一日三回。柊杞の言うことを簡単に要約すれば、島民や日本国民、そして世界平和のために祈っているらしい。ご苦労なことである。
そして、柊杞に祈りを捧げに来る島民に応じてやるのも、神としての大切な務めだという。
プライベートな時間は、書道に勤しんだり、森の散策や古武術で身体を動かしたりしているそうだ。
やはり会社経営のほうは、名ばかりのようだ。本人は祈りを捧げたり、捧げられたりしているだけで、他所からお金が確実に入るのだからうらやましい限りだ。
「写真、撮らせてもらっていいですか?」
望月が持ってきたバッグからデジカメを取り出すと、そこでまた佐吉に口を挟まれる。
「写真など、とんでもないっ!」
古い迷信が残っているのか、佐吉は写真をあまり快く思っていないようだ。魂が抜かれるとでも思っているのかもしれない。
しかし、柊杞は興味津々に瞳を輝かす。
「堅いことを言うな。私は一度、写真というものを撮られてみたいと思っていた」
「ですがっ」
口うるさい佐吉を柊杞は見やり、厳しい口調で言い放った。
「私がかまわないと言っているのだ。佐吉、お前はもう下がっていい。私は望月と二人で話がしたい」
「柊杞様…っ」
「私の言うことが聞けないのか?」
きつく強い声で再度告げる柊杞に、
「…申し訳ありません」
佐吉は深々と頭を下げて、静かに部屋を出ていった。
二人きりになると、なんと柊杞は自ら高座から下りて望月の持つデジカメを覗き込む。
「それがカメラか?」
デジカメどころか、写真機自体を初めて見るようだ。
「そうです。高座の方にお座りになった写真を撮らせていただきたいので、お願いします」
「わかった」
柊杞は、今時証明写真でもそんなカチコチにならないという緊張ぶりで座った。
(滝壷で勝手に撮った写真のほうが、いい顔してたなぁ)
望月はなんとも言えないおかしさを必死に堪えて、数枚撮影する。
撮った写真を画面で確認できることに、柊杞はさらに驚いたようだった。
「面白いものだな。私にも撮らせろ」
なんだか幼い子供にせがまれているような気分になりつつ、望月はデジカメを渡す。
「…どうぞ。画面を見て、ここを押してください。すると収まりますから」
「そうか」
柊杞は嬉しそうに、望月や部屋のあちこちをかまわず撮り始める。
デジカメでよかった。もしこれが昔のようなカメラで、フィルムの現像を写真部に出したら、無駄遣いするなと確実に怒られただろう。
「気に入ったぞ。褒めてやろう。機会があれば、積極的にこうしたものに触れてみたいと思っていたのだ。神として、人間の使う便利なものには興味があるからな」
柊杞がこの上なく偉そうにデジカメを返してきた。かなり満足したらしい。
「それに年の近い者と話すのは、実に久しぶりだ。――嬉しいぞ」
望月の顔を見やり、本当に心から浮かべる極上の微笑。
(うわっ)
柄にもなく、ドキンッと心臓が跳ね上がる。アイドルに微笑まれても心一つ動かなかったというのに、こんな自分はありえない。
望月は照れを隠すように咳払いをすると、柊杞に尋ねる。
「久しぶりって、どのくらいですか?」
「十年と四十三日になる」
(細かい性格してんな。この神様)
普通は日付までは答えない。さっと日数の計算ができるということは、頭の回転はかなり速いのかもしれないが、やはり変わり者といった印象だ。
望月は改めて聞いてみた。
「島から出たことは?」
「ない。島から出ると不浄なものに塗れると言われている」
「なら、出たいと思ったことは?」
「……」
明るかった表情が途端に曇り、柊杞は黙ってしまった。そしてゆっくりと高座へと戻ってから答える。
「…先代の槐珠様もそうであったように、私も神として島民のために、この島で一生を終えるのが在り方だと思っている」
「そう、ですか」
(――一生この島にねぇ…)
先代が生まれたのは、おそらく明治時代。その頃のこの島など、江戸時代とそんなに大きく変わらない生活だろう。
一生を島で終えるのも、当時ならごく普通のことだったかもしれない。現代とは生活様式も感覚もあまりにも違うのだから。
なんの遊びをするどころか、同世代の人間とほとんど話を交わすことすらなく、柊杞はこの島で一生を終えると言う。
(いくら金があったって、使う場所も、使い方も知らねーんだよな)
これでは正直監獄と変わらない。
どんなに島民に敬われていても、宿命という籠の中のカナリアだ。
しかし、それを当然とするこの若い現人神が、望月にはひどく哀れに思えた。
年老いた女中が持ってきた茶請けの菓子などを一緒にいただいたりしているうちに、たちまち時間は過ぎていた。面白みのない取材と思いつつも、いつしかすっかり夕方が近づいて、部屋には障子越しに西日が差し込んできている。
そこに、佐吉がやってきた。
「望月さん、迎えの船が来ています」
さっさと帰れと、そういうことらしい。
「わかりました。今行きます」
もちろん望月にとっても、取材はもう充分だった。後はいかようにもデコレーションするだけだ。
メモなどをバッグにしまい望月が立ち上がると、
「待て、望月」
高座から柊杞がそれをとめる。
「お前にこの島での滞在を許してやろう」
(はぁ?)
まるでこちらが願い出たかのような言葉を使っているが、そんなことはもちろん一言も言っていない。明らかに望んでいるのは柊杞のほうだった。
横柄な性格。神としてのプライド。それでいて、素直な純朴さがそう言わせているのだ。
こんなつまらない田舎の島に、頭の少々イカれた神様。まして、口うるさい従者つきだ。
これ以上どうしてもつき合わなくてはいけない理由はない。あまりにバカバカしすぎる。
しかし、佐吉や老人たちがギロリと望月を睨んでいた。柊杞の厚意を断るなど、絶対に許されないことらしい。
望月のことは不満でも、柊杞の言うことは絶対なのだ。
もちろん無視して帰ってもいいのだが、望月はそうしなかった。
「…そうですか、ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、もう少しおそばにいさせてもらいましょーかね……ははっ」
数日分の着替えなども持ってきているし、苦笑しながらそう答えると、柊杞は満足げな顔をしてこちらに頷く。
「少しとは言わず、好きなだけいればいい。私はかまわない」
(そりゃー、お前はそーだろうよ)
どうやら、本格的に気に入られてしまったらしい。望月のことが珍しくて、関心が尽きないのだろう。
(年の近い相手と話すのは、十年ぶりって言ってたからな)
近いといっても七歳も違うのだが、柊杞の周囲はほとんど老人ばかりで、若者は誰一人いないのが現状だ。
――もしかしたら、無意識に友達を欲しているのかもしれない。
(でも、俺にそれを求められても困るんだよ)
公費でのリゾート開発の裏にある、津村建設と第三セクターの癒着。工事の利権という甘い汁に、政治家や官僚たちも群らがろうとしている。まるで砂糖に集る蟻のように。
その計画を滞りなく進めるために、邪魔な島民たちを陥れる使者として、望月はこの島に来たのだ。
今はまだ何も知らないだろうが、柊杞たちにとって自分はむしろ敵なのだ。
(悪いがそれが、俺の今回の仕事だからな)
望月の決意は変わらない。弱肉強食は、自然界だけの理でないことをよく知っているからだ。
しかし、記事を上げる期日まではまだ一カ月近くあり、取材は急ぎの仕事でないのも事実。
(まっ、予定外だが、多少ここでのんびりするのもいいか)
御馳走になった昼食も、茶請けの菓子も美味しかった。
それにここに滞在すれば、煽って書くに相応しい記事のネタがもっと拾えるかもしれないと、望月は考えを切り替えることにした。