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「はい。朝食のついでに作りますよ、迷惑でなければ」
腹の底から喜びが湧きあがってきて自分でも意外なほど気分が高揚した。
「嬉しい、嬉しすぎるっ。真人の弁当だったら元気百倍だよ、ほんとにいいの? たたでさえ朝晩作ってもらってるのに、昼メシもってなったら大変じゃない?」
「いいえ。夕飯の余りも減らせるし、食材も無駄にならずに済むからいいことずくめですね」
「えぇ、そんな……メリットもあるなら甘えさせてもらってもいいのかな……」
おたがいのあいだに並ぶ料理は、今夜も真人が時間をかけて作ってくれた豆腐ハンバーグと切り干し大根の煮物とチンゲン菜のおひたしと、赤だし味噌汁とご飯だ。
豆腐ハンバーグにはシソの葉と大根おろしが盛られ、俺の大好きな真人お手製の和風ダレがかかっている。切り干し大根の煮物もあんまり食べたことがなかったからこんなに美味しいと思わなかったし、チンゲン菜だっておひたしにしても美味いって教えてくれたのは真人だ。
「……俺の料理で平気ですか。プロの中華料理店を超える自信はないですが」
「え、ちょっとなに言ってるの、俺真人の料理大好きなんだよっ? 一日三食べられるなんて至福の極みだよ」
「……。じゃあ早速明日から用意します」
「お願いしますっ」
勢いよく頭をさげてから、照れくさくなって笑ってしまった。
真人は感情の見えないしずかな目で、ただ黙って俺を見ていた。
翌朝、真人の料理の音で目が覚めてダイニングへ行くと、すでに完成したお弁当がテーブルに鎮座していた。
「すごい、お弁当だっ」
小さな水色のお弁当箱に、昨夜の切り干し大根の煮物とチンゲン菜のおひたし、それに新しく揚げだし豆腐と玉子焼きが入っている。ご飯部分はシソのおにぎりだ。
「おはようございます。ほぼ昨夜の残りものですみません、明日はまたべつの食材買ってきて作ります」
「とんでもないよっ。すごく嬉しい、美味しそう、いますぐ食べたいっ」
「朝食はちゃんと用意してますから」
出勤の準備も忘れて椅子に座り、顔を寄せてお弁当を眺めた。有名なタレントがテレビで美味しい料理を宝石箱って表現しているけど、ほんとそれだ。触るのも躊躇するぐらいきらきら目映い宝物に思える。
「世さん、顔洗ってきてください」
「うん……でもまだ離れたくない」
「喜びかたが大げさですって」
いつも冷静沈着な真人の表情が珍しくちょっと照れてひきつった。可愛くて笑ってしまう。
「大げさじゃないよ。うち、母子家庭だったって教えたじゃん。母親は料理苦手で全然しないひとだったし、手作りお弁当って俺にとってはめちゃくちゃ貴重なものだよ。自分のためだけに作ってもらえる世界でひとつの料理の詰めあわせって、すごすぎる」
小学校の運動会の日、ひとりで裏庭に逃げて、隠れて食べたコンビニおにぎりの味を憶えている。夜に仕事をしていた母親は昼夜逆転の生活で、日中は寝ていた。炎天下の運動会になど来られる体力はなく、無論お弁当を作る気力すらない。そして自分に託されるのは決まって『ごめんね』のひとことと、よれた千円札だった。
責めたことはない。責めたかったわけでもない。ただ寂しかった。
好きなはずのコンビニおにぎりがああいう日だけは苦く感じた。お母さんのおにぎりが食べたい、と一度でいいから我が儘を言いたかった。けど言えないまま大人になった。
「……世さん」
「あー……昼になるの楽しみ、はやく食べたいっ」
嬉しくてにやけた頬がもとに戻らない。また照れて苦笑いしつつお弁当箱の蓋をしめたら、そこにクマがいた。フォークとスプーンを持ってバンザイしているはしゃいだ可愛いクマだ。でもすでにだいぶプリントが剥げて、かさかさになっている。
「駄目ですよ、世さん。お弁当はしばらく冷ましてから蓋をしないと傷むんです」
「あ、ああ……そか、わかった。てか、このお弁当箱やけに可愛いね。しかも結構年季が、」
「すみません、急ぎだったんで俺のしかなかったんです。これで我慢してください」
あ、真人の顔がまた赤くなってる。
「全然いいよ。長く大事に使ってるものなのかなって思っただけ」
「……子どものころ母親が買ってくれた弁当箱なんです。世さんに持たせるのはどうかと思ったんですけど、ほかに用意する時間もなくて」
微妙に視線をそらして、真人がもごもご恥ずかしがりながら教えてくれる。でも俺の胸は不思議と温かく、熱くぬくもっていった。
「真人のそういうところ好き」
「は」
「借りちゃっていいのかな……お弁当箱も込みで宝物だよ、ありがとうね」
母親からもらった愛情を、大人になっても大事にしている。こんな子どもっぽい絵柄恥ずかしい、と嫌悪せずに愛用し続けている真人が愛しかった。真人の母子関係も理想的で憧れる。
「じゃあ顔洗ってこようかな。朝ご飯も楽しみすぎる~」
「……。はい」
真人の肩をぽんと叩いて、「ありがとう」ともう一度お礼を言ってから洗面所へ移動した。
朝から始まった最初の会議は、来年の春夏の新商品に関する諸々だった。
飽きもせず年輩の上司たちが新人の企画にいやらしくケチをつけて、新人たちは歯を食いしばって耐えながら彼らのいびりに丁寧に受け答えする。室内の空気もどんより重たい。
俺が教育担当になった戸川も、新人研修中だったころこの理不尽な洗礼を受けていたせいか、目を尖らせて憤りをあらわにしつつ黙して見守っている。
横からぽんぽんと戸川の手を叩いて無言でうなずき、〝顔にはだすなよ〟と目だけで伝えた。下唇を噛んだ戸川も、悔しげではあったもののうなずき返してくる。
上の人間の主張も一応筋が通っているうえ、経験と実績に基づいているから歯がゆい。
いびりだ、いちゃもんだ、と怒鳴って黙らせてやれたら楽なものを、そうすることもできないもどかしい攻防が数時間続いた果てに、ようやく昼休憩のチャイムが鳴った。
「――午前の会議はここまでにしましょう。みなさんお疲れさまでした」
各々席を立って会議室をあとにし、昼食をとりに移動していく。
俺も戸川と連れだってオフィスに資料を置いてから食堂へ行った。
「……戸川、だいぶ疲れたみたいだね」
隣を歩いている戸川が心なしかぐったり猫背になっている。普段〝さわやかイケメン〟を崩すことは滅多にないから珍しい。
「……すみません。会議はちょっと、精神的にキます」
「そだねえ……でも話しあってる事柄は大事なことだから、個人的な怒りに支配されるなよ。俺も全員の意見を照らしあわせて、中立的な目で判断しなきゃーってぎりぎりしてる。はは」
「城島さん……。ありがとうございます、肝に銘じます」
「とりあえず美味いもの食べて疲れた心を癒やそう」
食堂の窓辺の席を選んで、戸川とむかいあって腰かけた。戸川は「出前頼んだんで」と、届いていた豚バラあんかけそばのラップをはずす。
「うわ……おまえのそばも美味しそうだな」
ニラともやしの豚バラあんかけが、そばの上にたっぷりのっかって白い湯気をあげている。
「城島さんはお弁当ですか?」
俺も真人が包んでくれた青チェックの巾着袋からクマちゃんお弁当箱をだした。箸箱と箸も子ども用で、大人の手には小さいけどそれが嬉しい。
「ふふー……そうだよ、お弁当なんだ。いいだろ」
「お弁当箱からして可愛いですね」
戸川がまじまじ眺めてくるから、苦笑いしながら告げた。
「母親が選んでくれた弁当箱なんだ」
〝真人の母親が、真人のために〟という説明を、どういうわけか口が無意識に省いていた。
「そうなんですか……可愛すぎて困りますね」
「ばかにしたな?」
「してませんよ、素敵だと思います。困るぐらい素敵です」
戸川が真剣な顔で生真面目に否定してくる。
「そっか」
……だよね、と胸のうちで同意した。そうなんだ。困るぐらい可愛くて素敵なんだよ、俺の隣人君は。
小さな箸でつまんで口に入れた揚げだし豆腐は出汁が奥まで染みていてとても美味しかった。シソおにぎりは味噌味だ。すこし冷えていたけどあのころのような苦さなど一切感じなかった。朝から時間をかけて想いをこめて作ってもらった、温かい宝物のお弁当に違いない。
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