短編

「はははは」

「ちょっとだけどきどきしたけどキザすぎてかずとに全然似合わないっ、はは、しかも〝うつしなよ〟って頭悪いツンデレみたいだもん、おかしすぎる、はははっ」

「うん、想像以上に恥ずかしかったな。だいたい、うつしてもらって歩和が治るならともかく、現実的には共倒れの恐れもあるしね……格好いいセリフかどうかもあやしい」

「ほんとだよ、間抜けでしかないよ」

「歩和と恋人になってから夢も増えたんだけどなあ……風邪イベントは無理があったか」

 え、とひっかかった。

「夢……?」

 かずとは左手で俺の後頭部を撫でながら、まばたきとともにうなずく。

「そうだよ。昔は恋愛も諦めていたけど、もう違うから。歩和とふたりでしてみたいことがいろいろある」

 知らなかった。

 そうか、ふたりで生きていく道を選んだことで、いまではかずとの心のなかでひろがって増えている夢もあったんだ。

「ほかはどんな?」

「うーん……これも定番だし、年齢的に笑われてしまうかもしれないけど、遊園地で遊んでみたい。動物園や水族館もいきたいな。だいぶ前の世代だと初デートは映画があたりまえだったらしいのに、歩和とは配信映画も観たことないね」

「た、たしかに」

 改めてふり返ってみてびっくりした。
 そういえば俺たちは伊豆へいく計画にばかり必死になって、デートらしいデートをまったくしていなかった。

 ……いや、正確に言うならば忙しくしているのは俺だけだ。

 かずとももちろん会社で働きながらお店のオーナーとして経営面でも動いてくれているけれど、切羽詰まっているわけではない。
 俺だけが卒論制作やバイト以外にも自らスイーツ系のお料理教室にまで通ったりして、休みもなしに勝手に忙しくしている。

 明るい未来の幸福に気をとられて、もっと成長したくて頑張りたくて立ちどまっていられなくて、俺はいまここにいるかずとのことを、きちんと見られていなかったのかもしれない。

「……かずと」

 さっき叩いてしまったかずとの胸の真んなかあたりに顔を埋めて、両腕でしがみついた。

「俺、お料理教室はそろそろ辞めようかな。基礎を覚えて結構いろいろ作れるようになってきたし、これからは独学でアレンジの勉強をしていくよ。それで、かずととデートの時間つくる」

 伊豆にいってお店を始めたら、遊ぶ時間がもっとなくなる可能性だってある。

 どうしていままで気がつかなかったんだろう。

「遊園地も、動物園も水族館もいこう。映画も観よう。そんなのかずとだけの夢じゃないよ、俺だってずっと憧れてたデートだよ。かずととふたりでしたいことが、俺もいっぱいある。せっかく一緒にいられるんだもん、全部叶えなくちゃばかだ」

 俺も夢見ていた恋人との過ごしかたなんて星の数ほどあった。なのに毎朝のメッセージのやりとりとか電話の会話を普通にできているだけでも奇跡に思えて全身が蕩けるほど満たされてしまって、デートまで考えが及ばなかったよ。
 かずとが自分の日々に寄り添って一緒に生きてくれて、平和な毎日が続いているって実感するだけでただただ幸せすぎたから。

 だけど俺はまだ学生で経済力もなくて自立も曖昧で、成長途中の半端な人間だっていうのに、デートだなんて、そんな幸せまで望んでいいのかな。

 ふたりきりで無為に遊ぶだけの休日は、とんでもない贅沢の極みだ。

「……本当にありがとうねかずと。かずとが幸せにしてくれすぎて困るぐらいだよ。だから俺、かずとにもっと恩返しできるように頑張るからね」

 洟の詰まった掠れた声で情けないけど、心から想いをこめて誓った。

 かずとの苦笑が小さく洩れてくる。

「恩返しの話をするなら俺もおなじだから。そんなふうに考えないで、ただ単純に、ふたりで楽しく幸せに生きていこうよ」

 かずとの左手が俺の後頭部を覆って、髪をさらさら梳いて撫でてくれる。

「歩和が元気になったら、まずは動物園にいこうか。伊豆にホワイトタイガーと会える動物園があるから」

「え、本当に? 白い虎? しかも伊豆?」

「うん。前から気になっていたんだけど、いったことはなかったんだ。歩和といけたら嬉しいな」

「俺も嬉しい、いきたいっ、すごいね、白い虎ってめちゃくちゃ格好いい! 動物園なんて小学校の遠足以来だよ、明日には絶対風邪治す!」

「俺もおなじだ」

 またかずとを見あげて、おたがいを見つめて、ふたりで幸せに笑いあった。

 ひとりで寝ていたときは心細くて悪寒がしたのに、かずとが抱きしめてくれているとふたりぶんの体温がひとつになるからとても温かい。

 ふたりでいるってあったかい。

 ほっと息をついて、かずとの掌に撫でられながら目をとじようとしたら、こたつのなかに入っていたシロも「な」と短く鳴いて俺たちの布団の上に乗ってきた。
 もぞもぞと足もとから進入してきて、俺たちの脚のあたりにまるまって眠る。

「……シロがいると、もっとあったかいね」

 眠りに落ちる前のぼやけた声で言うと、かずとも小さく、ン、とこたえてくれたのが聞こえた。

 かずとがうちに泊まるようになってから、ふたりで目覚める朝は明るくて眩しくて、本当は自分の家も前からずっと、朝陽が強く真っ白く輝いていたのだと知った。

 朝は暗いものだと信じていた。
 そうじゃないと教えてくれたのもかずとだった。

 かずとが俺を起こしてくれるときの、白い朝陽に照らされて微笑んでいる大好きな目もとや、口もとが見える。

 瞼の裏も暗くはない。
 このひとがいてくれると俺の世界は強烈な光の束に包まれる。

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