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陽だまりに吹く風著:吉原理恵子

 いやが上にも高まる緊張感で、大した理由もなく、ふとした弾みに視界の中の見知らぬ他人が皆、
『自分よりデキる奴』
 ――に見えてくる日。
『努力は結果を裏切らない』
 心底……そう思いたくなる日。
『やるだけやったのだから、結果はあとから付いてくる』
 むしろ。それくらいの開き直りは必要かもしれない。
 この時期になると、なぜか、不思議に天候も荒れる。
 そんな有り難くもないジンクス通り、その日は、いきなりブリ返した寒波に身を震わせながらの最悪な受験日となった。
 自分以外は、皆ライバル。
 けれども。
 こんなときでも、制服に埋没しないキャラクターは確かに存在するものなのだろう。
「うわ……。あいつら、なんか――迫力ぅ」
「あそこだけ、空気違うんだけど……」
「絶対、ただのパンピーじゃねーよな」
 ざわつく視界の中の吸引力――とでも言おうか。
「ねぇ、見て見て、あのロン毛の彼」
「カッコイイ(ハート)」
「背ぇ、高くて。足、長ーい」
「あたし……断然ヤル気出てきちゃった」
 囁きは止まらない。
 そこかしこで、ざわめきが伝播するように。
「なぁ、おい。あれって……南中のヤンキーじゃねー?」
「あー、ホントだ」
「ゲェ……。あいつら、マジかよ?」
「冷やかしだろ、冷やかし。あんなのが受かるわけないって、絶対」


 そうして。
 断は下される。
 それぞれの悲喜こもごもを引き摺って。




   ■□ 1 □■

 桜花爛漫。
 各々が人生最初のハードルに様々な想いを託し、笑顔あり涙あり、それなりの事情を胸に抱えて迎えた十五歳の春。
 多大なる期待とささやかな不安で綯い交ぜになった程よい緊張を真新しい制服に包み、それぞれが新たな高校生活の第一歩を踏み出していく。
 頬を撫でて吹き渡る風も、そんな新しい門出を祝福するかのようにふうわりと優しかった。

   ◆◇◆

 そして、一ヶ月後。
 中ノ澤高校の新一年生としての自覚と親睦を深める――ことを目的としたわりには、めちゃくちゃハードなスケジュールで三泊四日のオリエンテーションを無事に乗りきり。ソワソワと浮き足立っていたクラスの雰囲気も、ようやく、それなりの落ち着きが見えはじめた頃。
 ――だというのに。
 一時間目終了のチャイムが鳴ったとたん、
「ふ…あぁぁ……」
 生あくびを噛み殺す千堂一真は、早くもお疲れぎみであった。
(はぁ……。次は数学かぁ。居眠りもできないって。ホント、最悪……)
 朝イチから居眠りモードに突入すること自体、問題ありありなのだが。ともすれば睡魔の誘惑に駆られそうになる一真の頭からは、そんな常識さえもがスッポリと抜け落ちてしまっている。
(――眠い)
 どんよりとため息を漏らして机上の教科書を片付けながら、また……あくび。
(……マズイ)
 そのたびに潤んで半ばトロリとした双眸を、根性でこじ開ける。
(マジでヤバイんだけど……俺)
 すると。
「なぁに、千堂君。きょうは朝からナマあくび連発だね。……寝不足?」
 となりの席の富樫玲香がいきなり声をかけてきた。
(え……?)
 思わず、一真は目を瞠る。
 いったい、いつから、見られていたのだろうか……と。
(マズったなぁ)
 別に、授業中に大あくびを連発していたわけではないが。それでも。ほんの間近でボケ面を曝していたのかと思うと、何やら決まりが悪くて。
 これが富樫ではなく男子相手なら、もっとすんなり、軽口まじりのジョークにしてしまえたのかもしれない。おちゃらけたトークが得意なわけではないが、とっさのアドリブがきかないほど不器用なタチでもない。
 だからといって。今更、取って付けたような恰好をつけるわけにもいかず。いや……そう思うこと自体、すでに、特に意味もなく富樫を意識しているような気がしてきて。
「……んー、まぁ、そんなとこ」
 曖昧に言葉を濁して、一真は苦笑する。
 そうすると。いっそサバサバと刈られたショート・ヘアのせいで普段はやや鋭角的に見える面差しが、思いがけず柔らかくなる。
 そんなわずかな変化が思いもよらなかったのか、富樫はほんの少しだけ息を呑んだ。
 もともと、一真は、クラスの中でもそれほど体格的に目立っている方ではない。身長は一六五cmには届かないし、華奢ではないが厚みのないスレンダーな体型は既製の制服の中で若干泳いでいる。
 これから先の成長期を見越して、少し大きめのサイズを選んだわけではない。今着ているサイズが一番小さかったのだ。
 入学式当日。同じ中学から進学した友人たちは、一真の顔を見るなり、
「似合わねぇ……つー以前の問題だよな。千堂、やっぱ、おまえ、中学ンときは変形短ランだったんだろ?」
「まぁ、外見が変わっても中身が千堂だしな。そのうち、慣れるだろ」
 遠慮もなくズケズケと吐きまくってくれた。
 学ランのときはまだしも誤魔化しようがあったが、ブレザーが似合っていないのはすでに自覚済みである。
 ブレザーを着こなすには、それなりの肩幅と厚みがないと中身が泳いで不格好になるものだと、一真は、友人二人を見て嫌でも実感してしまった。今更、無い物ねだりをするだけ無駄なことも。
 そんなわけで。ハッキリ言って、俺が俺が……の出たがりでもなかったし。休み時間になると屯ってバカ騒ぎに興じるタイプでもなかった。
 かといって。いかにもありがちな優等生には、まず見えない。くっきりとした二重瞼の双眸に、眼力がありすぎるからだ。
 育ちのよすぎる今どきの高校生に比べて体格的には並以下でも、クラスに埋没しない確かな存在感がある。無愛想な強面タイプとは程遠いのに、イマイチ気軽に声はかけにくい。そういう特異な視界の吸引力が。
 恰好を付けて孤高を気取っているわけではなさそうだが、一人でいることに何のこだわりもないタイプ?
 クラスでことさら浮いているわけではないのに、別の意味で変に悪目立ちをしている?
 千堂って、ホントにどういう感じ?
 クラスメートが一真に抱いているイメージは、だいたいがそんなところであった。
 なのに――である。
「勉強……なワケないか。学力テスト、終わったばっかりだもんね?」
 クラスで……いや、一学年の中では『ベスト5』に入る美少女だと言われている富樫はけっこう気さくな性格で、一真に対しても物怖じしない。
 最初の学活での自己紹介のときに、
『趣味も特技もバスケットボールです』
 きっぱり言い切ったあたり、外見よりはずいぶんと活発な性格なのだろう。
 体育会系な富樫と並ぶと、身長は一真の方が低い。もしかしなくても、体重でも負けているだろう。
 だから――何?
 ……というわけではないが。自分よりもデカイ女子に対する苦手意識も妙なコンプレックスも、一真にはない。
「いや、いろいろと……。なんたって、お年頃ですから」
 とたん。
 富樫は。
 そんな切り返しなどまったく予想もしていなかったのか、一瞬驚いたように目を瞠ると、いきなりプッと噴いて遠慮もなく笑い転げてくれた。
(そんな……派手に笑わなくても)

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