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お隣さんは過保護な王子様(プリンス)著:若月京子

「そのあたりは、まぁ、いろいろと。実際、法学部の就職率は、他よりいいぞ。法律関係を知っていると、便利だと思われるみたいだな」
「在学中に司法試験に受かると、就職率がドーンと上がるとか。……でも、それってすごく大変ですよね?」
「ああ、すごく大変だと思う。でも、目指してるやつも多いけど。俺も来年受けるために、今からもう勉強してるぞ」
 弁護士になるためには司法試験に受からないと始まらない。まだ脳みそが柔らかいうちにガンガン詰め込んでいるとの話だ。
 とにかく暗記しなければいけない量が半端ではないので、若いほうが有利なのは間違いない。
「うちの教授陣は厳しい人が多いから、サボろうと考えないほうがいい」
 志田教授は出席に厳しくて代返が利かず、抜き打ち試験もするとか、安井教授はレポート重視だから適当に書くと痛い目に遭うとか教えられ、玲史はスマホにそれらの情報を打ち込んでいく。
 試験前には龍一の入っている剣道部で、毎年改編を重ねているという想定集も見せてくれるという。
「龍一さんって、剣道部なんですか?」
「ああ。見た目がこんなんだから、似合わないとよく言われるけどな。子供のときからやってて、それなりに強いんだぞ」
「どちらかというと、音楽とかやっていそうに見えます」
「それも、よく言われる。……そういや玲史って、どこの高校だったんだ? 俺の知ってるところかな? あちこちと交流試合をやってたから、わりと詳しいんだよ」
「あー……」
 玲史はためらい、ろくに通えなかった高校名を告げる。
「ああ、知ってる。剣道部はあまり強くなかったけど、まぁ、進学校だったからな。一度、交流試合で行ったことがあるよ。体育館とは別に道場があるのが羨ましかったな」
「……そういえば、ありましたね」
 玲史が高校に通ったのは、実質一ヵ月に満たない期間でしかない。足の怪我で体育も休んでいたので、施設をきちんと把握する前に不登校になってしまったのである。
 玲史はどうしようか少し迷った末、龍一に打ち明けることにする。
「ええっと……実は、その……あまり高校には通っていなくて。……というか、ほとんど通っていないかも」
「そうなのか?」
「はい。高校に入学してすぐに交通事故に遭ってしまって、入院生活だったんです。そのせいでうまくクラスに馴染めなくて……。大検を取って、受験しました」
「そうか、大変だったな。それじゃ、学生生活は久しぶりなわけか。後輩でお隣さんなんだから、頼っていいぞ~。法学部の一年も紹介するよ」
「よろしくお願いします」
「おう。俺は俺で、家事を教えてもらうわけだから。お互い様だな」
「はい。それじゃ、買い物をして帰りましょうか。……あ、夕食、うちで一緒にいかがですか? 父のリクエストで、グラタンを作るつもりなんですけど」
「おっ、いいねぇ。でも、俺、かなり量を食うんだけど」
「大きい耐熱皿もあるから、大丈夫です」
「じゃあ、よろしく」
 二人が会計をすませて店を出ようとしたところで、ちょうど入ってこようとした客がいる。
「あ、玲史くん。ひさしぶり~」
 たまにこの店で会う、三咲七生である。
 小さい店だから相席になることもあって、話してみたら同じ年だと分かったのだ。しかも互いに家事を任されているから、意気投合した。
 よく行く近所のスーパーは、チラシに載っているのよりもお得な商品が不定期で出る。どうやら数が確保できないものらしく、素晴らしくお買い得だがその場かぎりの売り切りごめんだ。
 話の成り行きでその話題が出たことがあって、二人はメールアドレスを交換してお得情報をやり取りしていた。
「ちょうどよかった。スーパーの前を通ってきたら、キュウリが三本百円だったよ。あと、レタスも百円。オレ、今日は買い物する予定じゃなかったのに、思わず買っちゃった」
「うわー、安いね。これから行くから、最初に確保しないと」
「キュウリはあと二箱しかなかったから、がんばって」
「ありがと~」
 バイバイと手を振って七生と別れ、スーパーへと向かう足取りが急ぎ足になってしまう。
 店頭で目立つように陳列されているキュウリは残り一箱で、レタスは二箱だ。特に個数制限はなかったから、毎日サラダを作る玲史はレタスを二個とキュウリを十二本籠に入れた。
 気持ちが落ち着いたところで、龍一に棚の配置や商品の大体の値段などを説明しながらあれこれと食材を買い込んだ。
 マンションに戻ると龍一が実際に料理をしているところが見たいと言ったので、下拵えの段階から見学することになる。一応は手伝うと言ったが、本当に何も知らないから子供のお手伝いレベルでしかない。
 海老のワタ抜きをしてもらうときも、海老ってこんな内臓なのかと驚いていた。
「……そういえば、うちのグラタンはちょっと変則的で……。父がご飯と味噌汁がないと食べた気がしないという人だから、グラタンがおかずなんです」
「へー、珍しいな。といっても、うちの父親は日本かぶれのアメリカ人だから、グラタンなんて家で出たことないけど。和食最高、生魚、生肉、生卵を食えるなんて…と感動してたらしい。ハンバーガーやピザは、たまに食べられればいいんだと」
「へー、意外。でも、それならグラタンにご飯と味噌汁でもいいですか?」
「ああ。俺も、グラタンだけじゃ食った気がしないし」
 龍一はホワイトソースの作り方にも驚いてみせ、バターと小麦粉と牛乳で本当にできるのかと信じられない様子だ。牛乳を少しずつ注ぐ係をやらせてみたら、眉間に皺を寄せ、思わず笑いたくなるほど真剣に注いでいた。
「すごいな…魔法みたいだ。俺の知ってるホワイトソースになった」
「うちはここにコンソメの粉を入れて、味を濃くするんです。おかずだから、普通よりしょっぱめにしないと」
 玲史も最初はインターネットで調べたレシピどおりに作っていたが、家族の嗜好や味覚に合わせて変えていっている。
 結果、マカロニなしで塩気が強めのおかずグラタンに行きついたのである。
 鶏肉や海老、キノコ類だけのグラタンでは野菜が足りないと、サラダもつけて味噌汁を作れば完成である。
 両親は毎日揃って夕食の時間に帰れるわけではないから、オーブンで焼くだけのグラタンは熱々の出来立てが食べられて人気だ。
 しかも料理中にメールが来て、今日は二人とも夕食に間に合うよう帰ってこられるという。
 玲史は四人分の食卓を整え、あとはグラタンを焼くだけの状態にした。
 余った時間は、龍一にレクチャーである。一緒に洗い物をしてやり方を教え、自分にとって使い勝手のいい収納も伝えた。
 そんなことをしていると、玄関のほうから声が聞こえてくる。
「ただいま」
「ただいまー」
「あ、お帰り。今日は一緒に帰ってきたんだ」
「そうなの。タイミングがよかったわ。……あら、お客様? いらっしゃいませ」
「お邪魔してます」
 龍一は姿勢よく両手を脇でピシリと揃え、きっちりと腰を屈めて頭を下げる。
「こちら、お隣に越してきた佐木龍一さん。香織さんの弟さんだって」
「ああ、はいはい。そういえば、代わりに弟さんが住むと言ってましたっけ。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。一人暮らしは初めてなので、分からないことだらけで。玲史くんにいろいろ教わりたいと思っています」
「うちの玲史は、家事マイスターですからね。私なんかよりよっぽど主婦力が上だし、玲史のお友達になってくださると嬉しいわ」
「佐木くんは、何歳なんだい?」
「十九歳です。なんと、玲史くんと同じ大学の二年なんですよ。すごい遇縁ですね」
「おお、それは頼もしい。玲史の先輩か」
「はい。しかも同じ法学部です。分かったときは、ビックリしました。玲史くんが俺に家事を教えて、俺は大学について教えるということで話がついています」
「まぁまぁ、本当にすごい偶然ね。なんて幸運なのかしら。佐木さん、この子のこと、よろしくお願いしますね」
「お互い様ですから。何しろ俺は、炊飯器の使い方しか知らないんですよ。玲史くんのほうが大変な気がします」
「よかったわぁ。玲史に頼もしい先輩ができて」
「本当になぁ」
 よかったよかったと喜ぶ両親に、龍一はホワイトソースが自分で作れるとは知らなかったレベルですからね…と笑う。
 そんな三人をよそに、玲史はオーブンでグラタンを焼いている間、味噌汁の仕上げをしていた。
「佐木くん、ビールを飲まんかね、ビール。今日はお祝いだ」
「あー…一応未成年なんですけどね。一応、飲んじゃいけないことになっているんですよね。でも、嫌いじゃないんですよ。むしろ、好きなんですよ。旨いですよねー、ビール」
「おお、嬉しいなぁ。玲史は最近の若者らしく、酒の味が苦手なんだよ。大学に行くにあたって少し飲ませてみたんだが、ジュースで割って甘くしないとダメみたいでね」
「ああ、そういう学生、増えてますよ。飲み会なんかでも、乾杯はビールっていうわけじゃないし。昔は、『とりあえずビール』っていう言葉があったんですよね?」
「私たちの世代は、今でもそうだよ。母さんも、ビールをどうだ?」
「私はワインにするわ。グラタンには、白ワインでしょ。玲史、チーズをたっぷり載せてね」
「大丈夫。お母さんのは倍にしたから。トロトロだよ~」
「さすが、玲史。どのワインにしようかしら~」
 母はいそいそとワインセラーに向かい、父は冷蔵庫からビールを取り出している。五百ミリリットルの缶を一つと、グラスを二つ用意してテーブルについた。
「佐木くんは未成年だから、ビールを飲めとは言えないなぁ。でも、まぁ、私だけ飲むのも申し訳ないし、味見ということで」
 そう言いながらグラスの縁までビールを注いでいく。
「味見ですね、味見。それじゃ、ちょっとだけ」
 味噌汁とご飯をよそい、テーブルへと運んでいた玲史は、二人のやり取りに呆れた視線を向ける。
「飲んべの言い訳だなぁ」
「気にするな」
「そうそう。ビールを旨く飲むための、儀式みたいなものかな」
 そう言って三人はそれぞれのグラスを持って乾杯し、美味しそうに飲む。
「うーっ。仕事終わりの一杯は、たまらないなぁ」
「やっぱり、ビールですよねー。この苦味が旨いのに」
「男は単純だから。白ワインの爽やかなフルーティーさこそ最強でしょう」
 アルコールを美味しいと思えない玲史は、まるで同意できない。そんなものより、表面に美味しそうな焦げ目がついているグラタンのほうが重要だった。
「できたよー。熱いから、避けて」

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