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陽だまりに吹く風著:吉原理恵子

 一真的には、特にウケを狙ったつもりはなかったのだが……。いったい、何がマズかったのだろうか。
 周りの連中は、
『いったい、何事?』
 ――とばかりに、一斉に二人を見やるし。
 どうやら、思わぬツボにハマってしまったらしい富樫は富樫で、笑いすぎて涙まで出てきたらしく。終いには、
「あー、やだぁ……。千堂君、お茶目すぎ」
 しきりにハンカチで目元を拭っている。
 お茶目――?
 投げつけられた言葉の思いがけなさに、一真はわずかに目を眇める。
 ――クソ生意気。
 ――顔に似合わず、ふてぶてしい。
 ――可愛げがない。
 そんな台詞はすでに耳タコだが、さすがに『お茶目』は初めてだった。新鮮すぎて耳慣れないというより、違和感バリバリ……。
(富樫って……けっこう天然?)
 一真の何を、どこを見てそんな言葉が出てくるのか……謎だ。富樫の感性も、他人とは少しばかりズレまくっているのかもしれない。
 中学時代。一部男子を除き、ほとんど最小限度のことしか話しかけてこなかったクラスメートのことを思えば、こんなふうにあっけらかんと、しかも女子相手に冗談まじりの会話が交わせるようになるとは思いもしなかった。
 あの頃の自分と、今の自分。
 義務教育という名目で一律に抑圧される『中学生』から、少しはマシな自由が選べる『高校生』になっただけで、一真自身、劇的な変化があったわけではない。
 ――と、思う。
 環境の変化に乗じてリセットしたい過去があるわけではないから、とりたてて猫を被る必要もないし。今の自分で、何の不都合もない。
 してみれば、やっぱり……。
(もしかして、あいつのせいだったりすんのかな)
 一真はひとつため息を落として、頬杖をついた。結果オーライ……とでも言えばいいのか、富樫の爆弾発言(?)のせいで、すっかり眠気も吹っ飛んでしまった。
 寝不足ではないが、なんとなく疲労感が抜けない。
 タルい。
 ナマる。
 シマリがない。
 ダレる。
 ハマる。
 ヨドむ。
 今ひとつ、どうも、いつもの調子が戻らない。
 その原因ならば、単純すぎるほどに明快だった。
 なぜなら。何の因果かが知らないが、入学早々、とんでもなく規格外れな大型犬(そういうたとえもどうかと思うが、ほかに適当な言葉が見当たらない)にどっぷり懐かれてしまったからだ。
 高校生になって新しい友人関係の輪を広げることに関しては、一真自身、なんら異存はないのだが……。まさか、いきなり初っ端から、季節外れの台風もどきにブチ当たるとは思ってもみなかった。
 思いがけないハプニングと予想もつかないアクシデントでは、その衝撃度も被害状況もまるで違う。それを思うと、
(なんで、こうなっちまうかなぁ)
 ――なのだった。
 そもそもの出会い……を語るにはかなり一方的にはなるが。初めてそいつを認識したときの印象は、かーなーり、強烈だった。
 なにしろ。厳粛なムード漂う入学式で、正々堂々と居眠り――いや、爆睡していたのだ。
 そんな大胆不敵……常識外れなことはやろうと思ってできることではない。どんなに退屈な席でも、普通はせいぜい、唇の端であくびを噛み殺す程度である。
 ――が。
 そいつの神経は並みではなかった。
 来賓が次から次へと退屈窮まりない祝辞を長々とブツ間、ひたすら眠りこけ。ついには、そんな決まりきった芸のなさを野次るかのように派手な物音を響かせて椅子から転げ落ち。それで、ようやく目が覚めたかと思いきや、寝惚け眼のままのっそり起き上がり、なんと、特大の大あくびを一発派手にカマしてくれたのだった。
 唖然。
 呆然。
 ただ……絶句。
『ありえねーだろ、フツー……』
 その場にいた者たちの、それが正直な気持ちだった。
 いや。
 もう……。
 緊張感の欠片もない――常識外れの大物ぶりに誰もが呆れるのを通り越して笑うしかない状態で、館内、爆笑の渦である。
 息子の晴れ姿を見にやってきただろうそいつの親は、きっと、穴があったら潜り込んでしまいたい心境だったに違いない。
 さすがに、学校関係者も、晴れの入学式で怒鳴り声を張り上げるわけにもいかなかったのだろうが。露骨なほど苦々しい顔付きだったのは、言うまでもないことであった。
 よかったのか、悪かったのか。とにもかくにも、その日が一生忘れられない入学式になったのは事実だ。
 あとで聞いた話では。その日のうちに早速そいつは校長室に呼び出され、こってり、ギュウギュウに説教をくらった――らしい。
 だが。その後もまったく変わることのないノーテンキさを十二分に発揮しているところを見れば、たぶん、校長の説教も『馬の耳に念仏』だったのだろう。
 馬の耳に念仏。
 暖簾に腕押し。
 糠に釘。
 受験勉強でも暗記したことのないような格言がスラスラと出てくるのも、たぶん、そいつのせいだ。そいつを見ていると、その言葉の意味が嫌でも実感できた。
 いや。
 まさか……。
 実感はできても実体験するハメになるとは……さすがの一真も、まったくもって思いもしなかったわけだが。
 そんなこんなで。入学早々、よくも悪くも、そいつは中ノ澤高校の超『有名人』と化してしまった。
 一真にしてみれば、クラスも違っていたことではあるし。そのときはまだ、
(あいつ……かなり天然が入ってんじゃないか?)
 ごくごく普通の、ただの傍観者でしかなかった。
 好奇心は人並みだったがそのベクトルは限定されていたし、ワイドショー的な噂話にはまったく興味がなかった。
 第一。わざわざ聞き耳を立てなくても、彼に対する情報は同じ話題で盛り上がりたいクラスの女子が一方的に垂れ流しにしてくれる。
 だが。その手の話はあくまでも尾ヒレつきまくりの噂でしかなく、いったい何が本物で、どれが作り話なのかもわからない。
 同じ男として、ズバ抜けて均整の取れた長身がことさら羨ましかったわけではないし。学年差を問わず、女子が嬌声を張り上げてミーハーに騒ぎ立てる派手な相貌に嫌味のひとつもつけてみたかったわけでもない。
 たとえ、軽くウェーブがかかった茶髪を天然パーマだと言い張ろうが。それを後ろでひとつに編んで垂髪にしようが。ド派手なカチューシャをしたまま登校しようが。そんなのはあくまで個人の趣味であって、それだけ堂々とやっているのに、今更『風紀』だの『校則』を持ち出してアレコレ言うのもアホらしくて。一真的には、
(似合ってりゃ、別にいいんじゃねーの?)
 ――だし。
 おまえ、高校の登校時間はフレックスじゃねーんだよッ!――の遅刻魔だろうと。時々、ケバいオネーサンが運転する外車で仲良く同伴登校しようと。それは、本人の自覚の問題であったし。
(他人に迷惑かけなきゃ、あとは自己責任でいいんじゃねー?)
 ときおり彼が視界の端を派手に騒がせるのも、すでに日常の範疇でしかなかった。
 どんなに物珍しい光景でも、見慣れてしまえばそれが『フツー』になってしまう。慣性の法則とは、そういうことかもしれない。
 が――しかし。
 そうやって傍観者の余裕をカマしていられるのも、我が身に実害が降りかかってこない場合だけ――なのだと、今更のように一真は痛感する。
 まぁ、それを口にしたらしたで、一真をよく知る者たちには、
『なんだよ。らしくねーな』
 一笑に付されてしまいそうだったが。ただの冗談でなく、とにかく、疲れる。馴染みのない疲労感にどっぷり……机にしがみつきたくなるほどだった。
 存在自体が超ド派手な目立ちまくりの『有名人』に、とことん懐かれてしまう不運。
 他人が、それをどう思っているのかは知らないが。一真に言わせれば、その煽りをくって自分の名前が自分の知らないところで面白おかしく取り沙汰されるのは不本意の極みであった。
 いや。そういう噂の的にされるのは初めてではなかったし、他人に何を言われても事実と違っていれば、
『また、バカな奴らが好き勝手ほざいてるぜ』
 スッパリと切り捨てにできるくらいには、一真も余裕だったが。一番の問題点はそういう外野の雑音ではなく、ごく普通の『友人』関係を逸脱してあまりある、そいつのハンパでない懐き方なのだった。
 とりあえず、そいつなりに『時』と『場所』は選んでいるようだが。そのわりには、人の都合などまるでお構いなしで。挨拶代わりに吐きまくる台詞ときたら、それこそ、
「おまえ……言ってる自分が恥ずかしくならねーか?」
 耳を塞ぎたくなるのを通り越して、
「よっく、まぁ、それで胸焼けを起こさないよな」
 無駄に甘ったるく。
 どこからともなく不意に湧いて出ては、デカイ図体で一真の視界を遮り。
「千堂ぉ~~(ハート)」
 人目も憚らないお気楽さで、堂々とジャレついてくるのである。
 それは、もはや『スキンシップ過剰』だの『馴れ馴れしい』どころのレベルではなく、度外れたノーテンキさに『鬱陶しさ』と『暑苦しさ』を練り込んで固めた強烈なトルネード。謂わば、一真にとって、まさに歩く『天災』のようなものであった。
 天災は、いつ、どこで、何が起こるかわからない予測不能な事態だから『天災』と言うのだ。わずか一ヶ月で、一真の高校生活はその天災に翻弄されっぱなしである。
 それを言うと、自覚のない天災男は、
「そんなぁ……。いくらなんでも、それは、ちょっとヒドすぎない? おれはただ、千堂とお友達になりたいだけだって」

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