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運動会のとき、よその子たちは両親や祖父母まで来て弁当どころか重箱にぎっしり詰まった手作りのおにぎりを食べながら大勢で楽しそうに食事をしていた。
遠足のときも俺は輪の隅っこに逃げてコンビニおにぎりを頬張った。クラスメイトや先生に見つかって母親に連絡がいき、母親が責められて、離ればなれになるような事態だけは避けなければと心の底から怯えていた。
細く脆く繋がっている母親との生活や絆を手繰り寄せて、淡く感じる愛情をくり返し確認して、どうにか縋りついていたくて必死だった。
「謝らなくていいですから」
真人が身を翻して、キッチンに置いていた買い物袋からなにやらとりだして戻ってきた。
テーブルの上に置いて、俺の前にすっと寄せる。
「今日からこれが世さんの弁当箱です」
透明な袋に入っている、真新しくて可愛いクマのお弁当箱だった。クマは二匹いて、それぞれスプーンを持ってオムライスを前に喜んでいる。綺麗なプリントは当然まだ掠れていない。
「俺の、って……真人買ってきてくれたの……?」
「はい。今後お弁当が必要なときはこれにおかずを詰めますから食べてくださいね」
身体の中心で幸福感が溢れて一気に破裂し、あまりの痛さと熱さに耐えきれず顔を覆った。そういえば俺は他人にもらう幸福っていうものもよく知らない。全身が温かくて痛すぎる。
「なんだよそれ、無理……嬉しくて泣くよ、こんなの反則だろー……」
「喜んでもらえたならなによりです」
真人が横にしゃがんで俺を見あげてくる。
「世さんの失えないものを俺が増やしていきますから。もうなにも怖がらなくていいですよ」
いつも無表情でぼうっとしているくせにたまにクサい台詞を吐く男前になるのはなんなんだ。こいつめ、こうやって女の子を虜にしているんだな。
「そんなの増えたら余計怖くなるだろうが」
真人の視線が横に流れて、なにか考えてから戻ってくる。
「それはそれでアリでしょ」
「嫌だよ」
「じゃあこの弁当箱捨てますか」
「嫌だ」
「この料理も酒も、夕飯も」
「絶対嫌だ」
また声を荒げて断固拒否したら、真顔で立ちあがった真人が右手で俺の髪をさらさら梳いてからまたキッチンへ戻っていった。コンロの火をつけて料理を再開する。……なんなんだくそ。
ぐっ、とレモンサワーを呑んでアボカドを口に放りこんだ。ちくしょう、男前が無闇矢鱈と優しくしやがって。失えないものを増やすだと? しかもおまえが俺のものだと……?
おまえはナツミちゃんのものだろうが、ノンケの秀才大学院生が。ちくしょうめ。
「世さん、あとで今日の弁当箱持ってきてくださいね、洗いますから」
「わあったよ」
「明日は鰤照りとピーマンの肉詰めとほうれん草のごま和えと、海苔が二段の海苔ご飯です」
「わ……かったよ」
「なにかリクエストがあれば言ってください、そのほうが作りやすいんで」
「手作りのお弁当ってなにが入ってるの? 俺よくわからない」
真人がフライパンをふりながら息をついた。
「じゃあ一週間かけていろんなお弁当を食べさせてあげます。楽しみにしててください」
「……わかった。悔しいけどありがとう真人」
「なんですか悔しいって」
「知らん。謎の敗北感がある」
「は?」
恋心なんて無視するしかなかったんだよな。真人は魅力的な男だし、女の子が惚れるのも理解できるし、彼女から奪うとか鬱陶しいことできるわけもないし、奪えるとも思えなかったし、そんなふうに求めて欲して、あのころ真人に嫌われていたら心がもう一度死んでたし。
ナツミちゃんが恋人じゃないと教わっていたとしても、自分から飛びこんではいけなかったと思う。
いまならわかるよ。母親にどうして我が儘を言えなかったのか。いい子でいようとしたのか。
嫌われたくなかったんだ。嫌われて絶縁するのが怖かった。なにより堪らなく怖かったんだ。
全部真人が気づかせて、受けとめさせてくれたことだよ。
太陽とピクニック
強くて眩しい陽光に、お弁当箱のクマが照らされて光っている。
クマちゃんがふたりいる俺のお弁当箱も、いまやプリントが幾分か禿げてかさかさだ。
「二月って寒いけど、これだけ晴れてるとピクニック日和だな」
近所にある大きな公園は土日になると家族連れで賑わっているが、さすがに寒すぎるのか、今日は日曜の午後だというのにひともほとんどいない。芝生の広場で凧あげをしている父子がいるだけだった。
「陽向は暖かいですよね。でも知らないうちに風邪ひくとよくないんでこれ飲んでください」
公園に設置されているテーブルにお弁当をひろげて、正面に腰かけた真人は水筒からスープを注いでくれた。朝からふたりで一緒に作ったオニオンスープだ。
「ありがとう」と受けとって、湯気の立つスープをふうふう冷ましてからすする。
玉ねぎは俺が涙をこぼしながらみじん切りにして、笑って見ていた真人はそれを焦げるまで炒めると、ベーコンと人参も加えてコンソメ味の湯に混ぜ、絶品オニオンスープにしてくれた。
「美味しいー……優しい味で心も温まるよ」
「お弁当もあるんで、このぐらいのさっぱり味がちょうどいいですよね」
「うん。あー……楽しみでにやける」
真人がお弁当箱の蓋をあけてくれる。なかからでてきたのはぎっしりオムライスだ。
真人のほうのお弁当箱にはハンバーグとパスタとブロッコリーのサラダが詰まっていて、これをふたりで食べるって算段。
「うわー……一緒に作って詰めたのにまた感動する。なんで? 外で見ると全然違うよ?」
太陽に照らされて冬の冷たい風に晒されている黄色いオムライスと色とりどりのおかずたちが、相変わらず自分の目にはきらきら輝く宝物にうつる。
真人にお弁当を作ってもらうたびに感動しているけど、ふたりで作ったお弁当はまたすこし違う喜びがあった。
「恋人になって初めてのピクニックだからかな。俺も感激してますよ」
真人が頬をほころばせて照れくさそうに微笑んでいる。真人も表情がやわらかくて、いままでと全然違う。
「まこにゃん浮かれてるな」
「そりゃもう、当然でしょう」
「言っておくけど俺のほうがもっと浮かれてるからな」
「なんの争いですか」
「どっちが相手に惚れこんでるかって争い」
「なら俺が勝ちますね」
真顔になった。
「嘘だね、俺のほうが好きだね」
「世さんは俺がこの三年のあいだどれだけあなたに翻弄されてきたか知らないんですよ」
「はあ? 真人だって知らないだろ、いっつも苦しくって切なかったんだぞ」
「俺はあなたが可愛すぎて健気すぎて、抱き潰したくて辛かったです。三年間毎日、一分一秒辛かった」
じっと睨みあっているとひゅるると冬風が通り抜け……ぶっ、と同時に吹いてしまった。
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