サイン会のお土産SSを特別公開中!
こんな疑いかたされてこんな侮辱されておいて、なんで俺が笑って許さなくちゃいけないの。なんで俺だけ我慢しなくちゃいけないの。真人だけ言いたい放題言ってすっきりして、どうして俺はもやもや抱えたままへらへら笑うピエロになんなきゃいけないの。
裏切ってなんかないのに。
「……ごちそうさま」
皿のおかずもおたがいの茶碗のご飯とお味噌汁もなくなると、真人が小声でそう言ってキッチンに空の食器を運んでいった。
いつもなら一緒に食器を洗っていたけれど、ひとりで洗い始めた真人の横に行くのも抵抗があって、足が動かなくて、いたたまれなくて自分の部屋にむかった。
「……俺、まことつきあうって言ったこともない」
大人になるどころか、去り際に〝許せない〟っていう苛立ちの塊が口から吐きでていた。
最悪だ。けどそれも、訂正なんてもはや手遅れだった。
「……あらま、まさかの俺が喧嘩の原因?」
翌日の放課後、見まわりを終えて委員会室へ戻ると、ひとけのない物憂げな橙色の室内で、どういうわけか、柳瀬先生に哀しみを全部うち明けてしまっていた。
「生徒の青春に参加できるとはなあ……ははは」
柳瀬先生が穏やかに笑う横で、俺はうつむいて下唇を噛む。
昨日はあのあと、真人も黙って帰ってしまった。ばたん、と玄関扉の閉まる音がして慌ててダイニングへ戻ったら、綺麗に洗い終えたふたり分の食器がキッチンに並べてあった。
俺より大人な真人のことだから、きっとスマホのメッセージでなにか仲直りの言葉を言ってくれるんじゃないかと勝手な期待をして待ったけど、深夜になってもそんな奇跡は起きず眠気に襲われて意識を失っていた。
「……いままでこんなことなかった。だけど今回はまこ完璧に怒ってる。どうすればいいのかわからないです」
「でも謝りたくないんでしょう?」
「俺悪くないもん」
「仲直りはしたいんだ?」
「……。うん」
「かわい~」
睨みつけて先生の左肩を殴ってやった。
「いた」
「先生もむかつく」
「暴力は駄目だろう」
「軽くやったよ」
「痛い痛い、折れた腫れた」
「本気で殴りますよ?」
さらに鋭く睨みつけても、くっくと笑われる。
先生の笑いじわが刻まれた頬は夕日色に染まっていて、昔まこが棒スナックをくれながら、結婚しよう、と言ってくれた姿が蘇ってきた。
夕方の色彩は寂しい。誰かと誰かが罵りあう残酷な空気に触れたくなくて、ひとりになるのが怖くて、真人とふたりでいたくて、優しい想いやぬくもりが恋しくなる。
今夜は真人、来てくれるんだろうか。来てくれなかったらひとりでどうすればいいんだろう。なにを作って食べて、眠って、どうやって明日を頑張ればいいんだろう。
真人と二度と会えなくなるかもと、このまま疎遠になって終わりになるのかもと不安に苛まれながらどう生きればいいのか……全然わからない。
「世界の終わりみたいな顔してるねえ」
……世界の終わり。
「この際べつの友だちとも仲を深めて世界をひろげてみるのもいいんじゃない?」
べつの。
「友だちと、仲よくなっても……まこはまこで、かわりはいないから」
「特別なのか」
「先生は奥さんと喧嘩したらべつの誰かと不倫するんですか」
「おおー……なるほど、世のなかでマコ君はやっぱり旦那さんなわけだ。だとしたらたしかに世界の終わりかもしれないね」
「違います。結婚はしたくない。もしもの例え話をしただけです」
「頑なに否定しなくてもいいのに。世がそんなだからマコ君も嫉妬するんじゃないの?」
くっ、と返答に詰まった。まことつきあうって言ったこともない――と自分の酷い捨て台詞も思い出して居心地が悪い。
「……世。嫉妬ってね、相手を信じられないからするんだよ。だから、世がマコ君にちゃんと〝特別だよ〟って伝えて安心させてあげれば喧嘩もしないですむ」
先生が教師らしい威厳をまとって、穏やかに微笑んでいる。
「むかつくこと言われた、って世は怒ってるけど、言わせた原因は世にもある。なぜなら世とマコ君ふたりの心が招いた問題だからね。マコ君だけが悪い、世だけが哀しい、っていうことは無いの。……わかる?」
ふたりの心が招いた問題……と、先生の言葉をまた復唱しながら世界に光がさしていくような錯覚をした。
ふたりとも悪い。ふたりして哀しい。ふたりして寂しい。
「……まこも、いま寂しいのかな」
「本人に訊いてみれば?」
「怒ってるだけじゃなくて、寂しがってくれてると思いますか?」
「世がそうなら、マコ君もおなじ想いでいる可能性はあるよ」
こく、と緊張で乾いた喉に唾液を流して深呼吸した。
ふたりで寂しいんなら哀しくない。真人もおなじ気持ちでいてくれているなら仲直りできる気がする。
真人と喧嘩別れしたくない。真人とだけは、そんなおしまいになるのが嫌だ。
「……ありがとう先生。俺、頑張ってみる」
結婚には抵抗があるけれど、真人がいなくなった未来を生きるために頑張るんじゃなくて、真人といるために頑張る明日なら生きられる。そうだ、そのために自分の心を注ごう。
「ふふ……いいね、ほんと青春だねえ」
先生の口調がまた子どもをからかう軽くて遠い音に変わった。
「世の気持ち次第で、俺もその青春に参加できるのかな」
でも一瞬でその声が低くくぐもって地に足をつけ、突き刺さってきた。驚いてふりむくと、先生の瞳が細くにじんで、ぞっとするぐらい大人の色気を放ち、俺を捉えている。
「な……なに言ってるんですか」
「だってそうでしょ。世が〝先生好き~〟って言いだしたら俺はマコ君とライバル関係になる。教師と幼なじみを巡って三角関係って、よくある青春物語じゃない? 戸川も混ぜたら教師と幼なじみと後輩の四角関係だ」
茫然として、先生の色香にただただ目を瞠って停止していたら、くすりと笑われた。
「……冗談だよ」
戸川と下校しているのは自分から真人に伝えていたけど、ばかげた疑いをかけられるならやめようかな、と悶々とした。でも戸川はなにも悪くないし、他人と接せずに生活するなんて無理だし、真人の独占欲に翻弄されて生きるのも嫌だ。おたがいにとってもそれは違う気がする。
「――先輩。今日木崎に〝先輩と結婚するって本気なのか〟って訊いたら『わからない』って言われました」
「……え」
食べていたアイスクリームが硬直した舌の上で溶けて染みて痛んだ。
「な、に……訊いてんだよ」
「昨日の話が気になったんです、すみません」
戸川はベンチに深く座って公園の遊具を睨みながら、どことなく不機嫌な表情でアイスを舐めている。
「すみません、って……え、てか〝わからない〟って言ったの? まこが?」
「はい。あいつがはっきりしないから先輩も困ってるんですよね。俺、腹が立ちましたよ」
戸川の言っていることが外国語みたいに理解できなくて咀嚼しきれない。
はっきりしないって、真人が? あの真人が……?
真人はいつもまっすぐ俺を想って甘い言葉までくれる。友だちでいたいって拒絶しながら甘え続けているのは俺のほうだ。
前のページへ 次のページへ