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伯爵様は不埒なキスがお好き♥著:高月まつり

「管理人さんっ!」
「比之坂さん! 何かあったんですかっ!」
 ドアの向こうから、ノックの音に重なって住人達の声が響いた。
 明は腰を落としてエディの拳を避けると、そのまま玄関に向かって走る。
 相手は明から多大なるダメージを受けた、腹の減った吸血鬼。数人がかりなら、喧嘩とは縁のない男でもどうにかなる。
 全員で押さえつけて、道恵寺へ連れて行けばいいっ!
 そう思った明は、物凄い勢いでドアを開けた。
「凄い音が聞こえてきて、俺驚いたよー」
「最近物騒じゃないですか。だから、泥棒と格闘でもしてるのかと……」
「ホント、ホント」
「おでこ、大丈夫……ですか?」
 二〇二の作家・河山、一〇二の会社員・大野、一〇三の会社員・橋本、そして二〇一のOL・安倍。
 夜のバイトで留守にしている曽我部と伊勢崎を抜かした桜荘の住人が、全員集合して心配そうな表情を浮かべていた。
 桜荘紅一点の安倍がいたが、今は躊躇している暇はない。
「あ、ああ! みんなに頼みが」
「明ー! どうした? 誰か来たのか?」
「ある」と言い終わる前に、部屋の奥から聞こえてきたフレンドリーな声。
 何なんだ? この、妙に馴れ馴れしい声はっ!
 明が頬を引きつらせて眉を顰めたところに、声の主が現れた。
「こんばんは、桜荘のみなさん」
 さっきまでダラダラと汗を流し、スラックスからシャツをはみ出させて拳を繰り出していたのはどこの誰やら。エディはすっかり身支度を整えた恰好で、住人を前に優雅に微笑んだ。
 この美貌がある限り、食事をする時以外、「力」を使う必要はない。
「綺麗」
 安倍は呟いてから、顔を真っ赤にして慌てて手で口を押さえる。
 男達もほんのりと頬を染めてしまい、互いに顔を見合わせて苦笑した。
「お、お、お前っ!」
 エディは、言葉を続けようとした明を後ろに押しやると、なおも住人に話しかける。
「私の名はエドワード。クレイヴン伯エドワード・ヒュー・キアラン。エディと呼んでください」
「日本語、お上手なんですね…」
「ええ。明の友人であり続けるために、随分と勉強しましたから。ええと、ミス……」
「早紀子。安倍早紀子です。日本へようこそ、エディさん」
「こちらこそよろしくお願いします、ミス早紀子」
 エディは安倍の右手をそっと握り、馴れた仕草で手の甲にキスをした。
「エディさんは、どこの国から来たんですか?」
 何でも話のネタにしようと、作家の河山が質問する。
「ユナイテッドキングダム、あ、日本の方にはイギリスと言った方が分かりやすいですね」
 物腰優雅で言葉も丁寧。
 河山はエディを、上流階級のお坊っちゃんだろうと踏んだ。
「でも、部屋で一体何をしてたんですか? 物凄い音と大声が聞こえてきましたけど…」
「喧嘩してるみたいな声だったし…」
 大野と橋本の疑問はもっともだ。
 その音を聞きつけて、他の住人も管理人室に駆けつけたのだから。
「サッカーのビデオを、音声を最大にして見ていたんです。このアパートは古いようだから、音が振動で伝わったんでしょう。それを見ながら、私達は大声で贔屓チームを応援していました。怒声に聞こえたのは、チームを応援する声でしょう」
「そんなことあるのか?」と突っ込みが入りそうな答えだったが、桜荘が古いのは周知の事実なので、住人達は逆に「そうかもな」と納得してしまった。
 住人達は、「ビックリしたけど、比之坂さんが無事ならそれでいいか」、「あんまり大きな音で聞いてると、すぐ耳が遠くなっちゃいますよ?」と、笑う。
「お騒がせしました」
 頭を下げる仕草まで優雅なエディ。
 住人達は、もうすっかり「エディさんは比之坂さんの親友」と思い込んでしまった。
「エディさんはいつまで日本にいらっしゃるんですか?」
「期限は特に定めていません。心ゆくまで日本文化を楽しもうと思っているので」
「そうですか」
 安倍はニッコリ微笑んで、何かを納得したように頷く。
「それじゃ、俺達も自分の部屋に引き上げようか?」
「そうだな。比之坂さん、またねー!」
「それじゃエディさん。また明日」
「今度、本場サッカーの話、聞かせてくださいね」
 彼らはそう言って、明の部屋を後にする。
 ちょっと待ってくれっ!
 叫ぼうとした明の前で、ドアは無情にも閉じられた。
「……この化け物。どういうつもりだっ!」
「別に」
「攻め方を変えようと思っただけだ」なんて口が裂けても言えないエディは、犬歯を見せて笑うと、ご丁寧に鍵までかける。
「お前が何をどうしようが、俺は餌になんかならないぞっ!」
「大声を出すな。近所迷惑だ」
「どの口がそんなことを言うんだっ!」
 明はエディの胸ぐらを掴むと、目を三角にして怒鳴った。
「お前は、腹を空かせた哀れなコウモリに、餌の一つも与えようと思わねぇのか?」
「何だと?」
「『可愛い』と言って、お前は俺の頭を何度も撫でてくれたっけ……」
「う……っ」
 確かに明は、コウモリの頭を「よしよし」と撫でた。何度も撫でた。
「遙か海の向こうからこの地に渡った俺の苦労話を、聞いてみたいと思わねぇのか?」
 言われてみれば、確かに気になる。
「いきなり襲って血を吸ったりしねぇ。だから、俺の話を聞いてみる気はねぇか?」
「本当に、いきなり襲いかからないか?」
 明の瞳が、好奇心に揺らぐ。
 エディは「かかった!」と心の中で拳を振り上げた。
「本当だ」
 明は警戒しながら、エディから手を離す。
「さて、どこから話してやろうか?」
「その前に」
 明は、居間に戻ろうとしたエディの襟首を掴んで言った。
「靴を脱げ。お前は土足のまま、人の部屋で俺と大立ち回りをしたんだ。まずは畳を綺麗に拭け」


 三十分後。
 壁や襖は穴が空いたままだが、畳はどうにか綺麗になった。
 明はエディにスイカ、自分に麦茶を用意して、あぐらをかく。
 正座をすることもあぐらをかくこともできないエディは、ごろりと横になった。
「化け物のクセに図々しい」
「それなら明日、椅子を買ってこい、椅子を。そしたら、手を膝の上に置いて行儀よく座ってやる」
「明日までいる気かよ」
「心ゆくまでいると言ったのを聞いてなかったのか?」
「お前が勝手に言っただけだ」
「……俺の目の前にいるのは、コウモリの俺を看病してくれた明と同一人物か? こういうのを、日本では血も涙もないと言うんだよな」
「俺に血がないなら、ここにいる必要もないな? 話をしたらさっさと夜空に飛んでいけ」
 ああ言えばこう言う。
 エディはムッとした表情でスイカに手を伸ばし、一口囓った。
「で? どんな苦労話があるんだ? クレイヴン伯エドワード」
「んー、そうだなぁ。どっから話をすりゃいいかな。やっぱ、日本に渡ることになったいきさつからか? お前はどっから聞きてぇ?」

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