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それとも昨日の喧嘩のせいで真人も俺にうんざりして、もう恋も諦めたってこと……?
「……そか」
右手のなかで溶け始めているアイスをゆるく舐めた。食べなくちゃ水になる。
「〝そか〟って、先輩もそれでいいんですか」
「結婚断ってたのは俺だよ。まこが納得してくれたんなら〝よかった〟で……あってるだろ」
「なんですかそれ」
友だちでいてくれるんだろうか。友だちでいるのも嫌になってしまったんなら哀しい。
頑張ってごめんを言って繋ぎとめて、幼なじみの友だちでいてもらいたいって思う。けど、まだ……ちょっと、すぐは頑張れないかも。
「城島先輩はどうして木崎と結婚したくないんですか」
結婚結婚って、真人と話しているときは真剣な誓いでしかないのに、戸川の口から聞くとおままごとじみて聞こえるのも不思議だった。子どもの夢心地な戯れ言だ、って我に返る。
「……結婚したら、離婚するかもじゃん」
「え?」
「結婚って離婚があるだろ。でも幼なじみの友だちに離婚はないから」
ばかにされるだろうと思って苦笑いしたけど、戸川は真面目な怒りの形相を崩さなかった。
「先輩にとって離婚はとても怖いことなんですね」
いとも簡単に、俺の子どもっぽい重大な恐怖心を理解してくれる。
「うん……怖い」
「離婚しないように大事に愛しあおうって、木崎に対して想えないわけですか」
「違くて……俺、そういう永遠とか未来みたいな、ふわっとしたことに期待ができないんだよ。愛してたって人間が変わるのは止められないし、終わるときは終わるだろ。……だから怖い」
一生涯愛し続けたひとたちを、俺は見たことがない。テレビのドキュメンタリーや創りものの漫画や映画でなら観たこともあるけれど全部他人事で夢物語だ。
現実の世界で、俺みたいな人間が、永遠とか一生の愛とかいうものを得られるとはとうてい思えない。ぼんやりした甘えた願望と夢心地で迂闊に飛びこんで、失ってからじゃ遅いんだ。
そんな実験みたいなことをして失敗するのも嫌だ。真人だけは嫌だ。
「……そうですか」
戸川が細くため息をついてアイスクリームを食べきり、コーンを囓り始めた。
「……木崎の気持ちちょっとわかったかも」
「え、なに?」
「先輩の愛情と誠実さって、傍から見ると狡くもうつるんで気をつけたほうがいいですよ」
う、と返答に詰まってしまった。
「かといって、好き好き大好き結婚しよう、って向こう見ずに突っこんでいくのが偉いわけでもない。結局は木崎と先輩の気持ち次第ですね」
がりがりとコーンを囓って包み紙を剥いでいく戸川が、五歳も十歳も歳上の恋愛先生に見えてくる。
「……戸川すごいな。なんか、恋愛経験値高そう……」
「高いですよ。なんならお試しで俺とつきあってみますか?」
イケメンフェイスで迫られて、びっくりしてアイスを握り潰しそうになった。
「お、ため、しって、」
「二番目なら失敗して別れるのもさほど怖くないでしょ。それでもいいですよ俺」
ごく、と口に残るアイスを飲みこんだ。……なんでこいつこんな無駄にイケメンなんだ。
「……それ、うなずいたらもっと狡い奴なんじゃないの」
きらきら綺麗で整った顔が、うっとりするぐらいハンサムにほころんだ。
「……ですね。でも俺がかまわないって言ってるんだからアリじゃないですか? 気が向いたらいつでもどうぞ。両腕ひろげて待ってますよ、先輩」
いけめんこわい。
最寄り駅に着いていつもどおりスーパーで買い物をしてから帰宅した。
勉強をして風呂に入って、真人がバイトを終えて来てくれる十時ごろまで暇を潰してみたけれど、日づけが変わっても玄関のチャイムは鳴らなかった。
食欲も、気力も湧かない。腹のあたりがぽっかり空洞になって、感情が削げ落ちたみたいに虚しさと孤独感に覆われている。
思えば真人と喧嘩したのって初めてだ。
愛しあいかたも知らなければ、喧嘩をしたあと仲直りする方法もわからない。
どこでどう学べば、そんな経験値を得られるんだろう。みんな誰にひとづきあいを教わって、上手に生きているんだろう。全然、なんにもわからない。……だけどこのまま動かずに泣きべそをかいていたら、離婚する前に絶縁になるっていうことだけはわかる。
ベッドにぐったり横たわったまま、左手だけのばして枕もとのスマホを探した。かつんと手にあたったのを掴んで、薄っぺらいスマホでさえ重たく感じつつ顔の前に引き寄せる。
着信もメッセージも、やっぱりきていない。淋しくなりながら画面をひらいて文字を打った。
『まことご飯食べたかったよ』
送ったら涙がでてきた。明日も明後日もその次も、食事するとき目の前に真人にいてほしい。
笑ってなくてもいいから。いつもの無表情でも、怒った顔をしててもいい。どんなふうでもふと顔をあげたときそこに真人がいないと駄目になるから。生きかたがわからなくなるから。
『なに食べたの』
ぴこん、と音が鳴って、焦って涙を拭って確認したら真人から短い返事が届いていた。
声、聞けた。文字だけど聞かせてくれた。……でも、この質問には駄目人間な返答しかできない。
『なにも食べてない』
ばかすぎて余計に嫌われる、と落ちこんだけど、ぴこん、とまた返事をくれた。
『すぐ行く』
え。
「……えっ」
飛び起きたら瞼の端にたまっていた涙が流れてきて視界がぼやけた。慌ててティッシュをとって拭い、ベッドからおりてパジャマ姿をどうにかしなくちゃと頭を回転させる。
で、涙でべたついた顔を洗って、パジャマから部屋着に着替えたほんの十分程度の短時間で、玄関のチャイムが鳴った。
「はい」
はやすぎて真人なのか疑問だったけれど妙な確信があってすぐさま玄関へ向かった。
鍵をあけてゆっくりと扉を押し、恐る恐る視線をあげる。
「……こんばんは」
そこにいたのは、やっぱり、ちゃんと真人だった。
「まこ」
無表情だけど、なんとなく頬が照れたような歪みかたをしている。心臓がぎゅと縮んで急激に痛んで、腹の底から喜びと幸せと恋しさがぐるぐるに混ざりながら湧きあがってきて背中が震える。
「……おにぎり作ってきたから。食べて」
玄関に入ってきた真人が、右手に持っていたランチバッグをくれた。
「え、おにぎり……いま、この十分ぐらいで? 作ってくれたの?」
「ラップでご飯と具を包んで握るだけの簡単なやつだよ。三秒でできる」
俺が身だしなみを整えているあいだに、真人は俺の空腹を心配しておにぎりを作って、自転車で走って来てくれたんだ。
ランチバッグをひらいて覗くと、おにぎりはよっつも入っていた。
……なんで喧嘩なんてしたんだろう。こんなに自分のことを考えてくれる真人相手に、どうして苛ついたり怒ったりできたんだろう。
「あがってよまこ。一緒に食べよう」
「いや……俺は帰るよ」
「え、……帰っちゃうの」
真人が口の奥で下唇を噛んで瞼を細めた。強張った左手をゆるゆるとあげて、俺の前髪をさらんと流す。
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