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「うぅ、まこ怒るこわい……」
「昂奮抑えるのに必死なだけっ」
耳をがじがじ噛まれて首筋も思いきり吸われた。さすがに痛くて肩を竦め、「うぅ」と怯む。
「はー……とりあえず帰るよ」
「わ、かった……」
ちゅ、ちゅく、と音を立ててもう一度俺の唇を二回吸ったあと、真人は「靴履き替えてくる」と言い置いて階段をおりていってしまった。その耳裏が真っ赤に染まっていて可愛い。
こっちにもなぜか羞恥心が伝染して、顔どころか全身が火照ってきた。さっきまで麻痺していた初キスの衝撃まで溢れだしてきて、くらくらしながらがちがちにかたまる脚を前にだす。
キス……した、真人と、キス、した。できた。
真人の唇やわらかかった、気持ちよかった……舌がいやらしかった、唾液までおたがいのが混ざって焦って、でも信じられないぐらい幸せだった……。
酒を呑んだみたいにふらふらふわふわした気分で階段をおりて廊下を進み、自分もどうにか二年生の下駄箱まできて靴を履き替えた。
「世ちゃん」
出入り口のすぐ外で真人が待っていてくれて、まだちょっと赤らんだ顔をして立っている。
真人の昂奮も冷めていないのがわかった。ズボンのポケットに両手を突っこんでいるのは、またキスしないための自制かも、と都合よく想像して、勝手にどきどきする。
「いこか」
うつむきがちに真人に近づいて、ふたりで並んで歩き始めた。校庭を横切って正門へ向かい、学校をでると歩調をあわせて駅まで進む。
「……まこ、今日バイトなかったんだね」
昼ご飯のあと『迎えに行くから一緒に帰ろう』と誘われて、なにも考えずに『うん』と応じた。けどいつもなら真人はバイトで忙しかったはず。
「休み」
真人は早口で短くこたえる。しゃべりすぎると性欲まで飛びだして狂う、とでもいうふうに。
「そ、そか……」
注意して平静を保っておかないと脚が絡んで、下手をしたら左横を歩いている真人にぶつかりそうになる。どれだけ意識しているんだろう、恥ずかしいったらない。でも心臓の鼓動が止まらない。
「……世ちゃん、来年から受験でしょ」
うっ。唐突に現実的な話題をふられて正気に返った。
「そだけど……なんで急に、」
「大学に進学したらまた一年待ってて。それで俺と一緒に暮らそう」
びっくりして真人を見あげたら、凜然とした横顔をしている。
「一緒に……? ルームシェアみたいな?」
「そこは同棲って言ってほしいけど、まあ、親にはシェアって説明してもかまわないよ」
「ど、ぇ、でも俺、進学先とか実家でるとか、まだ具体的に決めてないよ」
「だから進路のなかに俺と暮らす計画も含めておいてって話してるの。俺、そのためにバイトしてるから」
「えっ」
バイトって、俺と、暮らすためにっ……?
「まこ、そんなことまで考えてくれてたの……?」
自立について悩まない日はない。母親の負担を減らしたいし、自分自身母親に気をつかって寂しさを押し殺して生活し続けるのは嫌だからだ。母親も俺も、心を磨り減らすばかりの日々には限界がある。だけどその転機をどのタイミングにするべきかは、決めあぐねていた。
「〝考えてくれていた〟っていうのは違うね。俺が世ちゃんと一緒にいたいだけだから。朝も昼も夜も傍にいたい。世ちゃんも自分も寂しがらないですむように」
驚いた。足が止まりそうになったけど無意識に歩みを進めていた。倒れそうになる身体を支えるみたいに、一歩ずつ、かろうじてどうにか。
「ま……まこも、寂しかったの?」
嘘みたいだ。真人も孤独感を抱くなんて。
「あたりまえでしょ。じゃなきゃ引っ越した世ちゃんの家まで通ったりしないよ」
「でもそれは、俺が料理もできなくて、コンビニ弁当ばっかり食べてるのを見かねて面倒見てくれてるのかなって」
「料理は毎日会いに行く口実としか思ってない。親が不審がらないから助かってるよ」
「そう、……だったのか」
「世ちゃんが引っ越すってなったとき、この世の終わりかってぐらい絶望した。追いかけられない小学生の自分が心底嫌だった。未成年で金もなくて、身動きできない力の無さが悔しくて悔しくて」
「まこ……」
「だから高校進学してバイト解禁したら貯金始めるって決めてたんだ。すこしずつでも貯めていけばはやく夫夫生活に近づけると思ったから」
胸が熱く震えて痛いぐらいで、さっきまでの劣情が浄化されていくようだった。
「……ありがとうまこ。だけど本当に一緒に暮らすってなれば部屋借りたり引っ越したりするお金も必要になるでしょ。大学に進学したら俺もバイトするから、同……棲、のタイミングは、資金貯めながら決めていこう。それと、俺が大学現役合格できるように祈ってて」
くる、と勢いよくふりむいた真人の瞳がきらきら輝いていた。たいてい退屈そうな無表情をしている真人が、ここまで光るのは特別な瞬間だけだ。
「うん」
たったひとことの相づちが天まで届くんじゃないかってくらい弾んでいて、こっちのほうが真っ赤に照れた。……こ、こんなに、寂しがってくれていたのか……真人も。
「……はやく世ちゃんに触りたい」
熱っぽい切羽詰まった真人の呟きが心臓をずきりと貫いた。
歩く速度がはやくなった真人に必死についていきながら、おずおずと左手をあげて、真人の右掌に絡める。真人が、はっ、と息を呑んで、怖い顔で俺を見返してきた。
「や……だって、これならすこし、触りあっていられるから」
真人が口のなかで奥歯を噛んだのがわかった。
「……世ちゃんって、ほんとっ……」
憎々しげに歯ぎしりされて怖気が走ったけれど、怒らせたわけじゃないのもわかったから、うつむいて口を結んだ。真人の手がぎちぎち俺の手を握りしめて駅までずんずん進んでいく。
家へ着くまで手は離さなかった。会話もそれきりしなかった。
電車や舗道で俺たちの繋いだ手に他人が気づいても、そんな好奇な目に構っている余裕すらなかった。
浄化されたと思った劣情は、家に一歩踏み入れたとたんふくれあがって溢れかえった。
「まこ、」
「世……」
丁寧にしたい、と頭のどこかで一応考えているんだけど、真人が自分の唇にめちゃくちゃに噛みついてむさぼってくれるとこちらの欲望も刺激されて、呼応するように昂奮をぶつけ返してしまう。
心臓が鼓動して激情が竜巻のようにとぐろを巻いて、身体の中心でうねり狂っている。
真人の唇を味わいたくて、噛みしめたくて、強く吸いあげて唾液を呑んで抱き寄せる。
真人との身長差ももどかしくて背中のシャツを引っぱり、よじ登りたいような衝動に駆られて焦れた。それを察してくれたのか真人が俺の背中と尻に腕をまわして引き寄せてくれたから、足をあげて飛びついた。真人もしっかり抱えあげてくれる。
両脚を真人の腰に巻きつけて、ふたりして笑いながらキスを続けて、そのまま部屋まで連れて行ってもらった。
抱きあいたくて抱きあいたくてしかたなくて、ずっとこうしたかった、と、おたがい願いが叶って無我夢中になっているのも胸の痛みで息苦しく感じとる。
ばかみたいだ。こんなに好きなら最初からさっさと抱きしめあっていればよかった。
「……まこ、」
部屋に入ると真人はドアの鍵をしめて、俺をベッドへゆっくり横たえてくれた。
両脚で真人を捕まえたまま至近距離で見つめあって笑いあい、そうしてキスをくり返す。
口がひとつになりそうだ。それとも真人の唇と自分の唇は本来こうやって重なりあってひとつだったものが、不幸な事故で引き離されてしまったのかな。うん……そうだといい。
「……世ちゃん好きだよ」
俺の上唇を舌で撫でるように舐めてから、真人が俺の目を覗いて告白をくれた。
「……うん」とうなずいてこたえると、右手で俺の左頬を覆い、親指で目の下をなぞって愛おしげに微笑んでくれる。
「映画みたいだったね」
「映画……? あ、真人が運んでくれたやつ?」
「うん。世ちゃんと昔観た映画で、昂奮したふたりが玄関からこんなふうにベッドに倒れこんでいくのがあった」
くふふふ、とふたりで額をつけて照れながら想い出し笑いをした。
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