッグマネーの動く所には、それを貪ろうとする亡者が集う。公費とはいえ、いや公費だからこそ、不景気には美味しい仕事になるのだ。
だがこのリゾート開発を、自然の恵みとともに暮らす保守的なここの島民は受け入れないだろうということは、火を見るより明らかだ。
だから津村建設は望月にこの島独特の風習である『現人神』社会教問題として大きく取り上げさせ、世間的に島民をこの島に住みづらくし、リゾート開発の交渉を容易にしようと目論んでいるのだ。
取材費はもちろん、望月への破格のボーナスも津村建設が払ってくれることになっていた。
悪意に満ちた記事を書くための取材だ。火のない所に煙を立てる男にとっては、まさに十八番の仕事だった。
津村建設も望月の実力を知って出版社に指名で依頼してきたのだから、金払いはいい。
暴行傷害事件や悪質な霊感商法で摘発されるいかがわしい宗教団体にはこと欠かないご時世だ。この島の現人神信仰に悪意の脚色を施し大袈裟に書き立てればば、雑誌は飛ぶように売れるだろう。出版社もホクホクなのだった。
小さな湾のなかにある真珠の養殖用の筏の一群の間を擦り抜け、漁船は午前中に観之島へと到着した。まだ日は高く、間もなく昼になろうかという時間だ。
今日中に取材を終えるには、充分だった。
今回は取材したという事実や数枚の写真が必要なだけであって、後は東京に戻ってからさも怪しい集団であるかのように大袈裟に書き上げればいいだけだ。だから望月が持ってきた取材機材は、安いデジカメとレコーダーくらいだった。
「日が沈む頃には、また迎えに来てやるよ」と告げる漁師に礼を言い、望月は簡素な木の桟橋がある船着き場で漁船を降りた。そして、山へと続く道をゆっくりと歩き始める。
現人神がいるという屋敷までは、一本道と聞いている。事前にアポは取ってあるし、何も問題はない。
小さなこの島はほとんどが山で占められているようで、見えるのは真珠の加工工場と、緑の木々の間から覗く数軒の民家の屋根くらいだ。
予想はしていたが、やはりとんでもないド田舎だ。
道は舗装もされていない砂利道。店などは、船着き場のすぐ近くに赤電話が置いてある煙草屋兼雑貨屋らしい小さな商店が一軒あるだけだ。錆びた看板に年季を感じた。
(昭和にタイムスリップってトコだな)
一本道に沿って山の方角へ進むと、やがて大きな門が見えてきた。まるで寺院の入り口のような屋根のある立派な木の門がある。どうやらここに間違いないようだ。
門は開いており、望月がその中へと入ると、整然とした竹林が広がる美しい庭になっていた。まるで新緑の京都に来たかのような趣だ。
そして門を入ってすぐの所に、茅葺き屋根のいかにも田舎の風情漂う古ぼけた民家があった。民家の玄関は開いているが、ひっそりとしていて人けはない。
さすがにこんな庭の入り口に現人神が住んでいるとは思えないので、おそらく信者か誰かの住まいだろう。
「すいませーん」
とりあえずそう声はかけたが、静けさはそのままでなんのレスポンスもなかった。
立派な敷石は竹林の奥へと続いているし、目指す屋敷はこの奥にあるらしい。
望月が民家の前を通り過ぎ、奥へと歩いていくと、
「――待てっ、何者だっ」
民家の裏側から飛び出してきたらしい白髪の老人が、望月を呼びとめる。
老人は振り返った望月を見やり訝しげに顔を顰めているが、望月はニコリと愛想よく微笑んでみせた。
「東京から来た、雑誌『YAMATO』の望月です。柊杞様にお話をうかがいに来ました」
「……」
しかし老人はさらに険しい顔でジロリとこちらを睨んでくる。
「あの、取材のこと…ちゃんと事前に連絡ずみですよね?」