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「えっ」と思わず声を荒げて顔をあげた。
「なにそれ、別れた直後だったの?」
「はい。当時は恋愛の勉強中だったんで、俺が不甲斐なかった結果、傷つけてしまったんです。そのあと彼女も新しい彼と会っていまだに幸せそうなので、おたがいとっくに過去ですけど」
背中を抱かれながらうながされ、覚束ない足どりで部屋へ向かう。
「真人……おまえほんと後出しエピソード多すぎるよ」
「べつに隠してるわけじゃないですよ」
「料理未経験だったり家具買いなおしたりしてたのは隠してただろ」
「ああ。でもいまは全部言えるから。話の流れで、タイミングがきたら伝えていきますね」
「ほかにどんなどっきり裏話がでてくるのか緊張するわ」
「どんなのでしょうね……自分でも秘密にしてるって意識がないんで、なんとも。でも結局、あなたが好きって内容ですよ」
階段をあがるおたがいの靴とサンダルが、小石を踏んでざり、ざり、と鳴っている。真人はこんなふうに恋の告白すら他愛なく口にするから、その自然さにおいてけぼりを食らって、心臓が大げさにちりちり痛くしびれて、自分だけ必要以上にときめいている気がする。
真人を覗き見ると、視線を追いかけて真人も俺を見返してきた。
「……顔、真っ赤ですね。酒のせいかな?」
ふふ、と眉をさげて笑われた。
「茶化すな」
「すみません」
「俺も真人が好きって言おうとしたのに」
「そうなんですか。じゃあ聞かせてください」
「からかわれたからもうやだ」
「あら。まあでも、言ってもらったも同然ですよね、それ」
真人の肩を殴ってやったらちょうど部屋の前に着いて、真人が笑いながら玄関扉の鍵をあけた。俺の背中をひき寄せて部屋へ入れ、またごく自然と、あたりまえのようにキスをする。
あっさり口のなかへ侵入してくる真人の舌を、憎らしいから先に吸ってやった。
「もう真人に好きって言わない、絶対だ」
思う存分唇を吸ってから口を放すと、目の前で宣言した。
「どうせその言葉も明日になったら酒のせいで忘れてるでしょ」
真人はかまわずに俺の口先を舐める。
「記憶失くす呑みかたはしないって約束したろ、今日も抑えたよ」
「じゃあ俺だけ一週間おきにあなたにプロポーズし続けます。いいですよ、それで」
腹がぴったり密着するほど抱き寄せられて、下唇を甘噛みされた。
「……おかえり世。会いたかった。今日も一日お疲れさま」
歯で唇をやんわり挟んで舌で舐められ、尖っていた感情まで蕩かされていく。
「こっち……俺の部屋だぞ、しれっと入ってきやがって、」
「今夜はあなたに甘えたくてここで待ってたんです。駄目でしたか」
真人の腰のコートを掴んで、口を止める。
「甘えるって……なにか辛いことでもあった?」
真人も俺の目を覗き、口を噤んで数秒黙考する。
「……。いえ、べつに辛いことはないですね。辛いときしか甘えちゃ駄目ですか?」
「え」
なに、その……可愛い上目づかいと、質問……。
「そんな、ことない。……ありがとう、甘えたいって思ってくれて。真人も一日お疲れさま。俺も会いたかったよ」
ふふっ、と真人がまた笑う。
「情緒不安定だな。やっぱり今夜もかなり呑んでるでしょ?」
「呑んだけど不安定ではないぞ」
「そう? ツンデレかと思ったら急に優しくなって、変ですよ」
「最初からずっと甘えてるんだよ」
「あー、世さん得意のツンデレデレデレか。……可愛いな」
背の高い真人に腰をひき寄せられて踵が浮いた。鼻先がつきそうなほどの至近距離で真人が幸せそうに微笑んでいる。
「……喜ぶことなのか?」
格好よくて無邪気な笑顔が近すぎて動揺する。
「喜ぶことですよ。世さんもいま〝ありがとう〟って言ってくれたでしょう」
「あ、まあ……うん」
「着飾らないありのままの姿で接してもらえるって、幸せでしかないです」
嘘も曇りもない笑顔が間近にある。
「……酒なしで、素顔を見せるべきだと思う」
「それ自分で言うんだ」
ははっ、と笑った真人が「酒があろうとなかろうとどっちでもいいですよ」と俺の鞄を持ってくれた。
「真人は俺を甘やかしすぎだよ」と俺もツンデレな抗議をしつつ、ふたりで寝室へ移動する。
コートとスーツのジャケットをハンガーにかけると、鞄を所定の位置に置いてくれた真人がうしろからネクタイに指を絡めてきた。
「……酒の匂いが染みついてますね」
左側の首もとを、くんと嗅がれる。
「冬だけど汗臭さもあるだろ、恥ずかしいからくっつくな」
「世さんの酒と汗は嗅ぎ慣れてますけど?」
ねる、と首筋を舐められて小さな快感が走った。ネクタイがほどけて、ワイシャツのボタンもはずされていく。
「帰ってきて早々……い、やらしい、な、」
「甘えさせてくれるんでしょ」
「……真人の〝甘える〟って、セックスのことなの?」
「ん?」
俺の左肩に顎をのせて、「うーん……」と唸った真人がシャツのボタンを最後まではずしていく。
「しなくてもいいです。ただ世さんとベタベタしたい」
可愛くて、ぷふっ、と吹いてしまった。
「好きなだけ触っていいけど、ベタベタっていうか世話してもらってる感じなんだよなー」
真人はボタンのはずれたワイシャツを肩から丁寧に脱がせてくれて、それを置くとスラックスのベルトに手をかける。本当にツンデレデレデレな王さまになった気分だ。
「じゃあもうすこし酔いが醒めたら風呂に入れてあげます。綺麗に洗ってあげますよ」
「結局俺が甘やかされてるだけじゃないか」
「俺も世さんにベタベタ触ってるからWin-Winですよ」
「納得いかないなあ……」
ふりむいて見あげると真人が言葉どおり幸福そうに微笑んでいて、愛おしさが溢れるまま、またどちらからともなくキスをした。
「……真人好き。って……やっぱり俺も言う。一生」
会社の同僚と呑んで、今日みたいにゲイ差別を受けながら笑顔を繕って帰宅したあと、昔はもっと空虚感や孤独感を抱いていた。しかしどんな痛みだったのか、もはや思い出せない。
つきあう前から精神的支柱だった真人に、いまは恋人として救われている部分も増えているんだよな……。
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