今回の取材の真意を彼らは知らないにしても、普通の取材としてちゃんとアポは取ったはずだ。
すると、老人は一言低く告げてきた。
「…柊杞様は、お会いにならん。帰れ」
「えっ、どうしてですか?」
「体調がすぐれんのだ。他所者には当分お会いにならん。迎えの船を港に呼んでやるから、とっとと帰れ」
「でもっ」
「うるさいっ、帰らぬと言うなら、力ずくで島から追い出すぞ!」
玄関に戻った老人が手にしたのは、なんと薙刀だ。ギラリと光る刃先を突きつけられて、望月は慌てて後ずさる。
「わかりましたっ、帰りますっ、帰りますっっ」
そのまま逃げるように門の外に出ると、大きな門は音を立てて閉められてしまった。ご丁寧に閂までかけたようだ。
「…ったく、なんだよ。いきなり取材拒否か? しかも薙刀…時代錯誤もいいところだ」
(こりゃ、神様ってのはかなりの老人かもしんねーな)
東京を出る時には確かに取材の許可は下りていた。こんな急に体調を崩すとなると、高齢者の可能性が高い。もちろん体調不良を取材拒否の口実にしているだけかもしれないが。
しかし、せっかく来たのに、このまま収穫なしで帰るわけには当然いかなかった。
望月は顎の不精髭を撫で、ニヤリと口端を上げる。
「――ジャーナリストを、甘く見てくれるなよ」
正面が駄目なら、裏がある。山を越えた反対側からなら、現人神の住まう屋敷に直接近寄れるはずだ。
強引な取材はお手のものの望月は不敵な笑みを浮かべ、島を回り込むように山の反対側へと向かった。
「まさか、山歩きをさせられるとは思わなかった……くそっ」
望月は今は東京で生活しているが、中学までは山間の村で育った。だから山道は多少慣れてはいるし、着替えとわずかな機材しか入っていないバッグは重くはない。
だが、さすがに日頃の不摂生と運動不足がたたり、思わずボヤきたくもなる。
観之島は小さな島であり幸いにも山は低く、一時間ほどで越えることはできたが、目的の屋敷にだいぶ近づいたと思う頃にはすっかりバテバテの状態だった。
「ちょっと、休憩するか」
望月は倒木に腰掛けると、胸ポケットから煙草を取り出して一服する。
周囲は人間が手をつけていない森。こんなふうに森林浴をするのは十数年ぶりだ。
木々の緑が初夏の風に揺れる中、夢中で走り回っていた子供の頃を思い出し、望月は懐かしさに苦く笑った。
(でも、ここもリゾート開発が始まっちまったら、何もかも変わっちまうんだろーな)
工事の利権だけが目的のリゾート開発。
ほじくり返すだけほじくり返して、いざ建築物が完成したとしても、経営は大赤字ですぐに閉鎖されるのが関の山だ。
そんなふうにして放置された「箱もの」と呼ばれる施設が、日本中に何十カ所もある。税金の無駄遣いだけでなく、明らかな自然環境の破壊だ。
何十年、何百年という年月をかけて生み出された美しい景観や絶妙なバランスの上になりたっている生態系が、人間のエゴによって一瞬で失われてしまうのだ。そして二度と元の姿には戻らない。
(――まっ、俺には関係ねーがな)
人生楽しく生きるには、何につけても金が必要だ。
報酬を目当てに業者に加担している自分は、同じ穴のムジナだ。彼らを責める気もないし、稼がせてくれるなら、むしろ結構なことだった。
何も知らないここの島民を陥れることにも、望月はなんの罪悪感も感じなかった。
煙草を一本吸い終え、ふと気がつけば心地よい水音が聞こえてきていた。どうやらこの近くに滝があるようだ。
喉の渇きを覚えていた望月は、立ち上がりそちらの方へ歩いていく。
するとそこにはやはり清流があり、高さ三メートル程度の小ぶりの滝があった。
岩場から流れ落ちる澄んだ水は、光の加減で虹を描いている。まさに自然の芸術だ。
木の生い茂る斜面を下りようとした望月は、ハッと滝壷に目を留める。
(誰か、いる――!)
滝壼には、白い湯帷子を着た青年が一人いた。望月は反射的に木の陰に隠れ、こっそりその様子を窺う。
キラキラと輝く滝の水飛沫を浴びて、濡れた髪を両手で掻き上げるような仕草を繰り返す端整な顔立ちの青年。
濡れた身体にピッタリと湯帷子が纏わりついている。白い布地に肌が透けて、なんとも言えないなまめかしさだ。
「…っ」
思わず望月はゴクリと息を呑む。
性別というものを超越し、人間はここまで美しく清廉な雰囲気を醸し出せるものなのか。
自然の中に佇む青年のあまりにも麗しい姿に、その光景がまるで一枚の絵画であるかのような錯覚すら覚えた。
初夏とはいえまだ水浴びには少し早いように思えるが、普段からここでこうしているのか慣れた仕草で心地よさそうな表情を浮かべている。
これも色気というのだろうか。女性とは明らかに身体のラインが違うというのに、望月は沐浴する青年からすっかり目が離せなくなってしまった。
ここの島民は老人ばかりだと思っていたが、青年は二十歳そこそこに見える。
(彼も、信者なのか?)
一番美しく見える年頃とも言えるが、同性を相手に望月がここまで心を奪われたのは生まれて初めてだった。
青年の写真をデジカメで数枚撮り、らしくもなくそのまま見惚れていたら、
「うわっ」
斜面で不安定な足元に、つい体勢を崩してしまった。
長い脚でなんとかバランスをとって転びこそしなかったものの、思いきり滝壼の前に飛び出していくような形になってしまう。
突然の望月の登場に、青年はさぞかし驚くだろうと思った。だが、かなり肝が据わっているのか、まったく動じない。
眉一つ動かさずにこちらを見つめ、尋ねてくる。
「――誰だ、お前は?」
響きのよい、凛とした声だった。
「実は…道に迷ってしまって」
望月が苦笑しつつそんな嘘の言い訳をすると、離れた所から見ていたのか、老人が駆け寄ってくる。
手には薙刀。門のところで望月を追い返したあの老人だ。
「柊杞様っ!」
(…柊杞様?)
なんとこの青年が、現人神の柊杞らしい。
(まさか、こんな若い男が?)
確かに神々しいようなカリスマ性はあるが、予想しなかった若さと見目の麗しさに、さすがの望月も驚きを隠せなかった。
老人は刃を望月の方に突きつけ、鬼の形相で今にも斬りかからんばかりにジリジリと詰め寄ってくる。
「この不届き者めっ! 断りもなく柊杞様の御前に現れるとは、もうただではおかん!」
すると、すぐに柊杞がそれを諌めた。
「佐吉、かまわない。道に迷ったと言うのだから仕方がないだろう」
「ですがっ」
こんな小さな島で道に迷うというのは、あまりにも不自然だ。不審に思われて当然だった。しかも望月は取材を申し込んでいた記者なのだから、勝手に侵入してきたに違いないと、普通は思うだろう。
だが、柊杞は望月を疑っていないようだった。淡々と佐吉と呼んだ老人に告げる。
「せっかく来たのだ。客人として扱ってやれ」
「お加減は、もうよろしいのですか?」
「……滝に打たれて、だいぶ楽になった」
「かしこまりました」
絶対服従のようだ。何しろ彼らにとって柊杞は神様なのだから。
佐吉という老人は、柊杞の従者のようなものらしい。
(でも滝に打たれてよくなるって、いったいなんの病気だ?)
ここまできて追い返されないのはありがたいが、そんな疑問が残る。
柊杞が水から上がると、佐吉が手拭いで柊杞の身体を丁寧に拭く。慣れた様子で拭いてもらいながら、柊杞が望月に尋ねてきた。
「お前、名は?」
やはり相手は神様、こちらを完全に見下した物言いだ。
柊杞は明らかに年下であるし、その口ぶりは望月には生意気としか思えなかったが、後の取材を考えて機嫌を損ねてはいけないと、望月は丁寧にかしこまり、答えた。
「望月康孝と申します」
「そうか、望月か。山で迷っていたというなら昼食もまだだろう? 佐吉、用意してやれ」
「はい。かしこまりました」
態度は横柄な感じだが、柊杞の性格はそれほど悪くはないようだ。
(美人っちゃー美人だし、どこか色っぽいっちゃー色っぽいんだけどよ。男だしな…)
多少の滞在がOKになったのは喜ばしいが、柊杞が女だったらもっと楽しいことになったかもしれないと、望月は柊杞のまだしっとりと濡れている身体を見つめ、内心でため息をついた。