夜十時。『アニマルパーク』へログインするのは、この時間からと決めている。
勉強をやめて机のライトを消し、スマフォ片手にベッドへ移動して寝転ぶ。暑いからタオルケットだけ腹にかけて、仰むけでスマフォを持ち『アニマルパーク』のアイコンを押した。
やがて“ヒナタの部屋”と狭い家の室内が表示されて、その中心に白いネコのアバターが現れる。つぶらな黒い左目の下に泣きぼくろがある、まんまるい頭をした二頭身のネコ。
麦わら帽子をかぶって、赤文字で胸に“あにまるぱあく”と書かれた白いTシャツとジーンズを着ているこのネコは、俺の分身でヒナタという。
可愛い絵柄も気に入っているヒナタを指先で動かすと、外の庭にある畑へつれだした。まずは昨日植えておいたトマト、にんじん、レモンの収穫作業だ。ひとつずつ押すたびにヒナタが小さな両手で野菜をひっこ抜き、かごに入れていってポイントとコイン型のお金が増える。
期間限定クエストのポイントをためると特別衣装や小物を獲得できるんだけど、今回は野菜ジュースをしこたま作れば可愛いチェック柄の帽子とつなぎ服がもらえるから頑張っていた。
この『アニマルパーク』通称『アニパー』の畑ゲームを始めたのは二ヶ月前。同い年の幼なじみ豊田忍に教えてもらったのがきっかけだった。
高校最後の夏休み前、俺が『夏休みが受験勉強で潰れるなんて辛すぎる』とぼやいたら、『息抜きに携帯ゲームでもすれば。「アニパー」っていうの流行ってるらしいよ』と淡泊な口調で教えてくれた。
──あにぱー?
──動物のアバターでカジノとか畑とかいって遊ぶらしい。
──あ、最近テレビCMやってるやつな。でもあれ出会い系SNSじゃない?
──そうでもないっぽいぞ。ひとりでも遊べるって。
──へえ。パズルゲーム飽きてたからやってみようかな。忍もやってんの?
──俺は興味ない。
──そっか。
忍はもともとゲームに熱中しないクールな奴だからしょうがない。以前たまたまやった携帯ゲームが、ネット上の見知らぬ他人とランダムにチームを組まれてクエストをクリアするやつだったそうで、『時間になると呼びだされたり、下手な奴に足ひっぱられたりして怠かった。俺にはあわない』と不機嫌そうにしていたから、トラウマなのかもしれない。
『アニパー』をすすめてくれたのは幼なじみへの同情か、なんにも考えてないか、だ。
俺もネットで出会いを求めているわけじゃないが、忍ほど拒否感もない。なので、いまでは畑の交流イベントで知りあったネット友だちがいる。ただし主婦だったり大学生だったりしてログイン時間がばらばらなうえ、みんな畑ゲームメインで参加しているから“会話する気分だったらチャットをする”っていう気楽な関係だった。
『アニパー』において畑はあくまで単独で楽しむゲームコンテンツ。会話や出会いを求めている人は、交流広場の公園のほうへいく。
畑の横にあるキッチンへヒナタを移動させて野菜ジュースを作りながら、……でも、と思う。でも、俺みたいなのはこういう場所のほうが恋人探しもうまくいくのかもな。
は、とため息をついたら、スマフォを持っていた手がゆるんで顔面にガンと落ちてきた。
「いっつっ……」
額と鼻先がじんじん痛んで、さすりつつスマフォを持ちなおすと、野菜ジュースがちょうど十個完成している。
食べ物は自分の庭に設置したテーブルで友だちにごちそうするか、町のパーティー会場へ納品することでさらにポイントが増えるから、気をとりなおして移動ボタンを押し、早速納品にでかけた。
受付にいるウマのポコリにジュースを渡してポイントとお金の報酬を画面いっぱいにもらい、ヒナタに受けとらせる。うん、これでまた野菜の苗を買って畑に植えよう。
──『こんばんは、すみません』
ん? ふいにチャットの吹きだしが視界を掠めて、クリーム色のキツネが近づいてきた。
キツネは今月新しく増えたアバターだから、『アニパー』を始めたばかりの人だ、とわかった。白い半袖と茶色い半ズボンの初期服姿でも、個々に自由選択できる目やスタイルがきりっとしていてすごく格好いい。
俺いまこの人に話しかけられたよな?
──『こんばんは、初めまして』
返事の挨拶を入力して送ると、ヒナタの頭上にも漫画の吹きだしみたいに文字が表示された。ふわっと数秒浮かんで消えていく。
──『初めまして。ぼく初心者なんですけど、ひとつ教えてもらってもいいですか』
──『はい、どうしたんですか?』
返答を待ちつつキツネのアバターを押してプロフィールを見たら、シン、という名前だけがあった。自己紹介欄は空白なので“ぼく”っていう一人称から性別しか判断できない。
──『あの、じつはおじぎの動作アクションボタンが消えてしまったんです。ちゃんとつかえてる人もいて、ぼくだけエラーがでてるみたいなんですけど、どうしたらなおりますか?』
文面から困ったようすが伝わってくる。なるほど。
──『アプリのアップデートをしたらなおりますよ。このあいだ新しいアクションが加わったせいで、アップデートしないとバグがでるって、障害情報で運営さんもお詫びしてました』
──『そうだったんですね。じゃあ試してみます。ヒナタさん、すぐ戻ってくるからここにいてくれませんか』
会話するの自体珍しい畑で“ここにいて”なんて縋られてどきとした。
──『はい、わかりました、待ってます』
一瞬、新手のナンパか? と疑ってしまったけど、同性相手にそんなわけがない。アクションが正常に作動するかどうか確認と報告をしたいって意味だろうと思いなおして、シンさんが消えたパーティー会場の片隅でヒナタを椅子に座らせて待った。
納品受付にいろんな動物が訪れてジュースを渡し、報酬をもらって帰っていくのをぼんやり眺めること数分。またぱっとクリーム色のキツネが現れて、たたた、とヒナタの横に駆け寄ってきた。
──『戻りました』
そして、ぺことおじぎをくれる。
──『おかえりなさい。なおってよかったですね』
俺もヒナタを椅子からおろしておじぎをした。両手を身体の前であわせて頭をさげる姿が、ふたりとも可愛い。
──『ありがとうございます。ヘルプを見てもわからないから焦りました。今後は障害情報を見るようにします。ヒナタさんのおかげで勉強になりました』
──『とんでもない。お役に立てて嬉しいです』
じゃあ、と別れの言葉を切りだそうとしたら、シンさんが『ヒナタさん』と続けた。
え、と思った刹那、いきなり両腕で抱きしめられて息を呑む。もちろん、俺をじゃなくて、ヒナタをだけど。
──『すみません!』
シンさんの頭上に浮かぶ慌てたチャットの文字に反して、キツネのアバターは凛々しい表情のままネコのヒナタからゆっくり手を離す。
──『ごめんなさい、新しいアクションを試したかったんですけど、こんなのだと思わなかった』
アクションのボタンにはにこちゃんマークの絵でしぐさの表現がされているのみだ。おじぎなら、うつむきがちに目をとじているにこちゃんの横に、濁点みたいなちょんちょんで“頭をさげてますよ”的な表現がされているだけ。ハグのアクションは、にこちゃんどころか両掌がぱぁとひらかれた絵だけだった。拍手とも勘違いできる適当さでしかない。
──『大丈夫です。これ、間違えちゃいますよね。気にしないでください』
──『いえ、ぼくが無知なせいです。初対面なのに変態行為を働いて、本当にすみません』
──『変態行為って』
口を押さえて、あはは、と笑うアクションをヒナタにさせた。
──『ハグは最初、十日間ぐらいのお試し期間で登場したあと、イベント限定のアクションになってたらしいです。やっぱり大胆すぎたみたいで。でも今回のアップデートで通常つかえるアクションに仲間入りしたんですよ。そういう理由を知ってる相手なら、変態なんて思わないんじゃないかな』
──『そうなんですね。どうあれ、相手がヒナタさんでよかったです。理由を知っていたとしても、受け容れてくれるかどうかは人によるだろうから。ヒナタさんは優しかった』
また胸にきゅんと刺激が走った。あなたでよかった、って言いかたもすごく狡い。
──『「アニパー」は親切な人も多いですよ。CMでながれてるぐらい有名なのに、マナーの悪い人に会ったことないですもん。始めて二ヶ月経つけど、みんな優しくて安心です』
──『なら選んだ場所も正解でしたね。「アニパーは」ってことは、ヒナタさんはいろんなSNSをしてるんですか?』
──『あ、いえ、こういうのは初めてです』
──『おなじだ。ぼくも初めてで、一昨日始めたばかりでした』
一昨日か、と納得しながら、誤解も解けたしそろそろお別れのときかな、と予感した。
ひさびさにチャットをしたなあ、となんとなく愉快な気分で、じゃあ、と再び最後の挨拶を入力していたら、また『「アニパー」にはよくくるんですか』とシンさんが会話を繋いだ。
あれ。慌てて文字を消して、返事を送る。
──『はい。だいたい毎日、十時ごろから畑で遊ぶって決めてます』
もしかして友だちになろうって誘われるのかな。おたがいを友だちリストに登録すれば、オンライン状況がわかったり、一対一で会話するプライベートチャットが可能になったりする。
──『ヒナタさんはログイン時間を決めてるんですか?』
──『はい。受験生だから、決めておかないとだらだら遊んじゃいそうで』
──『受験ってことは、学生さんなんだ』
『はい』とくり返す。
シンさんはいくつぐらいの人なんだろう。“学生さん”って物言いからして歳上なんだろうと察せられたものの、二十代なのか三十代なのか、はたまたそれより上なのかは、文字の世界じゃわかり得ない。
キツネのアバターが、ぺことおじぎをした。
──『じゃあヒナタさん、ぼくはそろそろお暇します』
あ。受験生のガキなんて面倒くさいと思われたか。
──『ヒナタさんと話せて楽しかったです。もう十二時前なのに、若い女の子をこんな時間までひきとめたらいけませんよね。すみません。またどこかで会っておたがい時間があれば、お話ししてください』
……ん? おんなのこ?
笑顔で手をふるシンさんを前にして、俺が、シンさん、と文字を打ってひきとめようとしているうちに、彼はぱっと消えてしまった。
女の子。
そういえばシンさんは“ヒナタ君”とは呼ばなかった。女性にもヒナタって名前の子はいるけれど、俺も男じゃないって勘違いさせてしまったのか──。
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