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小学生の夏休み、おたがい両親も不在で暇だった昼下がりに、真人の家でなにげなくテレビ映画を観た日の想い出だ。邦画独特の、ちょっと薄暗い不倫ものだった。
「おかしかったね、あれ。まこも俺もめちゃくちゃ気まずくて縮こまって」
ソファでふたりして膝の上に両手をおいて、ぎゅっと握ってどきどきしながら観ていたんだ。いま想い返すと自分たちの初々しさが面白い。
「俺は気まずかったわけじゃないよ」
「嘘だ、まこも赤い顔して無言になってたじゃん」
緊張しながらちらっと盗み見た真人の顔は、まばたきもせず口をひき結んで赤くなっていた。
「違うよ。俺はあの女のひとを世ちゃんに変換して観て羨んでたんだよ。大人になったらあれがしたいって思ってじっくり観察してた」
「えぇっ、あんなころから? マセまこだ」
「はは、〝マセまこ〟」
笑う真人に唇を覆われて舌をきゅと吸われ、「んっ」と肩が竦んだ。
「……まこは、じゃあ……いま、夢が叶ったの?」
「そうだね」
真人が俺の右頬を吸ってから、耳もとで「……飛びついてきてくれたのは世ちゃんだけど」と囁き、嬉しそうに笑い続ける。恥ずかしくなって、真人の身体を両腕と両脚で思いきり抱きしめて隠れたらもっと笑われた。
「世ちゃんはこれも同棲も〝ごっこ〟だと思ってる……?」
俺を見おろしている真人の眼差しと声音は優しかった。淋しげな口調で責めるような、そんな厳しさもない。
「……思ってない」
こたえたら、逆に目をまるめて驚いた顔をされた。
「そうなの」
「……ないよ。〝ごっこ〟のほうがよかったの……?」
「どっちでもいいよ。気持ちは両想いだってわかってるから」
「え、どういうこと?」
「〝結婚〟も〝夫夫ごっこ〟も世ちゃんの意識の問題でしょ。だからいまどう思ってるのか訊いてみただけ」
……俺の、意識の。
「俺、世ちゃんを〝結婚〟とか〝夫夫〟って言葉で縛ろうとしてたのかもしれないね。だからもうやめようか」
「え……」
「世ちゃんの友だちの前では〝幼なじみ〟で構わないし、おばさんにも〝ふたつ隣に住んでた真人君〟のままでいい。世ちゃんが安心できるなら〝友だち〟にも〝幼なじみ〟にも〝後輩〟にもなるよ。ふたりでいるときだけ〝恋人〟でもいいね。おたがい四十代になったらようやく〝夫夫〟って思ってくれるようになるかな。その日が楽しみだよ」
「それじゃ俺がまこに〝都合のいい関係〟を強いることになるじゃないか」
不義理だし、真人の想いに対して不誠実に甘え続けることになる。
「全然違うよ。そもそも男同士だから時と場合と相手によってごまかす必要もあるでしょう。俺は世ちゃんとの恋愛を他人に認めてもらいたいとは思わないから、わざわざ〝恋人〟だとか〝夫夫〟だとか紹介しなくてもいい。おたがいがおたがいの存在と心を守る関係でいようよ」
俺の〝永遠恐怖症〟やおたがいの社会生活を守るために、臨機応変に〝幼なじみ〟や〝友だち〟や〝恋人〟や〝夫夫〟になる……っていうのか。
「……俺、まこと結婚する、したい、って今日言おうと思ってたんだよ。でも〝幼なじみ〟をやめて〝夫夫〟に変わるんじゃなくて、俺たちを形容する関係性に〝夫夫〟も加わるって……思えばいいのかな」
「うん、そうだよ。というか、実際そうでしょ?」
たしかに、俺たちが幼なじみだったり友だちだったり、先輩と後輩だったりするのも事実で、夫夫になったところでやめられるものでもない。すべてが俺たちを形容する関係のひとつだ。
「……また救われたね。ありがとう、まこ。俺が怖がってばかりいるせいで、まこがいろんな方法で愛情のしめしかたを教えてくれているの、ちゃんとわかってるよ。俺が我が儘なのも」
「世ちゃんは子どものころ大人にふりまわされた無力な被害者だよ。臆病になるのも当然で、我が儘じゃない。卑下しなくていい」
呼吸がかかるほど間近で真剣に叱られて、止める隙もなく涙が両目から溢れだして、ぼろとこぼれていた。
「俺……まこと夫夫になれるのも、嬉しい。……けど〝離婚〟が無くなるわけじゃ、ないから……やっぱり怖いのは、こわいよっ……」
俺が恐れているのは〝夫夫〟じゃなくて〝離婚〟で〝絶縁〟で〝別離〟だ。
真人と愛しあう理由を得られたからといって〝別れ〟の可能性が消えるわけではない。それが怖い。……辛い。
「まこ、に……ずっと、好きでいてもらう努力は、していくね。……俺たちの関係性のなかに〝夫夫〟が無くなっても……〝幼なじみ〟の〝友だち〟でいてもらえるように、したい……」
左手をあげて真人の右頬を触った。小学生のころはふっくりしていた頬が、いまはしゅっと引き締まった輪郭に変わっているけれど、やわらかさはおなじだった。
真人の頬。体温はあまり感じられなくて、むしろすこしひやりとするこの感触が恋しい。
いま時間が止まって死んでしまえれば、真人の感触を味わったまま終えられる。離したら、二度と触れずに真人がいない場所で孤独に逝くことになるかもしれない。……そういうのがね。そういうのが全部怖いの。真人が好きだから俺、怖いんだよ。
「セックスしたら、身体が溶けて、くっついて……まこと、ほんとにひとつに、なれればいいのに」
ううぅ、と唸ってぼろぼろ涙をこぼしながら告白をした。
「……世ちゃんはばかだね」
ため息をこぼして俺の唇にキスをくれた真人も、唇を吸って顔をあげると赤い目をしていた。
「まごっ……」
「子どものころから一緒にいて喧嘩しても仲直りしながら十数年過ごしてきたのに、それでも別れるかもって不安がってるんだから世ちゃんはばかだよ。……大丈夫だよ。一生仲よく愛しあう夫夫を、俺が世ちゃんに見せてあげるから」
ぱた、と真人の左目の涙が自分の右目に落ちてきた。
「……世ちゃんを嫌いになる未来は想像できないけど、もしそうなっても世ちゃんをひとりで放って生きることはできないんだよ、俺。ひとりぼっちで泣いてる世ちゃんのほうが、昔からずっと嫌いだったから。寂しがってる世ちゃんが世界でいちばん大嫌いだ」
真人が泣いている。泣いてくれている。
俺の寂しがる姿が嫌いだと嘆きながら、俺と一緒に寂しくなって泣いてくれている。
「……まこ、」
真人と一緒に泣いていると心が温かくなって、寂しくなくなって、怖くなくなっていく。
ふたりで泣いているのに恐怖が増幅するどころか幸せになっていくのが不思議だった。
ようやくわかった。孤独も恐怖も、真人と分かちあえるなら辛くない。真人がいないと俺は孤独に押し潰されて生きられない。
「俺、も……まこが、寂しいとき、ひとりにしたくない。ふたりで寂しがって怖がっていたい。まこのこと大事にしたいよ。一生、ずっと」
涙でつかえながら告白をくり返して真人の頬を撫でたら、また唇を塞がれた。
さっきまでの初々しくて必死なキスではなくて、優しくやわらかくおたがいを食んで愛でる、夫夫の誓いのようなキスだった。
上唇を吸われて下唇を舐められて、舌先を撫であう。好きだよ、愛してるよ、今日まで毎日一瞬も心をそらさずに想い続けてきたよ、とおたがいが唇と舌で叫んでいるのもわかる。
「……俺たち、もっとはやくこうするべきだったのかもしれない」
陶然としてそう言ったら、真人が俺の前髪を右手で撫でて「ふっ」と吹いた。
「世ちゃんにもやっと気づいてもらえて嬉しいよ」
楽しげに笑う真人の唇がキスを続けながら、俺のネクタイをといてワイシャツのボタンもはずしていく。
「……ちょっと、緊張する」
ゆっくり丁寧に真人の指でシャツをひらかれて自分の素肌があらわになっていくと、一緒にプールや風呂へ入ったことだってあるのに心臓の動きがはやくなった。セックスのために裸になるのは、羞恥も昂奮も全然違う。
「……ン。黙って我慢しなくていいよ、休憩が必要なら言って」
真人は大人みたいなことを言う。
「まこ、緊張してないの……?」
真人の視線が俺をちらっと見あげて、苦笑いになった。
「してるけど、嬉しさのほうが大きい」
ボタンを全部はずし終えた真人が、左手を俺のシャツのなかに忍ばせながら腰を撫でてくる。
いきなり胸もとを丸だしにしたりせず、俺の緊張感を和らげつつ触れあおうとしてくれて、真人の優しさと愛情をこんな些細なしぐさでも実感して胸が苦しい。
「……最近はあまり見てなかったけど、世ちゃん綺麗だね」
腰から腹、腋の下、と真人の掌が肌の上をしずかに滑っていくと、シャツがすこしはだけた。
「ただ眺めているのと、触るために見せてもらうのはこんなに違うんだな……」
しみじみ幸せそうに言いつつ見おろされてどきどきする。
「……全部、まこのだよ」
真人の目を見つめて羞恥心を噛みしめながら告げたら、幸せそうに微笑んでくれた。
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