お隣さんは過保護な王子様(プリンス)著:若月京子
しかしサークル紹介でピンときたところはなかったし、趣味らしい趣味もないのでどうしようか迷っていたところだ。
「でもボク、剣道のこと、何も知らないんですけど」
「それは大丈夫。おいおい覚えていけばいいし、分からないことはボクたちが教えるからさ。それにマネージャーの仕事で一番大切なのは、合宿での部員たちの世話なんだ。特に道着の洗濯がね…何しろ、量が量だから」
「はぁ……」
「マネージャーって言えば聞こえがいいけど、やることは地味でね。男目当てで爪を伸ばしてるような子は続かないんだよ。野間くんは、家事は得意?」
「はい、わりと。でも、洗濯なんて洗濯機がしてくれるし、誰にでもできるんじゃ……」
「去年、洗剤を一箱入れようとした子がいてね。こう…箱をひっくり返して、ザーッと。見てたから止められたけど、危うく洗濯機を壊されるところだった……。その他にもマニキュアが剥がれたと文句を言われたり、付け爪が取れるから嫌だと拒否をされたり……。去年は佐木目当ての子も受け入れたから、本当に大変だった……」
「お、お気の毒様です……」
「そんなわけで、去年のマネージャー志望は全滅だったんだよ。今年こそ誰かになってもらわないと困るのに、まともな子は寄りついてくれないし……派手なイケメンっていうのも、迷惑なものだなぁ」
重く深い溜め息に、玲史は同情心をそそられる。
どうせ入りたいサークルはなかったし、龍一だけでなく内田や丸川もいる剣道部は楽しそうだった。
「ええっと…ボクでよければ、やってみます」
「本当に? ありがとう! じゃあ、早速入部届けを出してもらわないと」
善は急げとばかりに奈良崎は入部届けを持ってきて、すぐに書けとペンを渡す。
学部や名前などを書いていると、肩で息をした龍一が体育館の中に入ってきて手元を覗き込んだ。
「おっ、入部届けを書いてるのか」
「野間くんがね、マネージャーになってくれるって。いや~、本当に助かるよ。お前のせいで、真面目な子は近寄ってくれなくなっちゃったからな」
「俺が悪いんじゃないけど、すみません。でも、玲史ならちゃんとやってくれますよ。なんといっても、俺の家事の先生ですからね」
「あれ? 知り合い?」
「俺のお隣さんです。料理から掃除、洗濯まで教わってます。セーターって、洗濯機で洗うと縮むんですよ。知ってました?」
「普通に知ってる。でも、そうか…いい子を連れてきてもらったなー」
龍一が姿を現すと色めきたった女の子が腹筋をやめて近づこうとしたが、主将に一喝されて涙目になる。
野太い声には迫力があり、体育館の中がビリビリと震える感じだから無理もない。
「まだ結構いますね」
「ランニングを終えて、腕立てなんかを五十回ずつって言った段階で五人辞めたよ。仮入部期間の一ヵ月で、やる気のない子たちが全員辞めてくれると嬉しいんだけど」
「毎回この調子でやれば、大丈夫じゃないですか? 去年もそれで一掃したし。ああ、あと、防具をつけさせるっていう手がありましたっけ」
「臭いからなー、あれ。毎回、ちゃんと手入れはしてるんだけどね」
個人のものはまだしも、部で所有している防具は年季が入っていて、多くの部員たちの汗を吸っているからなんともいえない臭さらしい。
隣で念入りなストレッチをしている龍一に、玲史は聞く。
「そういえば龍一さんは、全国でも優勝を狙えるレベルとか」
「狙えるって言っても、優勝は難しいな。一つ上にすごい人がいて、実力差がはっきりしてるから。よほど調子がいいときじゃないと、あの人は倒せない」
「そういうのって、練習でどうにかなるものなんですか?」
「そうだなぁ…もちろん練習も重要だが、その前に覚悟とか本気さが必要な気がする。俺も昔は剣道で食っていくかもしれないと思ったことがあるが、途中から弁護士志望になったからな」
「それは、どうして?」
「うーん…うちの母親のじいさん…俺にとっての曽祖父が剣道の師範でさ。俺は、その人に教わっていたわけだ。居合いもするすごいじいさんでなー。そのじいさんが死んで、俺は師事する人を失ったんだよ。あの人がもう五年長生きしてたら、俺の人生も違ってたかもな」
「それに対して、後悔はないんですか?」
「いや。自分で選んだ道だし。道場を継いだ人も尊敬できる剣士ではあったんだが、やはり曽祖父のようには見られないだろ。本気で剣の道を究めたいなら俺なりに努力したはずだから、あそこでもういいと思ったんなら、それまでなんだよ」
「………」
そんなふうに何かに打ち込んだことのない玲史にとっては、想像するしかない心境である。
「もう道場には行っていないんですか?」
「いや、たまに稽古をつけてもらいに行ってる。本気ではあるが、でも、人生を賭けてるっていうわけじゃないから、あっちもそういう感じだな。一年上の彼はまさに人生を賭けて剣道に打ち込んでいて、その差は大きい」
「でも、調子が良ければ勝てる?」
「ああ。たまに…本当にたまにだが、周りの音が聞こえなくなるほど集中できるときがある。相手しか見えずに、頭の中が空っぽになるんだ。そういうときは、誰にも負ける気がしないな」
「へぇ……」
テレビか何かでそんな話を聞いた覚えがあるが、本当にそんな状態になることがあるのかと玲史は感心する。
けれど、そのときの龍一の姿は美しいだろうと思う。
剣道の知識はほとんどないが、マネージャーになった以上はいつか見られるかもしれないと楽しみにした。
★ ★ ★
同じ部に入れば当然帰り時間も同じで、玲史は剣道部の活動がある週に二回、龍一と一緒に帰ることになった。
その他の日は直帰したり、たまに内田や丸川と遊んで帰ったりもする。
玲史の大学生活は極めて順調で、とても楽しいものだった。
龍一の家事レベルも着実に上がってきている。毎日のように玲史のところで夕食をともにし、手伝いもさせているため、最近では出汁の取り方もうまくなってきた。
他の女の子たちが断りまくられた剣道部のマネージャーに就いたことをずるいと言われ、龍一に目をかけてもらっていることで女の子たちのやっかみを多少は受けたが、学年の違う龍一と大学内で一緒にいる機会はそう多くないから大丈夫だった。
先輩マネージャーたちが、「佐木目当てのマネージャーはいらない。っていうか、男しか受け付けないから」ときっぱり言ってくれたことでなんとか不満が収まった状態だ。
それに奈良崎が言ったとおり、マネージャーの仕事は地味である。
基礎トレのためのカウントや声かけ、飲み物の準備。個人用はそれほどでもないそうだが、部所有の防具は汗臭さが染みついていて運ぶだけでも顔をしかめてしまう。
トレーニングについてブーブー文句を言いながら辞めずにいた女の子たちも、これを頭から被せられたときには悲鳴を上げて臭いと連発していた。
これが決定打となり、活動のたびにごっそりと一年生の姿が減っていく。本入部を決める一ヵ月後には、一年生で残っているのは二十三人だった。
けれど、そのぶん残ったのはちゃんと剣道をしてみたいと考えている子たちなので問題ない。最初は龍一目当てで、今も恋心を隠そうともしなかったりするが、龍一はまるで取り合わなかった。
部活動と関係のない発言には見事なスルー能力を発揮し、積極的に迫られても一部員としてしか扱わなかった。
──そんなふうに大学生活が落ち着いてきたとき、玲史への嫌がらせが始まった。
一番最初はロッカーに「バカ」と悪戯書きをされた。
すぐに連絡を受けた大学の職員が飛んできて消してくれたが、それから何度か同じことが繰り返された他に、すれ違いざまに「根暗」と言われた。
言ったのは男だったが、驚いて振り返ったときには早足で立ち去るところだったために後ろ姿しか見えず、追いかけることもしなかったので誰が言ったのかは分からなかった。
内田と丸川も心配し、「誰だよ」と怒ってくれる。
一番可能性が高いのは、玲史がマネージャーになったうえに、龍一と仲がいいことに怒っている女の子たちだ。
「……でも、今言ったの、男だったよな?」
「しかも、もう六月だぞ? 嫌がらせをするなら、もっと早くないとおかしくないか? なんで二ヵ月も経ってからなんだよ」
「うーん?」
「野間、お前、佐木先輩のこと以外で恨まれるような心当たりある?」
「な、ないよっ。基本、大学と家の往復だけなんだから。龍一さんのこと以外は地味だし」
「地味…っていうと、微妙だけど。お前自体も、結構な美形だし。和風美人だから、女受けは悪いけどな」
「ああ…男が剥き卵みたいな肌でどうする、長い睫なんて必要ないんだから自分に寄越せって怒ってたな」
「わ、和風美人?」
何それと、玲史は顔をしかめる。
「今どきちょっと珍しいような、ツヤピカの真っ黒な髪だろ。全然傷んでないよな。それに、印象的な真っ黒な目。なんか普通より黒目が大きくて、ウルウルしてるし」
「性格もいいし、女ならホント好みなんだけどなー。なんでお前、男なんだよ」
「なんでって言われても困る……」
「そりゃ、そうだ。しかし、どうしたもんか…佐木先輩は大学の有名人だから、一緒にいると目をつけられがちなんだよな。二十人だか三十人だかのマネージャー希望の子たちを断っただけに、野間に八つ当たりが向かうのは理解できるんだが…でも、やっぱりなんで二ヵ月も経ってからなんだ?」
そこが、彼らにとって不可解な点だ。
もっと早く…玲史がマネージャーになりたての頃なら理解できる。状況が状況なだけに、嫌がらせしたくなる女の子たちの気持ちも分かるからだ。
しかし二ヵ月も経ってすっかり新入生たちも落ち着きが出てきた今となると、なぜだという思いが強かった。
「最近、何かあったっけか?」
「いや、特に何も」
「だよなー。謎だ」
「佐木先輩がまた、どっかの女に告白されて、振ったんじゃないか? で、その矛先が可愛がられてる野間に向かったとか」
「ああ、ありそう。女ってそういう、わけの分からない恨み方をするよな。野間、毎日、先輩が料理を習いに来るんだろう? そのとき、聞いてみろよ」
「分かった」
そんなことを話しながら学食に行って、それぞれ食券を購入する。
玲史が野菜たっぷりのヘルシーランチを受け取ると、ラーメンとカレーのセットを選んだ二人がもっと食えと言った。
「いや、ボク、二人みたいに運動してるわけじゃないし。……でも、今日は練習がないんだから、そのセットはカロリーオーバーな気がする。炭水化物ばっかりだよ」
「旨いんだもんよー」
「これくらいなら、許容範囲内だろ。その代わり、デザート代わりのクリームパンはやめておくか」
「じゃあ俺は、メロンパンをやめてアンパンにする」
メロンパンのカロリーはすごいからな~と丸川が笑うと、ざわめく学食で剣道部の先輩たちが手を振ってきた。
「お前ら、こっち、こっち」
「あ、先輩たちだ。こんちはっす」
「お邪魔しまーす」
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